皇 帝 群 像 ( 唐 ~ 清 )

  中国では唐時代より、コインの製造方法が一定化します。 四角い穴の周りに「○○通宝」、または「○○元宝」の4つの漢字が記されています。 (この方式は、日本、朝鮮、安南など周辺の国も真似をしました)
  各王朝より、一人ずつの皇帝と、その時代のコインを一枚ずつ紹介します
  中には、余り有名でない皇帝や、皇帝になれなかった人たちも含まれています。



618-907
  唐・玄宗(722-756) 
  開元通宝  23.5mm 3.3g
  皇帝になった当初は英明な皇帝でしたが、皇太子の妃になるはずだった女性(楊貴妃)に惚れてしまい、それ以降政治をしなくなりました。
  755年には信頼していた安禄山に裏切られ、国はおおきく乱れます。
十国
907-975
  南唐・元宗(943-961)  唐国通宝  24.9mm 3.6g

  南唐は、当時南方第一の大国で、北方の後周と競っていました。
  戦に負けて、江北(長江の北部)を奪われました。 江北は塩の産地として重要な地でした。
遼(契丹)
916-1125
  遼・天祚帝(1101-1125) 
  乾統元宝  23.0mm 2.5g
  この皇帝は狩猟が大好きで、政治を行いませんでした。
  支配していた女真族が反乱を起こします。皇帝自ら70万と号する大軍を率いて征伐に向かいますが、散々に負けてしまいます。
  反乱軍の首領は完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)といい、後の金を建国した太祖です。
  (画像は皇帝ではなく、遼の兵士です)

960-1126
  宋・太祖(趙匡胤)(960-976) 
  宋通元宝  23.7mm 3.0g
  趙匡胤は、後周の禁軍(親衛隊)の総司令官でした。
  ある日朝早く、部下の将兵たちに起こされます。 将兵たちは、趙匡胤に帝位に就くよう訴えます。 脅迫とも懇願ともいえる訴えでした。 中国史上稀な、殆ど無血のクーデターの成功です。
  (皇帝像は、弟の太宗という説もあります。)
西夏
1038-1227
  西夏・神宗(1211-1223)  光定通宝  25.3mm 4.2g

  中国西北部で、交易で栄えていた西夏も、このころはチンギス汗の新興モンゴルの侵略に悩まされていました。 抵抗すれば殺されます。 従うと、高い税金と従軍の命令が待ち構えています。
  西夏は西夏文字を発明し、西夏文字のコインを発行しています。 このコインは漢字ですが、なかなかの達筆です。
南宋
1127-1279
  南宋・高宗(1127-1162) 
  建炎通宝  22.6mm 2.4g
  1127年、宋の皇室の一族ら3000人が金軍の捕虜となり、宋は滅んでしまいました。 かろうじて脱出できた最後の皇帝(欽宗)の弟康王が南に逃れ、南宋を再建します。 高宗趙構です。
  35年間、地道な努力で国家を再建させました。
  金と戦うか和睦するかで、家臣の岳飛、秦檜の二人が争った頃です。

1271-1368
  元・武宗(カイシャン)(1307-1311)  至大通宝  23.2mm 3.6g

  世祖フビライの曾孫になります。
  政治に疎く、贅沢三昧の皇帝でした。
  元は当初、貨幣をあまり発行していませんでしたが、この皇帝の時代になって多くの貨幣を発行しました。 宮殿や仏寺を建てるため、紙幣も多く発行しました。

1368-1644
  明・太祖洪武帝(朱元璋)(1368-1398) 
  洪武通宝  23.5mm 2.9g
  赤貧の少年時代には、親が死んでも墓を作ることさえできませんでした。 元末の紅巾軍の一兵士となり、そこで頭角をあらわし、各地の群雄を平定、元朝を北方に追いやり、明朝を建国します。
  皇帝となった後は猜疑心が非常に強く、ささいなことで数万人の命を奪ったと伝えられています。
明末・南明
1644-1663
  鄭成功(-1662) 
  永暦通宝  27.7mm 5.7g
  鄭成功は、元に追われて南方で抵抗していた明の皇族の一人唐王の将軍です。 母は日本人で、平戸で生まれました。
  福州や台湾を根拠地として、元に対する抵抗を続けました。
  近松門左衛門の浄瑠璃「国性爺合戦」はこの人の事績を題材にしたものです。
  このコインは、長崎で鋳造したもので、「長崎永暦」と呼ばれています。 折二銭(2文銭)です。
清初三藩
1673-1681
  平西王・呉三桂(-1678) 
  昭武通宝  23.8mm 3.8g
  呉三桂は明の将軍でしたが、清が明の攻撃を始めた頃、清に降り、清の将軍として雲南の平西王に封ぜられます。
  その後、他の二人の将軍(広東の平南王尚可喜,福建の靖南王耿精忠)と歩調を合わせ清朝に対して反乱を起こします(三藩の乱といいます)。
  しかし、結局三つの藩のすべてが清に平定されます。

1616-1912
  清・宣統帝(溥儀)(1908-1912) 
  宣統通宝  16.7mm 1.2g
  ラスト・エンペラーです。
  西太后の意志で3歳で即位しましたが、4年後には辛亥革命で退位させられます。
  その後日本軍の意志で満州国の皇帝になりましたが、日本の敗戦でまた退位させられます。
  なくなったのは1967年のことです。
清末
1850-1864
  太平天国・洪秀全(1850-1864) 
  天国太平  26.0mm 4.1g
  太平天国は、1851年に広西に樹立され,のち南京を首都天京とし、一時は中国の南半分を支配していました。 洪秀全は自分のことを「天主」と呼ばせ、またキリストの弟とも自称していたそうです。
  後、内訌があり、またアメリカ、イギリス、フランスなどが,清朝政府に味方したため、滅んでしまいました。 この乱で2000万人が死んだといわれています。


  参考文献  皇帝像は、下記の資料を利用しました。
    「マイペディア98」、日立デジタル平凡社、1998
    「日本大百科全書」、小学館、1984-86
    「クロニック世界全史」、講談社、1994



2002.4.25 2002.9.15改訂