古代アテネの市民生活

紀元前5世紀、ペルシャとの戦いに勝ったアテネは、ギリシャ第一の都市国家として繁栄しました。
アテネの市民たちは、どのようにコインを使ったのでしょうか。
この時代に上演されたアリストパネスの喜劇(文献②)などから、当時の市民生活を垣間見てみました。

パルテノン神殿とエクレティオン神殿
(「あ」さんの「旅の想ひ出写真館」より許可を得て借用しました)

このころの貨幣単位は、
   1タラントン = 60ムナ
   1ムナ = 100ドラクマ
   1ドラクマ = 6オボロス
でした。
また、人口は20~30万人で、そのうち3分の1は奴隷、参政権のある成年男子は3.5~4万人でした。 現在の日本の中くらいの都市と同じくらいです。



  ● 賃  金
 ペルシャの再来に備えてデロス同盟ができたのは紀元前478年です。 約400の同盟国からの年賦金は、1年に460タラントンでした(425年に1460タラントンに増額)。 460タラントンは、庶民の8万人分の年収に相当しました。
 この大金を、アテネはいつのまにか自分達で自由に使うようになりました。 お蔭でアテネ市民は潤いました。
4ドラクマ銀貨(紀元前5世紀後半)
表:アテナ女神。知恵、学芸そして戦争の女神でした。
裏フクロウ、左上にオリーブの小枝と三日月、
右にAΘE(Atheアテナイ人のために)。
アテネのコインは、殆どがこのデザインです。
23.5mm 16.4g
 神殿の建設にもこの資金を使いました。 神殿建設の労働者の日当は1ドラクマでした。
 このころ、軽い労働では2分の1ドラクマ、通常の労働で1ドラクマ、危険な労働や重要な仕事だと2ドラクマくらいだったようです。

 ■ブデリュクレオン:そいつ自身は遅くやって来ても、ちゃんと検事の給料として、1ドラクマを受け取るのです。[蜂]
 ■使者の一人:諸君がわれわれを大王のもとへ1日2ドラクマの手当を給して派遣せられたのはエウテュメネスのアルコンの年(437年)であった。[アカルナイの人々]

 兵士には無産の市民や在留外国人がなりました。その1日の賃金は
    三段橈(櫂)船の漕ぎ手 平時は2分の1ドラクマ、就役中だと1ドラクマ
    市民の重装歩兵     平時は4分の1ドラクマ、実際に戦になると2ドラクマ
    トラキアなどの傭兵は  2ドラクマ
だったそうです。 (多少異なった数字の文献もあります)

 ■テオロス:この方々(トラキア兵)に2ドラクマの日当を呈すればその楯で実にボイオティア全土を蹂躙するであろう。
  ディカイオポリス:このむけまら野郎どもに2ドラクマか? ほんとに軍艦の漕ぎ手、国家の干城が聞いて泣くだろう。[アカルナイの人々]


3オボロス銀貨(紀元前5世紀後半?)
12.3mm 2.1g
 アテネには、裁判のときの陪審員が6000人もいて、裁判に1日出席すると3オボロス(425年までは2オボロス)の日当がもらえました。 なんと成年男子の6、7人に1人がこの陪審員だったのです。 老人や手に職のない人たちにとっては、このうえない収入源でした。

 ■パプラゴニア人:おーい、陪審員の隠居さん方、3オボロスのお仲間連よ、あんたらは、不正だろうが、不正でなかろうが、ともかくおれがわめき立てたお蔭で食わせてもらっているんだ。[騎士]
 ■ブデリュクレオン:諸都市がわれわれに払う貢税が全体でいかほどになるかを別にめんどうな計算はしないで、ざっと指で勘定してみてください。この他に、諸種の税金と一分税、裁判手数料、鉱山・市場・港湾よりの税収入、貸地料と没収財産をも計算して。これらを加えると全体で約2000タラントンに達します、それから毎年裁判役に支払われる日給を数えてごらんなさい。彼らは6000人で、それ以上はこの地にはいません、そうすればおおよそ150タラントンになるでしょう。[蜂]

 6000人×3オボロス×300日 = 540万オボロス = 150タラントン という計算です。

 陪審員の他にも、実にいろんなことを理由にお金をばら撒いていました。
    通常の民会     6オボロス
    重要な民会     9オボロス
    一般評議員     5オボロス
    当番評議員     6オボロス
    アルコーン(執政官)4オボロス

アクロポリスと麓のディオニソス劇場  2018.5

  ● 買い物
 1ドラクマあれば4人家族が1日何とか生活できたようです。
 文献③では、次のような計算をしています。
   下層市民の4人家族の1年間の支出 :
     主食 大麦 1年間で1000Kg     100ドラクマ
     オリーブ油、乾イチジク、蜂蜜、ブドウ酒など 50ドラクマ
     その他衣服・住居費など      100~150ドラクマ
     合  計             250~300ドラクマ
 私たちの感覚からすると、1オボロス=1000円、1ドラクマ=6000円くらいといったところでしょうか。

 ■ブレピュロス:わしが民会からもらったはずの1ヘクテウスの小麦が、お前のおかげでふいになったのはご存じかね。[女の議会]

 これは陪審員の給料(3オボロス)が1ヘクテウス(=約9リットル)の小麦の価値だったことを言っているようです。

4ドラクマ銀貨(紀元前2世紀)
新しいスタイルのデザインです。
30.3mm 16.4g
 次のような会話もあります。 喜劇ですので誇張されているかもしれません。

 ■ラマコスの召使:ラマスコさまがあなたに対しこの1ドラクマでコエスの祭への鶫(つぐみ)を分けてくれるよう、また、3ドラクマでコパイス湖の鰻を、とのご下命です。[アカルナイの人々]
 ■豚肉屋:1オボロスでしこたまアンチョビーを買い込むために、瀬戸物屋から鉢を買い占めておきなさいといってやった。・・・それから鰯が百尾で1オボロスになったら、その翌日にも若牡山羊を千頭お供えしますと、・・・[騎士]
 ■女将:それからそのうえにシチュウ肉が20皿、1皿半オボロスずつの。[蛙]
 ■ディオニュソス:お願いだから、さあその油壷を返してやれ。1オボロスでほんとに立派なよいのが手にいるから。[蛙]
 ■ヘラクレス:これっぱかしの、ちっぽけな舟で年寄りの渡し守が2オボロスの船賃で渡してくれる。[蛙]

この他、次の様な例が知られています。

  小麦 1メディムノス    5~6ドラクマ(40Kg)
  大麦 1メディムノス   2.5~3ドラクマ(33.4Kg)
  ワイン   1ヘクテス     2ドラクマ(9リットル)
  オリーブ油 1ヘクテス     5ドラクマ(9リットル)
  ヤギ  1匹         10ドラクマ
  牛   1匹         50ドラクマ
  馬   1匹       1200ドラクマ
  奴隷  1人    200~500ドラクマ
  奴隷のレンタル 1日    1/6ドラクマ
  都市の小さな家      2000ドラクマ
  大富豪の財産        27万ドラクマ(大銀行家の場合)
  お金持ちの財産       1.8万ドラクマ(財産が1.8万ドラクマ以上の人は「公共奉仕」を行う義務があった)
  貧乏人の財産        500ドラクマ(ソクラテスの場合)
  三段櫂船 1隻の建造費  5000ドラクマ(当時の標準的な200人乗りの軍艦)
  パルテノン神殿の建設費  500万ドラクマ
  ペロポネソス戦争直前にアクロポリスに貯えていた銀貨 3600万ドラクマ

サラミス海  2018.5
  ● コインを口の中へ入れる習慣
 財布とか、ポケットとかはありませんでした。 コインは口の中に入れて持ち運ぶ習慣でした。

 ■ピロクレオン:最近の話だが、1ドラクマを2人で貰って、魚市場に行って小銭に換えた。そしたら奴らめぼらの鱗を3枚わしの掌のなかに置きやがった。そこでわしはそいつをぽいと口のなかに入れた。オボロスとばかり思って受け取ったのだからな。そしたらどうもその臭いと来たら、胸が悪くなって、鱗を吐き出したのさ。[蜂]

単位不明の銅貨(紀元前2世紀?)
珍しくフクロウが羽ばたいています。
17.1mm 3.2g
 ■隣の男:あの銅貨を決議したときのことを忘れたのかい?
  クレメス:あのお鳥目には参った。葡萄を売って銅貨を口に頬張ったまま家を出て、押麦買いに市場(アゴラ)へ行ったと思いなさい。そして、ちょうどわしが袋で受けたとたんに触れ役が大声で言うじゃないか。「今後は誰も銅貨は受け取らぬこと。銀貨のみ有効」とね。[女の議会]


 この頃のアテネのコインはすべて銀貨でしたが、ペロソネソス戦争の後半(413年)、戦争の影響でラウレイオン銀山の採掘が不可能になり、やむなく銅貨が発行された時期があったのです。

    
ルーブルにて 2007.8

 紀元前4世紀半ばまでは、物価は割合安定していましたが、4世紀後半からややインフレになったようです。 その後、アレクサンドロス大王に征服され、さらにローマの属州になってアテネの繁栄は終了しました。


アテネ市は、潤沢な資金で多数の市民を養っていました。
   陪審員6000人、評議会500人、国内の役人700人、国外の役人700人
   弓兵1600人、騎士1200人、船渠の守備兵500人、アクロポリスの守備兵50人
   年賦金を運ぶ人2000人、看守?人
合計13250人。 さらに戦いを起こすと
   重装歩兵2500人、守備船20隻の乗組員4000人
が加わり、約2万人の市民が国庫から俸給を得ていました。 実に、成年男子の半分です。

喜劇の中のやりとりを紹介します。 酒の神ディオニソス(バッカス)が、棺桶の中の死体と交渉します。

   ディオニュソス: 死人のお前さん。この小荷物を地獄までかついでくれる気はないかね。
   死 体    : [起き上がって座る]どれだ、重さは?
   ディオニュソス: これさ。
   死 体    : 2ドラクマ払うかね。
   ディオニュソス: とんでもない。高すぎる。
   死 体    : [棺桶かつぎに]おい、やってくれ。
   ディオニュソス: まった、まった、ねえ君、なんとか手が打てんかね。
   死 体    : 2ドラクマ払わないなら、談判無用だ。
   ディオニュソス: 1ドラクマ半にしろ。
   死 体    : それじゃ生き返ったほうがましだよ。[蛙]



略史(すべて紀元前) :
  480 サラミスの海戦でペルシャに大勝する。
  478 ペルシャの再来に備えて「デロス同盟」を結成。
  454 デロス同盟の金庫をアテネに移す。「アテネ帝国」の出現。
  438 パルテノン神殿落慶式。
  431 ペロソネソス戦争(対スパルタ)始まる。
  430 アテネでペストが流行し、十数万の人口のうち、3分の1が死ぬ。
  429 アテネの指導者だったペリクレス将軍もペストで病死。
  427~387 アリストパネスの喜劇上演される。
  405 スパルタ、アテネ海軍を破り、ペロソネソス戦争終結。
  399 ソクラテスの死。


参考文献 :
  ①古山正人ほか編訳、「西洋古代史料集」、東京大学出版会、1987
  ②アリストパネス著、高津春繁ら訳、「ギリシャ喜劇」、ちくま文庫、1986
     翻訳者により用語が異なることがありました。 引用にあたっては、勝手ながら統一させていただきました。
     例 ドラクマ、ドラクメ → ドラクマ 
  ③前沢伸行、「世界史リブレット2.ポリス社会に生きる」、山川出版社、1998
  ④周藤芳幸、「図説ギリシャ」、河出書房新社、1997
  ⑤太田秀通、「スパルタとアテネ」、岩波新書、1970
  ⑥太田秀通、「生活の世界歴史-3-ポリスの市民生活」、河出書房新社、1975


2003.3.20 2004.5.4Update