方足布
方足布「安陽」
49×31mm 厚さ0.8mm 5.3g
●方足布
「方足布」は中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)に盛んに使われていた貨幣です。
形状は、
「空首布」
を改良したものです。 厚さは1ミリ以下で、たくさん重ねることができます。
重さは、当時の重さ1釿(11.7g)の2分の1が基準になっているようです。
素材は、やや鉛を多く含む青銅です。
銭銘には、[安陽」、「平陽」、「中都」、「屯留」、「平陰」、「魚陽」、「襄垣」など、都市名らしいものを刻んでいます。国家主導ではなく、都市の商人たちが発行したのではないかと推測します。
●方足布はどこで使われたか
地図は、 吉川弘文館、「世界史地図」 を利用しました
右の地図は、方足布とそれによく似た尖足布の出土地です。
戦国時代の「三晋(魏・趙・韓)」と「燕」の勢力範囲と一致しています。これらの国では、国の隅々まで貨幣経済が浸透していた様子がよく理解できます。
また、燕の国境のはるか北方でも出土しています。異民族との交易にも使われたのでしょうか。
(作図には、 江村治樹、「戦国時代尖足布・方足布の性格」 を参照しました。)
●方足布はどのように作られたか
方足布の石笵
東京国立博物館にて
左は、東京国立博物館に収蔵されている方足布の石笵です。
石の板を彫って型を作っています。
表と裏の2枚の石笵を重ね、その間に溶かした青銅を流し込んで貨幣を作りました。
大変な労力です。大変な技術です。見事な芸術です。
石笵の部分拡大
(左右を画像反転)
方足布「匋陽」
(左と同じ銭銘)
●方足布はどのように使われたか
農民の家計簿
以下は、『漢書』に出てくる話です
魏の文侯(在位BC445-396)のころの100畝の田を持つ農民で、家族は夫婦と子供3人
(100畝は現在の1.8町くらい)。
収穫は、年間で粟(もみ)150石(1石=約20リットル)。
税金に15石、家族が食べる分に90石、残りを1石=銅30銭で売却すると、銅1350銭。
春秋の祠(まつり)に300銭、家族5人の衣料費に1500銭を使い、毎年の不足分450銭。
支出総額は、税・主食・不足分も含めると4950銭です。これを現代の495万円にあてはめると、1銭=1000円になります。
方足布1枚が1銭と考えます。
2009.3.1