「シャーロック・ホームズの冒険」の謎


 ●『ボヘミアの醜聞』
ソブリン金貨 1897年発行 8.0g 21.8mm
(ヴィクトリア女王です)
 ■馬車に乗りながら金時計を引きずりだしてみて、『大急ぎでとばしてくれ。リージェント街のグロス・エンド・ハンキー商店をまわって、エッジウェア街の聖モニカ教会までだ。20分でまわったら半ギニーやる』とどなった。 馬車は行ってしまった。 あとを追うべきか、どうしたものか迷っていると、・・・・
 あの女がなかからとびだして、ひらりと乗りこんだ。『聖モニカ教会よ。20分で行けたら半ソヴリンあげるわ』と彼女も急いでいる。

 「ギニー」と「ソヴリン」は、通貨の単位というより、金貨の名称です。 それぞれ21シリングと20シリングに相当します。

 【謎①】 ギニー金貨、半ギニー金貨が発行されたのは1813年までで、ホームズの時代(1891~1927年)にはソヴリン金貨に代わっていました。 そんなに古い金貨がまだ日常生活の中で使われていたのかな?

 ●『唇の捩れた男』
1ペニー銅貨 1857年発行 18.6g 34.2mm
(若いころのヴィクトリア女王です)
 ■「こいつは君にも分かるまいね。 セントクレア氏の上着にはね、ポケットというポケットに1ペンスと半ペンスの銅貨がざくざくはいっていたんだよ。 みんなで1ペンスが421枚、半ペンスが270枚あった。」
 新聞記者のセントクレア氏が、取材のために素人乞食をしたところ、7時間で26シリング4ペンスも稼ぎがあり、それ以来奥さんにも内緒で乞食を本業にした、という物語です。

 【謎②】 上着のポケットにはいっていたというコインの重さ、合計すると10キロくらいになります。 ちと重過ぎません?

半ペニー銅貨 1918年発行 5.2g 25.3mm
(ヴィクトリア女王の孫のジョージ5世です)
 イギリスの貨幣単位は複雑です。
 1ポンド=20シリング、1シリング=12ペニー(複数形はペンス)、1ペニー=4ファージング
が基本なのですが、この他に、
 1ギニー=21シリング、 1ソヴリン=20シリング、 1クラウン=5シリング、 1フローリン=2シリング、 1グロート=4ペニー
などの呼び方もありました。 そして、多種類の金貨・銀貨・銅貨が使われていました。
 【金貨】 5、2ポンド  1、半ソヴリン
 【銀貨】 1、半クラウン  2、1フローリン  1シリング  6、4、3、2、1½、1ペニー
 【銅貨】 1、半ペニー  1、半ファージング

 ●『花婿失踪事件』
1シリング銀貨 1870年発行 5.6g 23.4mm
 ■「こっちはホテルの付けらしいものがある。こいつが僕にはたいへんおもしろいのですよ。」
  「そんなものが何になるもんですか。私も見ましたが、
          
10月4日
室 料8シリング6ペンス
朝 食2シリング6ペンス
カクテル1シリング
昼 食2シリング6ペンス
シェリー1杯8ペンス




  とあるだけです。」

 ホームズはこの書き付けを見て、高額な料金から一流のホテルのものだと推定し、謎を解きました。

 【謎③】 この金額、名探偵ならずとも ”高い!”と思いせんか? (現代人感覚での金額は後で述べます)

 ●『赤髭組合』
 ■『で、俸給のほうは?』 『1週4ポンドです』 『そして仕事は?』 『仕事といってもほんの名ばかりです』
 失業中だったウィルスンさんは変な仕事を紹介されました。 1日4時間、いつも決まったところで大英百科事典を写すだけで、週4ポンドの給料なのです。 週4ポンドとは、高いのでしょうか、少ないのでしょうか。

 ホームズの作品中に出てくる人たちの収入を一覧にしてみました。
 【謎④】 1日4時間の仕事で週4ポンド。 あまりの好条件にウィルスンさんは、不思議に思わなかったのかな?

出典事件発生日賃金仕事の内容年換算(£)
赤髭組合1887年10月ウィルスン氏週4ポンド毎日10時から14時まで大英百科事典を写す200
花婿失踪事件1887年10月サザーランド嬢年100ポンド2500£のニュージーランド公債の利息(年利4.5%)100
1枚1ペニータイプ(1日15~20枚)20~30
唇の捩れた男1887年6月セントクレア氏週2ポンド夕刊新聞の記者100
椈(ぶな)屋敷1889年4月ハンター嬢月4ポンドマンロー大佐家の家庭教師48
黄色い顔1888年4月マンロー氏年収700~800ポンドホップ商700~800
株式仲買店員1889年6月ファークァー氏年収1200ポンド医師(最盛期)1200
年収300ポンド医師(病気になってから)300
パイクロフト氏週3ポンド株式仲買店員150
技師の親指1889年9月ハザリー氏2年間で27ポンド10シリング水力技師。相談3件、工事1件だけ 
緋色の研究1881年3月ワトソン1日に11シリング6ペンス休暇中の政府からの支給額200



       
10月4日
室 料20,400円
朝 食6,000円
カクテル2,400円
昼 食6,000円
シェリー1杯1,600円
 19世紀後半の平均的なイギリス人の年収を、いろいろな資料から調べてみました。
    富裕層  750ポンド~  (馬車を所有している階層)
    ジェントルマン 250ポンド~(このころ、下男・下女を雇う階層を「ジェントルマン」と呼んだそうです)
    熟練工  50~100ポンド
    工員   20~50ポンド
    下女   5~20ポンド(賄いつき)
 これらから、1ポンドは少なくても5万円には相当しそうです。 とすると、「花婿失踪事件」のホテルのレシートは右のようになり、庶民の目からすると、ひとめで ”高級ホテル”と思えます。

 【参考】明治33年(1900)に日本で発行された『汽車汽船旅行案内』の「欧州航路案内記」によると、ロンドンのホテル代は、およそ次のとおりでした。
    室料(寝室だけ) 3~10シリング
    室料(文房具等備付) 5~20シリング
    朝食 1~4シリング
    昼食 2~10シリング

■ コナン・ドイル年譜
 1859年、スコットランドのエディンバラに生まれる。
   父はスコットランド王室建築局の建築技師で、年俸250ポンド。必ずしも豊ではなかったが、息子を大学に進学させる。
 1876~81年、エディンバラ大学で医学を学ぶ。
   在学中、外科医の助手で月2ポンド、捕鯨船の船医を8か月やって50ポンド、雑誌に短編小説を投稿して3ポンド3シリングを稼ぐ。
(1880年、高峰譲吉、グラスゴーに留学。1か月の生活費は14ポンド余。官費で支給されたのは月12ポンド。)
 1882年、このころのドイルの収入は週3ポンド。下宿代は週1ポンド、食事代は1回1シリング。
 1886年、「緋色の研究」の著作権を25ポンド(35ポンド?)で出版社に売却。
 1890年、「四つの署名」を発表。このころからホームズ物が大人気となる。
 1891年、ストランド誌の原稿料、1話あたり35ポンドを50ポンドに値上げ。
 1893年、「最後の事件」で、ホームズの連載をいったん終わらせる。
(1900年、夏目漱石、ロンドンに留学。最初のホテル代は1泊12シリング。その後の下宿代は週40シリング。最初の1か月の生活費は15ポンド。官費で支給されたのは月15ポンド。)
 1902年、ナイトの称号を受ける。
 1903年、読者の強い要望で、「空家の冒険」でホームズ復活。
 1927年、「ショスコム・オールド・プレース」を発表。ホームズ物の最後となる。
 晩年、心霊術に凝ってしまい、25万ポンド(?)をつぎ込む。
 1930年、71歳で没。

 参考文献 :
   コナン・ドイル、延原謙訳、「シャーロック・ホームズの冒険」、新潮文庫、1953
   ライリー&マカリスター、日暮雅通訳、「ミステリ・ハンドブック シャーロック・ホームズ」、原書房、2000
2005.5.8