1865年夏・ペテルブルグ


 (1)
①ラスコーリニコフの家、②老婆の家、③ソーニャの家、④警察署
(Googleマップを利用しました)
  7月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮どき、ひとりの青年が、S横町にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩き出した。
  これは、1865年のロシア第二の都市、ペテルブルグの裏町でのできごとです。 青年の名はラスコーリニコフといいます。 青年は元大学生で、故郷に住む母親が乏しい年金(年120ルーブル)の中から送ってくれるお金で貧しい生活をしていました。 

1ルーブル銀貨
1868年発行 20.6g 35.5mm
  お金に困った青年は、父の形見の銀時計を近所の金貸しの老婆のところへ持って行きます。
  「質草をもってきたんですよ、これですけど!」そう言うと彼は、古びた平型の銀時計をポケットから取り出した。
  「ルーブルで4枚は貸してくださいよ、親父のだし、きっと受けだすから。もうじき金がはいるんですよ」
  「1ルーブル半で利子は天引き、それでよろしければ」
  「1ルーブル半!」青年は思わず声を高めた。
  結局、金貸しの老婆は利息引きで1ルーブル15カペイカしか貸してくれませんでした。

 (2)
20カペイカ銀貨
1869年発行 3.5g 22.0mm
  青年は金貸しの老婆を斧で殺してしまいます。 
  ”天賦の才をもった人間は、低級な(凡人の)部類の人間を殺す権利がある”、と病的に結論づけたのです。
  奪った財布には銀317ルーブルと20カペイカ銀貨が3枚あったのですが、その中身を見ることもなく、近くにあった大きな石の下に隠してしまいます。
  老婆を殺した後は数日間、熱にうなされました。

 (3)
  たまたま尋ねてきた親友が、青年の服装のみすぼらしさに見かねて、買い物をしてきてくれました。
  「こんどは靴だ--どうだい? 古物だってことはすぐわかるが、二ケ月は十分役に立つぜ。なにしろ外国製の舶来品だものな。イギリス大使館の書記官が先週、古物市に出したのさ。6日履いたきりの品だが、金がひどく入用だったとかでね。値段は1ルーブル50カペイカ。掘り出し物だろう?」
  親友が買ってきてくれたものは次のとおりでした。
    ズボン 2ルーブル25カペイカ
    靴   1ルーブル50カペイカ
    帽子       80カペイカ
    下着  5ルーブル (シャツ3枚ほか)
    計   9ルーブル55カペイカ

 (4)
5カペイカ銀貨
1852年発行 1.0g 15.0mm
  青年は、自首します。 警察署へ行く途中、赤ん坊をかかえた女がほどこしを乞うていました。
  「おや、5カペイカ玉がポケットに残っていたぞ、どこから? さあ、さあ・・・・・取っときなよ、小母さん!」

 (5)
3カペイカ銅貨
1844年発行 30.7g 38.7mm
  ドストエフスキーは、1865年夏、ドイツのホテルで賭博に負け、一文無しになりました。食事にも困った彼は、「ロシア報知」の編集者に手紙を書いて、300ルーブルの借金をします。その返済のために書いたのが、この『罪と罰』です。
  この当時ロシアの工場労働者の賃金は、1日0.5~1ルーブルだったそうですから、私たちの感覚では1ルーブル=1万円、1カペイカ=100円程度と考えます。 (とすると、親友の買ってきた衣類は異常に高価なのですが、「物」は私たちの想像できないくらい貴重だったのでしょう)

  テキストは、次の本を利用しました :
    ドストエフスキー、江川卓訳、『罪と罰』、岩波文庫、2000


2004.5.30