維新前後の紙幣

  江戸時代の紙幣は藩札だけではありません。 そもそも日本の最初の紙幣は、伊勢山田地方で商人が釣銭がわりに利用していた「羽書(はがき)」が最初といわれています。
  江戸後期、大名だけでなく、日本各地で個人や団体が発行しています。 特に幕末から明治3年にかけての政治と経済の混乱期、西日本を中心に大量に発行されました。

      ①          ②       ③      ④      ⑤
①旗本札 播磨佐用 銀百目預
 大名の藩札だけでなく、札を発行した旗本もいます。
 これは播磨佐用郡4ケ村(現、兵庫県佐用町)2000石の旗本、松平氏(松井松平氏)が発行したものです。
 巳は安政4年(1857)と思われます。
 185×64mm

②村札 但馬二方郡口組札 銭百文
 但馬の口組(くちぐみ、現兵庫県浜坂町にあったいくつかの村の集まり)の融通札です。
 融通札とは、村への約束手形、または借用証書のようなものです。 浜坂は天領や諸大名の領地が錯綜していた所で、代官所の目が行き届かないのを幸いに、実に多数の札を発行しています。
 158×45mm

③寺社札 興福院 銀壱匁 
 奈良市にある法相宗の大本山で、南都七大寺の一つです。
 慶応2年(1866)の発行です。
 153×35mm

④宿場札 駿河島田宿 賃米二合五勺
 明治2年(1869)、宿場の利用者が増加したのに、小額貨幣が極端に不足したため発行されたものです。
 この時代、単純労働者の1日の賃金は米2~3升相当でしたから、米2合5勺は1時間くらいの労賃でしょうか。
 115×37mm

⑤府県札 奈良府 銭五拾文
 明治元年(1868)、新政府は旧幕府領(天領)と寺社領を、「府」または「県」に編成しました。 奈良地方におかれたのが「奈良府」です。
 104×33mm



参考文献
 百田米美、「旗本札図録」、兵庫紙幣史編纂所、1992
 山本茂信、「浜坂町史」、浜坂町役場、1967


2002.3.17