新 の 王 莽
王禁─┬─王鳳
├─王曼──
王莽
└─王政君[王太后]
├──⑫成帝
⑩宣帝─┬─⑪元帝─┬─○──⑬哀帝
│ └─○──⑭平帝
└─○──○──○──⑮孺子嬰
紀元直後、漢の帝位を奪い、わずか15年でしたが自分の帝国を設立した人がいます。 「新」の王莽です。
この皇帝は、実にいろいろなコインを発行しています。
左 「大泉五十」 27.5mm 4.6g
右 「契刀五百」 73.5mm 17.4g
第 1 期
漢の末期、永始元年(紀元前16年)、第12代皇帝成帝の母の甥、王莽が新都侯にとりたてられました。 このとき王莽30歳、王莽出世の始まりです。 儒者のような生活態度に、支持する人が多かったと言われています。 8年後には、最高位の大司馬となります。
元始5年(紀元後5年)、第14代皇帝の平帝を毒殺し、王族の孺子嬰を傀儡の皇帝とし、自らは居摂、仮皇帝と称します。
居摂2年(紀元後7年)、漢の「五銖」銭の10、100、1000倍の値を持つ名目貨幣、「大泉五十」、「契(栔)刀五百」、「一刀平五千」の3種の貨幣を発行します。 後の二つは、円形の下に刀を配置した独創的な形態です。
居摂3年(紀元後8年)、ついに自ら帝位につき、国号を「新」とします。 53歳です。 当時としては、既に老人に達しています。
左 「小泉直一」 14.2mm 1.0g
右 「大布黄千」 57.5mm 13.2g
第 2 期
皇帝となった後の王莽の振る舞いは、それまでとは大きく変わりました。
漢室の姓(劉)の字に含まれる金と刀の字を嫌い、「五銖」、「契(栔)刀五百」、「一刀平五千」の通用を禁止します。 そして、始建国元年(紀元後9年)から翌年にかけて、宝貨制度を制定します。 5種類の材質で、28種類の貨幣を発行したのです。
・金貨 10000銭
・銀貨 1000,1580銭
・布貨(青銅) 100,200,300,400,500,600,700,800,900,1000銭
・泉貨(青銅) 1,10,20,30,40,50銭
・亀宝(亀の甲羅)100,300,500,2160銭
・貝貨(宝貝) 3,10,30,50,216銭
100銭から1000銭まで、100銭刻みの貨幣が発行されています。 買い物のときは、計算が大変だったでしょう。
青銅貨以外は、現在残されていません。 右は小泉直一(1銭)と、大布黄千(1000銭)です。
左上 「貨泉」 21.4mm 2.1g
左下 「布泉」 26.0mm 3.2g
右 「貨布」 58.2mm 16.4g
第 3 期
天鳳元年(紀元後14年)、「貨布」、「貨泉」を発行します。 「布泉」もこのころ発行されたと思われます。
折から旱害(水不足)、洪水などで大飢饉が発生しますが、王莽は豪華な宮殿をつくり、美女を集め、豪奢な宮中生活を楽しんでいました。
天鳳5年(紀元後18年)、赤眉の乱が発生、また、劉秀、公孫述らが各地で挙兵しました。
遂に地皇4年(紀元後23年)、王莽は反乱軍と戦って敗死し、「新」帝国は滅んでしまいました。
【クイズ】
このころの飢饉の原因は、旱害、洪水の他に、ある動物の大量発生がありました。
この動物による飢饉は、近世まで日本でもたびたびありました。 どんな動物でしょうか。
答えはこのページのどこかにあります。 カーソルをそこに移動すると出てきます。
参考文献
山田勝芳、「貨幣の中国古代史」、朝日選書、2000
2002.6.9