行徳がこの寺に来て一番驚いたことは、彼が作り上げた西夏文字と漢字との対照表は、一冊の冊子としての体裁を持たせられ、それをもとにして何冊かの筆写本ができ上がって使われているということであった。ずっとこの寺に居て、西夏文字の仕事に携わって来た策(さく)という六十歳近い人物が、その一冊を行徳のところへ持って来て、それに書物の題名を付するようにと言った。 行徳は暫く幾つかの頁を開けてそれに見入っていたが、やがて筆を執り上げて墨をふくませると、その冊子の表紙に貼り付けられた細長い白紙の部分に、「番漢合時掌中珠」と認めた。 ・・・・・ 井上靖、『敦煌』 |
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西夏 天慶宝銭 1194 西夏文字は西夏の建国者李元昊が、1036年に制定したものです。普通西夏といいますが、 自分たちは「大夏」と称していたそうです。 西夏の人たちはこの文字を「番字」と呼んでいたそうです。そのため、このコインは「番(蕃)字銭」 と呼ばれることがあります。 西夏はその後、1227年にチンギス汗により滅ぼされ、この端正な文字を使う人もいなくなりました。 西夏文字は、日本の西田博士によって全貌が解読されました。 23.9mm 4.8g |
地図は吉川弘文館の「世界史地図」を利用しました |
蘭州さんの「はるかな銀川」から、許可を得てお借りしました |