司馬遷の時代

  「史記」を著した司馬遷の時代、漢帝国は最大の繁栄時代でした。 その時代の貨幣「五銖銭」と、その価値を紹介します。
  (以下の年代は、書物によってはいろいろな説があります。そのうちの一つの説だとお考えください)

● 「五銖銭」の登場
  中元5年(BC145)、漢の第6代皇帝の景帝の時代、夏陽県で司馬遷(字は子長)が生まれました。 父は、農耕や牧畜をしていたそうです。
  元狩3年(BC120)、武帝はこれまでの「半両銭」に代わって「三銖銭」を発行しましたが、不評でした。 そのため翌元狩4年(BC119)、新たに「五銖銭」を発行しました。 この貨幣は中央ではなく、地方の郡と国で鋳造したため、「郡国五銖」とよばれています(郡は皇帝直轄地、国は諸侯の領地)。
  ■有司ぐ、「三銖銭は軽く、姦詐かんさし易し」と。乃ちあらためて諸もろの郡国に請い、五銖銭を鋳しむ。[史記平準書]

郡国五銖

最初の五銖銭。
まるで制作途中のように、輪・内郭に仕上げがない。
背郭の角に丸みあるのも一つの特徴。

3.8g 27-28mm

  郡国で発行された五銖銭は品質が悪く、また非常に偽造が氾濫しました。 数百万人が偽造罪で処刑されたとの説もあります。 余りにも多くて、役人も捕えきれませんでした。
  ■天下、大抵おおむね皆金銭を鋳る。犯すものおおくして、吏、尽くは誅取ちゅうしゅする能わず。
  元鼎元年(BC116)首都長安で周囲に赤銅をつけた五銖銭(「赤側銭」)を発行し、これまでの五銖銭5個分とさせました。 (現存する「郡国五銖」は、それほど極端には品質が悪いものとは思えないのですが、現代の人が誤解しているのか、当時何か政治的な動きがあったのかなどど推察します)
  ■郡国、多くよこしまに銭を鋳、銭、多くして軽し。而して公卿、請いて、京師をして鍾官の赤側を鋳しめ、一もて五に当て、賦・官用には、赤側に非ずんば行うを得ざらしむ。

赤側五銖

輪側に仕上げがあり、赤い銅が剥き出しになっている。

4.8g 26.0mm

  さらに、元鼎4年(BC113) 都の上林苑内に設置されていた均輸・鐘官・弁銅の三つの官(上林三官)のみに鋳造権を与え、より良質の五銖銭を発行するようにしました。
  ■其の後二歳にして、赤側銭、やすく、民、法をくぐりてこれを用い、便ならず。又、廃せらる。是に於て、悉く郡国に禁じて、銭を鋳るなからしめ、専ら上林の三官をして鋳しむ。

三官五銖

銭肉が厚く、彫りが深い。 やや太字になる。
背郭やや広郭かつ反郭気味になる。

3.8g 25.6mm

  この三官五銖は品質がよく、偽造が難しくなったため、偽造貨が少なくなりました。
  ■而して民の銭を鋳ること益ます少なし。 其の費をかぞうるに、相当る能わざればなり。
  天漢2年(BC99)、将軍李陵が匈奴征伐で破れ、匈奴に降伏しました。これを処罰しようとした武帝に意見した司馬遷は宮刑となりました。
  征和2年(BC91)、司馬遷は「史記」を完成しました。司馬遷は始元元年(BC86)ころ没しました。
  その後、宣帝(在位BC74~BC49)の時代に、五銖銭の作り方や書体など改訂され一段と洗練されたものになりました。「宣帝五銖」と呼ばれています。

宣帝五銖

銭文は細字で小字。
背郭は細郭で正方形。

3.2g 25.5mm
五銖銭の陶笵

近年西安の鋳銭跡にて発掘されたもの。
三官五銖の陶笵と思われます。
203g


● 司馬遷の商品一覧
  司馬遷の「史記・貨殖列伝」には当時の地方の特産物や商品の紹介が書かれています。 そういった商品の価値も書かれています。 かなりアバウトな数字ですが、当時の人たちが何を必要としたかがよく分かります。

史記貨殖列伝の商品一覧(特記ない限り1000銭)

 ●たべもの
   ○穀物・果物・野菜 1鐘(124リットル)  ○酒 甕1個  ○酢・醤油 瓶1個  ○シロップ 大瓶1個
   ○牛・羊・豚の肉と皮 1匹分  ○干物 1鈞(7.8Kg)  ○棗・栗 3石(90Kg)
   ○こうじ・なっとう 1斗6升(5.5リットル)入りの瓶で1個  ○ふぐ・刀魚 1斤(260g) ○雑魚 1石(30Kg)
 ●布、皮
   ○しろぎぬ・きぬわた・細織りの麻布 1鈞(7.8Kg)  ○あや織りの絹 1匹(11m)
   ○榻布・皮革・子羊の皮衣・親羊の皮衣 1石(30Kg)  ○狐・テンの皮衣 1枚  ○絨毯 1枚
 ●道具など
   ○馬車 1台で1万銭  ○牛車 1台
   ○漆器 1個  ○銅器 1鈞(7.8Kg)  ○木器・鉄器 1石(30Kg)
 ●動物
   ○馬 1頭5000銭  ○牛 1頭2000銭  ○羊・豚 1匹500銭
 ●奴隷
   ○奴隷 1人1万銭
 ●香料など
   ○ベニ・茜 1石(30Kg)  ○漆 1斗(3.5リットル)
 ●その他
   ○薪・藁 車1台分  ○材木 1本  ○竹ざお 10本  ○動物の筋・角・丹沙 1斤(260g)


  穀とは、禾(あわ)、黍(きび)、稲、大麦、小麦、高梁(カオリャン)、麻など、主食となるもので、成人一人あたり1日に1~2リットル必要だったそうです。 1鐘(124リットル)は3ケ月分の主食になりますから、これを現代の3万円とすると、1銭=30円となります。 (白米80リットル=3万円)


● 漢の税制
  漢の税制はおよそ次の通りでした。 (時代とともに変遷しましたから、多少異なった数字を出している書物もあります)


漢の税制

  ○田 租   農民の収穫に対する税。 収穫高の15分の1。 のちに定額制になり、さらに30分の1になりました。
  ○人頭税   15~60歳の成年男女に年120銭(「算賦」)と、3~14歳の未成年男女に年20銭(「口賦」)。
  ○財産税   商人は財産2000銭につき120銭、手工業者は財産4000銭につき120銭(「算緡」)。
  ○労働税   半年に1か月の労働。 ただし、300銭で代納することができた(「更賦」)。
  ○兵 役   生涯に通算で1か年の兵役。 ただし、ひと月2000銭で代納することができた(「践更」)。



● 礼忠さんの財産目録
  漢の時代、税金を取るため戸籍や財産目録の作成が行われていました。 次の資料は、礼忠という人の財産目録です。 候長という役職ですから、村長さんでしょうか。 年は30歳だったそうです。 田5頃は現在の9ヘクタールです。

候長楽得広昌里公乗礼忠の財産目録

       ○小奴 2人 30000銭
       ○大婢 1人 20000銭
       ○馬車 1乗 10000銭
       ○用馬 5匹 20000銭
       ○牛車 2両  4000銭
       ○服牛 2匹  6000銭
       ○宅  1区 10000銭
       ○田  5頃 50000銭

        ●合計     15万銭


  (「乗礼忠」という名前だと書いていましたら、読者の方から誤りを指摘されました。「公乗」は、漢代の20級あった級爵の一つで、(下から)8級目、庶民に与えられる中では最高位です。ご指摘いただいた松井さん、ありがとうございました。)
  小規模農民の所有する田は1頃(1.8ヘクタール)くらいだったと言われていますから、この家は中の上くらいの階級のようです。 この財産を3000万円とすると、1銭=200円となります。


● 甲渠候官の官吏・戍卒の給料
  漢は征服した地に「郡」を置いて支配しました。 北西の辺境地に「張掖郡」などの4郡を置いたのは武帝の元鼎6年(BC111) のことです。 その中でも居延は、匈奴の支配下に突き出た漢の橋頭堡で、かなり危険な地でした。

・敦煌郡
・酒泉郡 ┌居延県など10県
・張掖郡─┼居延都尉─┬甲渠候官──┬不侵部─┬収降烽隧  
・武威郡 ├肩水都尉 ├三十井候官 ├呑遠部 ├当曲烽隧
     └その他  └殄北候官  ├誠北部 ├止北烽隧
                  └その他 └その他


   (地図は、吉川弘文館の「世界史地図」を利用しました)

  宣帝の五凰5年(BC54)、張掖郡・居延都尉・甲渠候官には108人の官吏と300人の戍卒がいました。 この人たちの俸給の記録が残されています。
 
甲渠候官の官吏・戍卒の月俸

    ●官吏 108人
      ○候  食糧3石 + 6000銭
      ○尉  食糧3石 + 2000銭
      ○士吏 食糧3石 + 1200銭
      ○令吏 食糧3石 +  900銭
      ○尉吏 食糧3石 +  800銭
      ○候吏 食糧3石 +  600銭

    ●戍卒 300人
      ○戍卒 食糧3石 + 衣料


  3石(1石(せき)=20リットル)の食糧は、大人1~2人の一月分の主食量です。 栗、黍、稷などだったらしいです。
  官吏の中での最下級の候吏の月俸を食糧+月18万円とすると、1銭=300円になります。


● エピローグ
  元始5年(AD5)、王莽が第14代皇帝平帝を毒殺し、事実上前漢は滅亡しました。
  この間の五銖銭の鋳造高は280億余枚でした。 一見多いようですが、当時の人口5960万人(AD2の戸籍調査)と比べると、一人あたり500枚にしかなりません。 まだまだ貨幣経済は発展途上時代です。
  上のいくつかの資料から、「五銖銭」1枚は、現代のおよそ30~300円に相当するようです。
  その後「五銖銭」は後漢・六朝・南北朝・隋の歴代王朝に引き継がれ、唐の開元通宝(AD621)が発行されれるまでの間、東アジアの標準貨幣でした。


 奴隷の値段
  上の二つの資料に奴隷の値段が出ています。
    最初の資料では、 人=1万銭、馬=5000銭、牛=2000銭、羊・豚=500銭
    次の資料では、 人=1.5~2万銭、馬=4000銭、牛=3000銭
  です。 非常に似かよっている数字なので、信頼できる数字だと思います。
  人の値段と、牛や馬の値段と比較してみてください。

参考文献:
  大庭脩、「木簡・古代からのメッセージ」、大修館書店、1998
  西嶋定生、「中国古代の社会と経済」、東京大学出版会、1981
  山田勝芳、「貨幣の中国古代史」、朝日選書、2000
  司馬遷、貝塚茂樹・川勝義雄訳、「世界の名著11・史記列伝」、中央公論社、1968
  田中謙二・一海知義、「新訂中国古典選・史記・漢武編」、朝日新聞社、1966

2003.1.4   2008.5.3 陶笵を追加