ローマ人の買い物

  古代ローマの人たちはどんな生活をしていたのでしょうか。 1世紀のポンペイと、4世紀のインフレのころのローマ人の買い物を紹介します。
  この頃の通貨単位は、 1デナリウス=4セステルティウス=16アス でした。


 ● 紀元79年 ポンペイ市民の家計簿
ヴェスパシアヌス帝(在位68-79年)の
「デュポンディウス黄銅貨」
デュポンディウスは2アスを意味します

11.88g 26.6mm
 紀元79年8月24日、数日前から不気味な動きをしていたヴェズヴィオ山が爆発し、人口2万人のポンペイ市に熱風と灰が襲いかかり、市は壊滅しました。
 この町のある市民の家計簿の一部が残されています。 親子3人と、奴隷1人の家庭です。 奴隷がいるからといって、上流家庭とは限りません。 この家は”中の中”くらいのようです。


ポンペイの1家 9日間の家計簿 (単位アス)

 ●某月某日  パン 8、 チーズ 1、 オリーブ油 3、 ワイン 3、 合計15アス。
 ●某月某日  パン 8、 オリーブ油 5、 ワイン 2、 玉葱 5、 粥椀 1、 奴隷用パン 2、 合計23アス。
 ●某月某日  パン 8、 からす麦 3、 奴隷用パン 4、 合計15アス。
 ●某月某日  パン 8、 チーズ 2、 ワイン 2、 勝利のためのワイン 16、 合計28アス。
 ●某月某日  パン 2、 チーズ 2、 柔らかいチーズ 4、 オリーブ油 7、 フクセリス(?) 16、
        フェミニヌム(女性用のパン?) 8、 スペルト小麦 16、 ブレッラ(きゅうり?) 1、 ナツメヤシの実 1、
        香 1、 腸詰 1、 合計59アス。
 ●某月某日  パン 4、 チーズ 4、 オリーブ油 25、 山のセルワト(?) 17、 ボロ葱 1、 皿 1、 手桶 9、
        ランプ 1、  合計62アス。
 ●某月某日  パン 2、 奴隷用パン 2、 合計4アス。
 ●某月某日  大型パン 2、 ボロ葱 1、 奴隷用パン 2、 合計5アス。
 ●某月某日  パン 2、 大型パン 2、 オリーブ油 5、 からす麦 3、 勝利のための小魚 2、 合計14アス。


 以上9日間の合計は225アスで、1日平均で25アスです。 このまま単純に30倍すると1月で750アスになります。 現在の日本の1世帯あたりの食料費は平均7.5万円(総務省統計局)ですから、単純に割り算すると、1アス=100円になります。 一方、年収ベースで比較すると、この家は1000デナリウス(=1.6万アス)くらいあったと考えられますから、1デナリウス=1万円(1アス=625円)くらいでしょうか。
 この当時ローマの元老院議員は600人いましたが、平均的な元老院議員の年収は25万デナリウス(=400万アス)前後だったそうです。


 ポンペイの遺跡から見つかった
 パンの化石です。
 1つで2アスでした。

 大人一人1日分の主食です。
 (資料①より)
 このころのその他の物価には次のようなものが知られています。
    ・パン 1つ 2アス (1人1日分) 
    ・小麦 1モディウス(6.3Kg)で 12アス
      (別の資料によると、通常8~12アスだが、
       不作とか端境期には80アスに達することもあった。
       大麦は小麦の半分。)
    ・オリーブ油 1リブラ(328g)で 4アス
    ・公衆浴場 1/4アス
    ・銀のこし器 90デナリウス(1440アス)
    ・奴隷 二人で1262デナリウス(20192アス)
    ・ラバ 雄 130デナリウス(2080アス)

 食料品の値段を現代の日本のものと比べると、1アスの価値は次のようになります。
    【パン】1個2アス  【フランスパン】1個300円 ⇒ 1アス=150円
    【小麦】1モディウス12アス 【白米】1キロ500円 ⇒ 1アス=260円
    【オリーブ油】1リブラ4アス 【オリーブ油】1リットル600円 ⇒ 1アス=50円
 先に書いた年収ベースの1アス=625円と比べると、食料品ははるかに高価だったことが分かります。

 ポンペイの壁画

(WikimediaCommonsより)

 居酒屋の落書き
   『このカウンターではワインが1アスで飲める。もっといいものなら2アス。
    4アス出すとファレルヌス産のワインが飲める。』
   『店の銅のポットが盗られた。取り返してくれたら65セステルティウス(260アス)。』
 娼家の落書き
   『わたしは2アスであなたのもの』
   『思いやりのあるメナンデルは2アス』
   『女奴隷のロガスは8アス』

 また、紀元1年の奴隷の値段として、
   普通の奴隷   500~1500デナリウス
   葡萄園の熟練者     2000デナリウス
   きれいな女性 2000~6000デナリウス
   歌の上手な女性     4000デナリウス
という記録があります。 このころの庶民の年収が500~1000デナリウスと想像されますから、人一人の価値と比べてみてください。



 ● 紀元109年 トラヤヌス帝のアリメンタ制度
トラヤヌス帝(在位98-112年)の
「クワドランス黄銅貨」
クワドランスは1/4アスを意味します。

3.1g 16.3mm
 五賢帝のひとりトラヤヌス帝は、貧しい少年少女のための扶養基金を整備したことで知られています。 この制度は「アリメンタ制度」と呼ばれ、ローマ市だけで5000人近い子供達が扶養を受けていたそうです。


トラヤヌス帝のアリメンタ制度
1月あたりの扶養費(単位セステルティウス)

嫡出の少年 16、 庶出の少年 12
嫡出の少女 12、 庶出の少女 10


 1セステルティウス=4アスです。 パン1日分で2アスでしたから、1ヵ月のパン代だけで60アス=15セステルティウス必要です。 扶養費だけで生活はできませんが、この時代にこのような制度があったことは驚きです。


 ● 紀元301年 ディオクレティアヌス帝の最高価格令
ディオクレティアヌス帝(在位284-305年)の
「フォリス青銅貨」
5デナリウスに相当したそうです。

9.5g 28.0mm
 紀元1~2世紀の間、物価は安定していましたが、3世紀になるとこれまで帝国の財政を支えていたスペインの銀山が枯渇したことなどから貨幣の品位が下がり、慢性的なインフレが進行しました。
 右のコインは5デナリウス=80アスです。 1~2世紀のコインと比べるとインフレの様子が分かります。
 紀元301年、ディオクレティアヌス帝は、インフレを抑えるため、1000品目以上の物品やサービスについて最高価格令(Diokletians Preisedikt)を発布しました。
 ”もし何人かがこの法の規定に反する努力をするならば、かかる不適さは死刑宣告に服すべきこと”、と違反者には厳罰で望みましたが、それだけに実勢価格はこの数倍だった可能性があります。
 したがって、価格そのものにはあまり意味がありませんが、当時のローマ人が何を好んだか、また相対的な価値の比較には興味深いものがあります。
 
ディオクレティアヌス帝の最高価格令 (単位デナリウス)

 ●穀物 1軍用モディウス(約12リットル)あたり
    小麦 100、 大麦 60、 ライ麦 60、 ヒラマメ 100、 精選米 200、 塩 100
 ●ワイン 1セクスタリウス(0.5リットル)あたり
    標準 8、 ピケヌム産 30、 ティプル産 30
 ●ビール 1セクスタリウス(0.5リットル)あたり
    エジプト産 2、 ガリア産 4、 パンノニア産 4
 ●オリーブ油など 1セクスタリウス(0.5リットル)あたり
    オリーブ油 並12・二級24・未完熟40、 酢 6、 蜂蜜 二級24・最高級40
 ●肉類 1ポンド(328g)あたり
    牛肉 8、 羊肉 8、 山羊肉 8、 豚肉 12、 川の魚 8~12、 海の魚 16~24、 カキ 100
 ●野菜 大きいの10個あたり
    大根 4、 桃 4
 ●労働者の賃金 1人1日あたり、食事つき
    羊飼 20、農場労働者 25、 大工・パン屋・石切工 50、 左官75、 絵描150
 ●教師への謝礼 1人1月あたり
    初等教育 50、 速記術 75、 ギリシャ語・ラテン語・幾何学 200、 弁論術・修辞術 250
 ●サービス料
    理髪 2、 浴場の携帯品預かり 2、 書き手(100行につき) 25、 弁護士(訴訟のとき)200、 弁護士(審理のとき)1000
 ●靴
    紳士靴 150、 婦人靴 60
 ●絹、金属 1ポンド(328gあたり)
    白い絹 1.2万、 濃紫生絹 15万、 金 5万、 銀 6000、 銅(二級品) 60


 1モディウス=16セクスタリウス、1セクスタリウス=0.546リットルです。 1軍用モディウスは1モディウスの1.3~1.5倍くらいだったと推測されています。
 現在の物価と照らし合わせると、多少乱暴ですが、
     ・塩、金         1デナリウス=7円
     ・穀物、ワイン、肉、魚  1デナリウス=30~100円
     ・ビール、野菜、労賃   1デナリウス=400円
     ・理髪          1デナリウス=1800円
くらいになります。


 絹の値段(1) ローマの絹と漢の絹
 ディオクレティアヌス帝の「最高価格令」では、白い絹が1ポンドで1万2千デナリウスしています。
 司馬遷の「史記」によると、前漢では帛(しろぎぬ)1鈞が1000銭でした。
 銅貨の重さで比較すると、漢の絹がシルクロードを伝ってローマにくると、約140倍の値段になっています。
 (1ポンド=328g、1デナリウス=1/5フォリス=銅2g、1鈞=7.8Kg、1銭=五銖銭1枚=銅4gとして計算)

 絹の値段(2) ローマの絹と唐の絹
 ディオクレティアヌス帝の「最高価格令」では、白い絹と金の価格比は1.2:5.0です。
 838年に唐を訪れた円仁の日記によると、白絹1疋=銭1貫文、金1両=銭9.4貫文でした。これから計算すると、白絹と金の価格比は1:353になります。
 金の重さで比較すると、唐の絹とローマの絹の価格比は、約84倍の値段になっています。
  (1疋=1400g、1両=37.3gとして計算)

 絹の値段(3) 紫色の絹
 「濃紫生絹」の値段が同じ重さの金の3倍もしています。
 絹そのものも、はるか東洋から運ばれた貴重なものですが、これを紫色に染めることも高価でした。
 アクキ貝という巻貝の分泌物が染料になるのですが、1万個の貝からとれる染料はわずか1.5gです。
 この染色方法は、フェニキア人が発明したそうです。
 この高貴な色の絹は、皇帝と元老院議員のロープにだけ使用されました。


 ● ローマの税制
 アウグスツスが制定し、その後200年間維持されました。 現代人からみると、驚くほど低税率です。
税の種類対象税率備考
属州税(十分の一税)属州民収入の10%軍役につけば免除
遺産相続税ローマ市民相続物の5%6親等以外の人への遺産贈与のとき
奴隷解放税ローマ市民解放した奴隷の相場の5%永年つかえた奴隷を解放する風習があった
関税港の税関を通過する物産に対する税、税率は不定イタリア本国5%、辺境1.5%、贅沢品25%
売り上げ税商品の1%消費税のようなもの



● メモ帳  右側は、1gの銀貨を現代の3000円に評価したときの価
       (1タレント=7200万円、1デナリウス=1.2万円、1セステルティウス=3000円、1リブラ金=900万円、1ソリドス=12.5万円)
-241年、第一次ポエニ戦争後、カルタゴに要求した賠償金、2200タレント(10年分割)。  1584億円
-201年、第二次ポエニ戦争後、カルタゴに要求した賠償金、10000タレント(50年分割)。 7200億円
-200~157年、ローマ国庫の総収入、6億デナリウス(年平均1388万デナリウス)。     7.2兆円、年平均1666億円
-71年、シチリア総督が3年間に不正に得た利益、1000万デナリウス。            1200億円
-66年、ポンペイウスが小アジア、東地中海を平定して得た戦利金、2億デナリウス。        2.4兆円
-53年、富豪クラッスス将軍の財産、5000万デナリウス。                  6000億円
-52年、この年までにカエサルがガリアで得た戦利金、1000万デナリウス。          1200億円
共和制末期、属州総督の年俸25万デナリウス。                           30億円
共和制末期、ローマ市民権を持つ人の最低資産、3万セステルティウス(市民の人口は500万人)。 9000万円
27年ころ、アウグスツスが定めたローマ軍団兵士の年俸225デナリウス、退職金3000デナリウス。 年俸270万円、退職金3600万円
4~5世紀、中程度の元老院議員の所領からの年収、10万ソリドス。                125億円
4~5世紀、ローマ軍兵士の年収、4~5ソリドス。                    50~62.5万円
422年、東ローマ帝国がフン族のアッチラに支払った平和の代償、毎年金350リブラ。      31.5億円
  (434年、700リブラ、443年2100リブラに増額。)
476年、西ローマ最後の皇帝が、退位後オドアケルより保証された年金、6000ソリドス。     7.5億円

 余聞 : カエサルの身代金
 紀元前76年、24歳のカエサルはロードス島へ海外留学に向かいます。 ところが、途中海賊に襲われ、身代金を要求されます。
 海賊は、良家の青年カエサルには20タレント(14.4億円)の値をつけます。  怒ったのはカエサルの方でした。
 「お前達は、誰を手中にしているのか知らないのか。」といって、自分で50タレント(36億円)に値上げしてしまいます。
 身代金が届くまでの間、カエサルは海賊船の中で主人のように振舞っていました。 そして身代金が届いて自由になると、直ちに船と人を集めて、その海賊を全員捕らえてしまいました。

 参考文献:
   ①ロベール・エティエンヌ、「ポンペイ・奇跡の町」、創元社・地の再発見双書、1991
   ②木村凌二、「ポンペイ・グラフィティ」、中公新書、1996
   ③柴田光蔵、「古代ローマ物語」、日本評論社、1991
   ④クリス・スカー、「地図で読む世界の歴史-ローマ帝国」、河出書房新社、1998
   ⑤古山正人他編、「西洋古代史料集」、東京大学出版会、1987
   ⑥塩野七生、「ローマ人の物語」、新潮社、1992~2006
   ⑦弓削達、「ローマはなぜ滅んだか」、講談社現代新書、1989

2002.2.16  2002.5.3改訂  2003.3.15改訂  2006.12.26改訂