遼のコイン
(図は吉川弘文館の『世界史地図』を利用しました)
清寧通宝
1058年発行
2.1g 23.5mm
咸雍通宝
1065年発行
3.3g 24.5mm
大康通宝
1075年発行
3.3g 23.2mm
● 遼のコイン
「遼」は、日本の平安時代に満州・内モンゴル地帯にあった契丹人の国です。
907年に契丹族の耶律阿保機が「大契丹国」を建国し、後に「遼」と改めました。
たびたび中国王朝に侵入し、宋王朝は毎年銀10万両と絹20万疋の貢納を約束させられました(後20万両、30万疋に増額)。
遼は、建国当初の922年に中国風の「天賛通宝」を発行し、その後も200年間独自のコインを発行しました。 もっとも宋の発行量は膨大でしたが、遼の発行量はかなり少ないです。
遼のコインの4つの文字は、内郭の上下左右に、大きすぎず、小さすぎず、ほどよいバランスで配置されています。
漢字を使いながらも、漢民族とは異なる文化の持ち主であることを誇りにしているようです。
特に際立った特徴は、「寳」の字です。 貝の下の2つの点が小さく跳ねています。 しかもこの特徴は200年間ずっと続いているのです。 この文字を見ただけで遼のコインと分かります。
治平通宝
2.2g 23.5mm
● 西遼のコイン
1115年、服属していた女直族が自立し、「金」王朝を建てました。 そして1125年、宋とこの金が連合して、遼を滅ぼしてしまいました。
王族の一部は中央アジアに逃れ、「西遼(カラキタイ)」を建国しました。
西遼は宋のコインの銘文を使ったコインを発行しました。 右の「治平通宝」もその一例です。 しかし書体は遼の書体です。 「寳」字の特徴がそのまま踏襲されています。
(ただし、このコインは安南の手類銭「牡国手」と分類する説もあります。)
天朝万順
7.3g 24.9mm
● 契丹文字
遼は独自の文字、「契丹文字」を制定しました。
しかし契丹文字がコインに使われることはありませんでした。 右の品は通貨ではなく、祭祀などに使われたものです。
文字は、「天」の字以外は解読されていません。 「天禄通宝」、「天直万銭」と読む説もあります。
契丹文字は、漢字のような表意文字ではなく、アルファベットのような表音文字です。
アルファベットのようないくつかの字母を組み合わせて別の文字を作っています。
例えば、「国」のことを契丹の人たちは「Orun」と発音するため、O,R,Uの3つの字を組み合わせて「国」を表わす字を作りました。
漢字に似ているのは偶然だと製作者たちは説明したそうですが、どう見ても「国」という字にそっくりです。 「皇帝」を表わす字も「主」にそっくりです。
契丹文字は遼滅亡後もしばらく使われていましたが、そのうち使う人がいなくなりました。 しかし、西夏文字や女直文字の創製に大きな影響を与えました。 さらに、ハングル文字の創製に影響しているとも言われています。
2021.1.23