紀元前5世紀、ペルシャとの戦いに勝ったアテネは、ギリシャ第一の都市国家として繁栄しました。 アテネの市民たちは、どのようにコインを使ったのでしょうか。 この時代に上演されたアリストパネスの喜劇(文献②)などから、当時の市民生活を垣間見てみました。 |
パルテノン神殿とエクレティオン神殿 (「あ」さんの「旅の想ひ出写真館」より許可を得て借用しました) |
このころの貨幣単位は、 1タラントン = 60ムナ 1ムナ = 100ドラクマ 1ドラクマ = 6オボロス でした。 また、人口は20~30万人で、そのうち3分の1は奴隷、参政権のある成年男子は3.5~4万人でした。 現在の日本の中くらいの都市と同じくらいです。 |
4ドラクマ銀貨(紀元前5世紀後半) 表:アテナ女神。知恵、学芸そして戦争の女神でした。 裏フクロウ、左上にオリーブの小枝と三日月、 右にAΘE(Atheアテナイ人のために)。 アテネのコインは、殆どがこのデザインです。 23.5mm 16.4g |
3オボロス銀貨(紀元前5世紀後半?) 12.3mm 2.1g |
アクロポリスと麓のディオニソス劇場 2018.5 |
4ドラクマ銀貨(紀元前2世紀) 新しいスタイルのデザインです。 30.3mm 16.4g |
サラミス海 2018.5 |
単位不明の銅貨(紀元前2世紀?) 珍しくフクロウが羽ばたいています。 17.1mm 3.2g |
アテネ市は、潤沢な資金で多数の市民を養っていました。 陪審員6000人、評議会500人、国内の役人700人、国外の役人700人 弓兵1600人、騎士1200人、船渠の守備兵500人、アクロポリスの守備兵50人 年賦金を運ぶ人2000人、看守?人 合計13250人。 さらに戦いを起こすと 重装歩兵2500人、守備船20隻の乗組員4000人 が加わり、約2万人の市民が国庫から俸給を得ていました。 実に、成年男子の半分です。 |
喜劇の中のやりとりを紹介します。 酒の神ディオニソス(バッカス)が、棺桶の中の死体と交渉します。 ディオニュソス: 死人のお前さん。この小荷物を地獄までかついでくれる気はないかね。 死 体 : [起き上がって座る]どれだ、重さは? ディオニュソス: これさ。 死 体 : 2ドラクマ払うかね。 ディオニュソス: とんでもない。高すぎる。 死 体 : [棺桶かつぎに]おい、やってくれ。 ディオニュソス: まった、まった、ねえ君、なんとか手が打てんかね。 死 体 : 2ドラクマ払わないなら、談判無用だ。 ディオニュソス: 1ドラクマ半にしろ。 死 体 : それじゃ生き返ったほうがましだよ。[蛙] |