波刺斯(ペルシャ)国は周囲数万里ある。国の大都城は蘇刺薩儻那(スラスターナ)と言い、周囲四十数里ある。 川も平地も多いから気候もさまざまであるが、おおむね温暖である。 水を引いて田を作り、人家は富裕である。金・鍮石(真鍮の一種)・頗胝(はち、玉または水晶)・水精など世にも珍しい宝を産出し、大錦(ペルシャ綿)・細褐(細い毛織物)、くゆ(毛氈)の類を上手に織る。 良い馬・駱駝が多く、貨幣は大銀銭を使用する。 家ごとに税金を課し、一人あたり四銀銭を取る。 ・・・・・ 玄奘、「大唐西域記」巻十一 |
| アルダシール1世(226-41)のテトラドラクマ銀貨 表:国王胸像。冠はティアラ冠。銘:マズダ神を崇う、神聖なアルタ-シャトル、イランの諸王の王、神の子孫。 裏:拝火壇。銘:アルダクシャトルの火。 24.5~24.9mm 厚さ4.5mm 13.1g 文字はパフラヴィ-文字です。 パルチアのコインの様式に似ていますが、裏はゾロアスター教(拝火教)の拝火壇です。 銀質はさほど良くありません。亜鉛(錫?)が多く混ざった銀で、ビロン貨(Billon)と呼ばれています。 |
| シャープール1世(241-73)のドラクマ銀貨 表:国王胸像。冠は耳覆いのついた城壁冠。その上にコリュンボスという球体の装飾。銘は下記の説明参照 裏:拝火壇と二人の神官。笏杖を持っている。銘:シャープールの火。 25.3mm 厚さ1.3mm 3.7g この頃のコインの王の像はかなり写実的です。 裏のデザインは、この後で発達するササンの美術工芸品のはしりのように見事です。 |
シャープール1世銀貨の銘文 (パフラヴィー文字は、右から左へ書きます) 【文献②】による説明 マズダ神を崇う、神聖なシャープール、イランの諸王の王、神の子孫。 【文献③】による説明 マズダ信仰者、主シャーブフル、イランの諸王の王 |
ナクシュ・ロスタムの遺跡 上段の全景写真の中央やや左下が、下段の写真。 シャープール1世が、捕虜になったローマ皇帝をひざまづかせている情景。 馬上のシャープール1世を、コインの胸像と比べてみてください。 この写真は、N.Ebataさんの「遺跡大好き!!」より許可を得てお借りしました。 |
| ホルムズド4世(579-590)のドラクマ銀貨 表:国王胸像。三日月形前立てのついた城壁冠。その上にコリュンボスという球体の装飾。 左肩に三日月形装飾。周囲に星と三日月が4つ。銘:ホルムズドの名前が偉大ならんことを。 裏:拝火壇と二人の神官。左手に剣を持っている。銘:発行年と発行所の略称。 29.6~30.7mm 厚さ1.0mm 3.8g 薄くたたき延ばした銀の板のようです。 円圏の外周が広い、ササン朝独特の形式です。 |
| ホスロー2世(591-628)の小銅貨 表:国王の胸像。 裏:拝火壇。 13.2~13.8mm 厚さ2.6mm 2.3g ドラクマ銀貨は、労働者1日くらいの給料です。日常の買い物には小さな銅貨も必要だったでしょう。 ドラクマ銀貨は1万円、この銅貨は100円と考えてはどうでしょうか。 |
| エフタルのナスプキ・マルカ銀貨(5~6世紀) 表:エフタルの王の胸像。有翼の牡牛の頭飾りをつけている。銘:ナスプキ王。 裏:拝火壇と二人の神官。 25.4mm 厚さ1.6mm 3.6g エフタルは常にササン朝と争っていました。 このコインは、敵国ササン朝のコインに強い影響を受けています。 銅が多く含まれているため緑青を出しています。 |
| タバリスタンの1/2ドラクマ銀貨(8世紀) 表:王の胸像。 裏:拝火壇と二人の神官。 23.9mm 厚さ0.5mm 1.8g タバリスタンは、ササン朝がイスラムに滅ぼされた後も、カスピ海南岸に存続した国です。 外周の模様の数が増えています。 全く薄い銀の板です。僅か0.5ミリの厚さです。 |
| イスラムの1ディルハム劣位銀貨(8世紀) 表:城壁冠の王の胸像。かなりデフォルメされている。王の前にソグド文字で「ブハラの王」、 後にアラビア文字で「al-Mahdi」。 裏:拝火壇と二人の神官。 24.7mm 厚さ0.9mm 2.6g ササン朝をほろぼしたイスラムの、ソグディアナ地方の知事al-Mahdiが発行したものです。 ササン朝のコインをかなりデフォルメしています。 イスラムが偶像を嫌ったのはもう少し後の時代からです。 銀の質はかなり悪そうです。 |
206 神殿の祭司ササンの子、パーパク、ペルシャ王を称する。 226 パーパクの子、アルデシールⅠ、パルチアを滅ぼし、ササン朝ペルシャが成立する。 首都はクテシフォン。 230 ゾロアスター教(拝火教)を国教とする。 232 ローマよりアルメニア地方を奪う(この頃盛んにローマと戦う)。 240ころ クシャン朝を征服する。 260 アルデシールの子、シャープールⅠ、エデッサの戦いでローマ軍に大勝。 皇帝ら7万のローマ人を捕虜にする。 捕虜たちによりローマの土木技術が伝わる。 339~ キリスト教徒を迫害する。 363 ローマのユリアヌス(背教者)、クテシフォンを攻撃するが、敗退。 395 ローマ、東西に分裂。東ローマ(ビザンチン帝国)もしばしばササン朝と戦う。 425 エフタルの侵入始まる。 435 東ローマでキリスト教ネストリウス派が追放され、ササン朝ペルシャに亡命。 (後中国に伝わり、「景教」と呼ばれる) 558ころ ホスローⅠ、突厥と同盟してエフタルを討つ(この頃ササン朝の最盛期)。 622 イスラムのヘジラ(聖遷)元年。 628 ホスローⅡが没し、国が乱れ、何人かの王が乱立する。 629~645 玄奘、インドへ行く。 642 ヤズデギルドⅢ、ニハーバンドにてサラセン軍に大敗し、ササン朝は事実上滅亡する。 651 ヤズデギルドⅢ、東方に逃れる途中で殺害され、ササン朝は完全に滅亡。 |