文政五年のカルロス銀貨

大洲の武家に伝わっていたカルロス銀貨
1776年、リマにて製造
表:カルロス3世像、周囲にCAROLUS・III・DEI・GRATIA・1776
 カルロスCarlos3世はスペイン王(在位1759~88)。
 銘にはCAROLUS(カロルス)とあるが、これはラテン語表記。
裏:中央に王冠と楯紋章、左右にヘラクレスの柱、周囲にIND・REX・LIMAE・8R・M・I・HISPAN・ET
26.6g 40mm 品位903

 ● スペイン領アメリカ
 新大陸発見以来、スペインは新大陸の太平洋側のすべてを領有していました。 そして、メキシコや現在のボリビアで良質の銀山が発見されました。 その中でも、ボリビアのポトシ銀山が有名です。 スペインは、この銀で多くの銀貨を作りました。 上の銀貨は、1776年にリマで製造された「8レアル銀貨」で、その当時の国際貿易で最も盛んに利用されたものです。

  この銀貨ほど異名が多いコインはありません。
  ・”Carlos Silver"(カルロス銀貨)、”Carlos Dollar"(カルロス・ドル)
    16世紀から、南ドイツで良質の大形銀貨が発行され、原産地名からTarler(ターラー)と呼ばれていましたが、
    北部ドイツではDahler(ダーラー)となまり、イギリスではDollar(ダラー)と呼ばれるようになりました。
  ・”Spanish Dollar"(スペイン・ドル)、”Spanish Peso"(スペイン・ペソ)
    本来Pesoは”重さ”を意味するスペイン語ですが、いつしかこの銀貨のことをPesoと呼ぶようになりました。
  ・”Pillar Dollar”(柱のあるドル)
    裏面のヘラクレスの柱は、ジブラルタル海峡の両岸に建っている柱として有名なものです。
    森鴎外は、このコインを「柱文銀」と訳しています。
  ・”Piece of eight”
    この銀貨は、カリブ海の海賊たちにも人気があり、彼らはこの銀貨を”Piece of eight”と呼んでいました。
    銀貨を8等分して1リアルとして使った習慣があったのでしょうか。
    しかし厚さ2.2mmもあり、切断するのはちょっと難しそうです。
  ・”本洋” 
    これは中国(清)での呼び方です。 詳しくは、後で説明します。
  ・”佛面銀”、”佛頭銀” 
    これは台湾での呼び方。 カルロス王の姿が仏様に似ているからとの呼び方です。

 アメリカが独立したのは、まさにこのコインが発行された1776年のことです。 このころのアメリカでは、このカルロス銀貨がそのまま正式な通貨として使われていました。 1794年、アメリカが独自の貨幣を発行したとき、通貨の単位にこの”Dollar”を採用しました。 (アメリカでカルロス銀貨の通用が停止されたのは1857年のことです。)

 ● 中国(清) ~ 廣州
 カルロス銀貨は、ヨーロッパへ運ばれるとともに、アジアへも運ばれました。 この当時、メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラ間を定期的なガレオン船が往復し、スペインの銀貨を運び、帰りには中国の絹織物・陶磁器を運びました。
 当時の中国(清国)で、外国に対して開港されていたのは廣州(広州)だけです。(上海などが開港されたのは1840年のアヘン戦争後です)
 清では、銀貨は発行されておらず、ヨーロッパから来た銀貨、とくにこのカルロス銀貨を「本洋」と呼んで盛んに使っていました。 「本洋」とは”西洋から来た本格的な貨幣”、といった意味合いでしょう。
 「本洋」は、本来の銀の重さ以上の価値をもって取引に使われ、そのうち粗悪な偽物が出てきました。 商人たちは、コインの表面に傷をつけて本物であることを確かめました。 この刻印は幾何模様のようなものや、商人の屋号を示す漢字などがあり、多く打たれているとそれだけで信用も大きくなりました。
  
カルロス銀貨に打ち付けられた刻印


 ● 日本 ~ 長崎、伊予大洲
 伊予大洲藩は、加藤氏6万石の小藩ですが、中江藤樹以来学問の盛んなところでした。
 しばしば長崎に藩士を出張させ、新しい文物を取り入れていました。 幕末に坂本竜馬が使った蒸気船「いろは丸」も、大洲藩がオランダより42500両で購入したものです。

 文政5年(1822)、ある大洲藩士が長崎に出張しました。 藩士の名前と目的は残念ながら分かりません。 しかし、この藩士に随行した家臣の家に、このときに長崎で入手したカルロス銀貨が伝わっていました。 長崎のオランダ人または清国人から入手したものでしょう。 宝物のように和紙に包んでしまわれていました。

    銀
    銭
 之文 併
 刻政 阿
 賜五 蘭
 之午 陀
  秋 十
  家 文
  君 銭
  長
  崎
  随
  行


 包みには、「銀銭とオランダの10文銭」と書かれています。 「銀銭」がこのカルロス銀貨のことです。 交易の許されていないスペインの貨幣を持つことは、ひょっとすると命がけのことだったのかも知れません。
オランダの10ストイフェル劣位銀貨
1791年発行 5.3g 28.0mm

 「オランダ10文銭」の方は散逸していますが、オランダが発行した10ストイフェル貨ではなかったかと想像します。

 ともあれ、この銀貨は、ポトシ⇒リマ⇒アカプルコ⇒マニラ⇒廣州⇒長崎⇒大洲と旅をしてきました。 途中でオランダ人の基地、バタビア(日本名ジャガタラ、現ジャカルタ)に寄り道した可能性もあります。


2006.1.14  2006.5.7 Update