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明治人の俸給

●その1 庶民の場合
●その2 官吏の場合
●その3 地方公務員の場合
●その4 小学校の先生の場合
●その5 中学校の先生の場合
●その6 士族の場合
●その7 著名文化人の場合
●その8 高額所得者の場合
●その9 女性の場合
●その10 御雇外国人の場合
●付録


(xx) は数えの年齢です。

岩倉具視 文政8(1825)~明治16(1883)
 江戸時代の岩倉家は、家領150石の下級公家。
 明治元年(44)、議政官・議定、月俸700両。
 明治2年(45)、大納言、現米年900石(月600両相当)。
 明治4~16年(47~59)、右大臣、月俸600円。

福沢諭吉 天保6(1835)~明治34(1901)
 江戸時代の福沢家は、中津藩の中小姓格で、家禄13石2人扶持の下級武士。
  (諭吉は福沢家の次男)
 安政5年(24)、中津藩の江戸藩邸内に「蘭学塾」を開校。
 文久元年(27)、幕府の命によりヨーロッパに派遣される。手当て400両。
 元治元年(30)、幕府外国方翻訳局に出仕。禄高150俵、正味100俵。
 慶応4年(34)、「蘭学塾」を「慶応義塾」と改称。
  当時、慶応義塾の生徒の授業料は月金2分、教師の給料は金4両。
 明治2年(35)、中津藩より受けていた6人扶持(玄米年9石)を辞退。

板垣退助 天保8(1837)~大正8(1919)
 江戸時代の乾家は、土佐藩300石の上士。
 慶応4年(32)、御親征東山道総督府先鋒参謀。 このとき板垣に改姓。
 明治元年(32)、土佐藩陸軍総督、家禄600石。
 明治2年(33)、議政官・参与、月俸600両。
   同年、会津戦争の功により、永世賞典禄1000石。
 明治3年(34)、高知藩大参事(俸給不明)
 明治4~8年(35~39)、参議、月俸500円。
 明治8年(39)、征韓論に敗れて下野。
 明治14年(45)、自由党総理(党首)。
 明治29年(60)、伊藤内閣の内務大臣、明治31年(62)、大隈内閣の内務大臣、月俸500円。

渋沢栄一 天保11(1840)~昭和6(1931)
 武蔵の豪農の三男として生まれる。
 元治元年(25)、一橋家に出仕。奥口番、4石2人扶持+滞京手当月4両1分。
 慶応元年(26)、一橋家の御勘定組頭にまで出世、25石7人扶持+滞京手当月21両。
 慶応2年(27)、幕府陸軍奉行支配調役。
 明治元年(29)、静岡藩商法会所頭取。
 明治2年(30)、大蔵省租税司正、年給米200石(月俸133円相当)。
 明治5年(33)、大蔵省三等出仕、紙幣頭、月給350円。
 明治6年(34)、大蔵省を辞職し、第一国立銀行を設立し、総監、のち頭取となる。
  このころから、数百の会社の設立に関与。
 明治20年(48)、この年の所得は97,316円(日本第8位)。
 明治23~24年(51~52)、貴族院議員、歳費800円。
 明治29~大正5年(57~77)、第一銀行頭取、年俸6000円。
 昭和2年(88)、この年の所得は35.6万円
(右の画像は、政府発表の資料を利用しました)

伊藤博文 天保12(1841)~明治42(1909)
 周防の農家に生まれ、長州藩の足軽となる。
 慶応4年(28)、兵庫県知事、月俸250両(?)
 明治元年(28)、外国官・判事、月俸500両。
 明治2年(29)、大蔵省・少輔、現米年450石(月300両相当)。
 明治4年(31)、工部省・大輔、月俸400円。
 明治6~18年(33~45)、参議、月俸500円。
 明治11~13年(38~40)、内務卿、月俸500円。
 明治18~21年(45~48)、総理大臣、月俸800円。
 明治21~22年(48~49)、枢密院議長、年俸6000円。(この後も度々同職に就く)
 明治22~42年(49~68)、元老。
 明治23~24年(50~51)、貴族院議長、年俸5000円。
 明治38~42年(65~69)、韓国統監、年俸8000円。

北里柴三郎 嘉永5(1853)~昭和6(1931)
 肥後の庄屋の子として生まれる。
 明治16年(31)、内務省衛生局御用掛、月給70円。
 明治18~25年(33~40)、ドイツに留学。
 明治25年(40)、内務省に復職、月給80円。 私立伝染病研究所を設立。
 大正3年(62)、内務省を辞任し、私立北里研究所を設立。
 大正5年(64)、大日本医師会(後日本医師会)会長。
 大正6年(65)、貴族院議員、歳費2000円。
 昭和2年(75)、この年の所得は6.3万円
(右の画像は、政府発表の資料を利用しました)

高橋是清 嘉永7(1854)~昭和11(1936)
 幕府御用絵師の子として生まれる。
 明治4年(18)、唐津藩耐恒寮の英語教師、月俸100円。(破格の待遇)
 明治6年(20)、文部省督学局十等出仕、月俸40円。
 明治8年(22)、文部省督学局九等出仕、月俸50円。
 明治17年(31)、農商務省権少書記官、月報100円。
 明治25年(39)、日本銀行建築事務主任、年俸1200円。
 明治26年(40)、日本銀行西部支店長(馬関=現下関)、年俸2000円。
 明治28年(42)、横浜正金銀行本店支配人。
 明治30年(44)、同副頭取。
 明治32年(46)、日本銀行副総裁。
 明治39年(53)、横浜正金銀行頭取を兼任。
 明治44~大正2年(58~60)、日本銀行総裁、年俸6000円。
 大正2年(60)、大蔵大臣、月俸500円。これより何度か大蔵大臣、農商務大臣などを歴任。
 大正10~11年(68~69)総理大臣、月俸1000円。

津田梅子 元治元年(1864)~昭和4(1929)
 佐倉藩士の子として生まれる。 明治4~15年(8~19)、米国留学。
 明治16年(20)、メソジスト教会の教師、月給20円。
 明治18年(22)、華族女学校教授補、準奏任官で、年俸420円。
   翌年、教授となり年俸500円。
 明治22~25年(26~29)、再渡米。
 明治31年(35)、華族女学校教授と女子高等師範学校教授を兼任、
   高等官五等で、年俸800円。
 明治33~大正8年(37~56)、女子英語塾(現津田塾)を開校し、塾長。
   当初は無給、明治37年(41)から月給25円。
(右の画像は、政府発表の資料を利用しました)

夏目漱石 慶応3(1867)~大正5(1916)
 江戸の名主の子として生まれる。
 明治19年(20)、江東義塾の教師、月に5円のアルバイト。
 明治26年(27)、東京高等師範学校の嘱託教師、年俸450円。
 明治28年(29)、松山中学教員、月俸80円。
  (このとき、松山中学の校長は、月俸60円)
 明治29年(30)、熊本第五高等学校教授、月俸100円。
 明治33年(34)、官費でイギリス留学、年間手当1800円。
  (その間家族には年300円支給)。
 明治36年(37)、帝国大学講師(年俸800円)、兼第一高等学校教授(年俸700円)、
   合計すると、年俸1500円(月に125円)。
 明治37年(38)、明治大学の講師(月俸30円)も兼任。
 明治38~39年(39~40)、『吾輩は猫である』などの原稿料と印税で、2年間で3500円以上の収入。
 明治40年(41)、東京朝日新聞社入社、月俸200円+賞与(合計3000円以上か?)。
  (このとき、東京朝日新聞社の社長は、月俸150円)
   帝大教授の椅子を捨てて新聞社に入社したのです、当時は大評判になりました。

樋口一葉 明治5(1872)~明治29(1896)
 一葉の父樋口則義は、江戸南町奉行所同心(30俵2人扶持)、東京府権少属(年俸現米26石)、東京府権中属(月給30円)などをしていたが、起業しようとして失敗、一葉親子の貧困生活が始まる。
 明治25年(21)、短編『うもれ木』の原稿代として11円75銭(=25銭×47枚分)受け取り、母は早速知人から借りていた6円を返済しました。 残りで家族3人がなんとか1ケ月暮らせたそうですが、決して豊かな暮らしではありません。
 ■(明治26年(22))三月十五日、曇る。昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし。母君これを苦しみて、姉君のもとより二十銭かり来る。・・・『よもぎふ日記』
 明治28年(24)、雑誌「文学界」に連載を開始した『たけくらべ』の原稿代1枚77銭。(「たけくらべ」全体ではおよそ160枚になるため、123円程度か?)
(右の画像は、日本銀行のHPを利用しました)

野口英世 明治9(1876)~昭和3(1928)
 明治30年(22) 順天堂病院助手、食事つき月俸2円、後3円。
 明治31年(23)、伝染病研究所見習助手、月俸12円、後13円、さらに15円。
 明治32年(24)、横浜海港検疫所検疫医、月俸35円。
 明治32年(24)、清国の牛荘(ニュウチャン)でのペスト防疫班に加わる。
    任期6ケ月、月俸200両(テール)。
    任期後もしばらく、ロシア衛生隊の依頼で滞在、月俸300両。
   (1両=1.3円)
 明治33年(25)、ペンシルバニア大学フレキスナー教授の私設助手、月俸8ドル。
   (1ドル=2円)
 明治34年(26)、ペンシルバニア大学研究助手、月俸25ドル。
 明治35年(27)、同大学病理学助手、月俸50ドル。
 明治37年(29)、ロックフェラー研究所アシスタント(一等助手)、年俸1800ドル。
 大正3年(39)、同研究所メンバー(正員)、年俸5000ドル。
(右の画像は、日本銀行のHPを利用しました)


 ●その1 庶民の場合
  庶民の場合はどうだったでしょうか。
巡査初任給小学校教員
初任給
東京の石工
(1日の労賃)
東京の大工
(1日の労賃)
日雇人夫
(1日の労賃)
住込み下男
(ひと月、賄付)
住込み下女
(ひと月、賄付)
明治8年6円81銭42銭
明治13年47銭34銭
明治18年58銭47銭16銭1円38銭75銭
明治23年5円65銭50銭
明治28年8円8円54銭22銭1円64銭90銭
明治33年9円10~13円1円35銭84銭37銭2円70銭1円56銭
明治38年1円19銭85銭41銭3円22銭1円79銭
明治43年12円1円48銭1円15銭53銭4円56銭2円96銭

  石工さんは、当時の技能労働者の中では最高給でした。
  また、石工・大工さんの労賃、東京は全国平均の2倍くらいでした。
  ひと月5円あれば何とか生活でき、10円あれば人並みの生活を送れる、そんな時代のようです。

明治初期の硬貨  左半分は銀貨、右半分は銅貨
(画像は『日本貨幣カタログ』を利用しました)

 ●その2 官吏の場合
  官吏の俸給表の一部です。 明治8年9月の『官員録』などから作成しました。 明治8年4月に改訂された官制です。
官の種類等級月俸太政官正院元老院一等寮二等寮三等寮警視庁陸海軍その他
勅任官1等800円
600円
500円
太政大臣
左右大臣・参議

議長・副議長
議官


   

大将


大審院一等判事
2等400円  大輔   中将特命全権公使
3等350円大内史 少輔  知事 大警視少将司法省大検事
奏任官4等250円権大内史・大外史大書記官大丞権頭 権知事権大警視大佐(総領事)
5等200円権大外史・少内史権大書記官少丞権頭参事権令中警視中佐(領事)
6等150円権少内史・少外史少書記官 権助権頭権参事参事権中警視少佐 
7等100円権少外史権少書記官  権助 権参事少警視大尉 
判任官8等70円大主記大書記生大録 大属・大技師大属権少警視中尉 
9等50円権大主記権大書記生権大録権大属・中技師権大属大警部少尉 
10等40円中主記少書記生中録 中属・少技師中属権大警部少尉補 
11等30円権中主記権少書記生権中録 権中属・大技手・大手 権中属中警部(曹長) 
12等25円少主記 少録 少属・中技手・中手少属権中警部(軍曹) 
13等20円権少主記 権少録 権少属・少技手・少手 権少属少警部(伍長) 
14等15円大舎人 筆生史生・大技生・技術心得史生権少警部  
15等12円  省掌寮掌・中技生、技術見習府掌県掌警部補  
等外1等10円使部一等巡査  
2等8円直丁二等巡査  
3等7円門番三等巡査  
4等6円小舎人   

  当時の「省」は、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、文部、教部、工部、司法、宮内の10省がありました。 「卿(きょう)」が大臣、その下の「大輔(たゆう、たいふ)」、「少輔(しょう、しょうふ)」は次官クラスです。
  「寮」は現在の庁・局に相当するもので、規模により一等(造幣寮など)、二等(駅逓寮など)、三等(記録寮など)の区別がありました。長官は頭(かみ)です。
  「府」は、東京府、京都府、大阪府の3つありました。「県」は、現在のと似ているところもありますが、足柄・堺・名東・白川などの県もありました。

  このときの「一等官」は次の人たちでした。
  色は出身を表わしています。皇族・公卿・大名薩摩長州土佐肥前幕臣、その他、です。
  名前の直後の記号は次の意味です。
    ❸維新の三傑
    ④逓信四天王
    ⓹長州五傑 他に、井上薫(40)
    ㊆七卿落ち 他に、三条西季知(68)、東久世通禧#(42)、錦小路頼徳(没)、澤宣嘉(没)
    # 岩倉使節団参加者
    * 西南戦争の反政府側

   【太政大臣】三条実美㊆(39) 【左大臣】島津久光(59) 【右大臣】岩倉具視#(51)
   【参議・宮内省御用掛】木戸孝允❸#(43) 【参議・内務卿】大久保利通❸#(46) 【参議・大蔵卿】大隈重信(38) 【参議】板垣退助(39)
   【参議・司法卿】大木喬任(44) 【参議・外務卿】寺島宗則(44) 【参議・陸軍卿・陸軍中将・近衛都督】山県有朋(38)
   【参議・工部卿】伊藤博文⓹#(35) 【参議・開拓使長官・陸軍中将】黒田清隆(36)
   【宮内卿・宮内省侍従長】徳大寺実則(36) 【陸軍大将】西郷隆盛*❸(48) 【琉球藩王】尚泰(33)
   【元老院副議長】後藤象二郎(38) 【元老院議官】有栖川熾仁(41)、長谷信篤(58)、壬生基修㊆(41)、柳原前光(26)、勝安芳(53) (※1)

  (※1)元老院議官には、他に17名が名を連ねていますが、位階からみると二等官以下だったと思われます。
   【元老院議官(二等官?)】 従四位・山口尚芳#(39)、由利公正#(47.福井) ほか6名
   【元老院議官(三等官?)】 正五位・陸奥宗光(32.和歌山)、佐野常民(53)、河野敏鎌(32) ほか6名
   【元老院議官(四等官?)】 従五位・加藤弘之(40.出石)

  その他の著名人です。
  二等官 【司法大輔・陸軍少将】山田顕義#(32) 【海軍大輔・海軍中将】河村純義(40) 【工部大輔】山尾庸三⓹(39)
      【ロシア特命全権公使・海軍中将】榎本武揚(40) 【ドイツ特命全権公使】青木周蔵(32)
  三等官 【外務少輔】森有礼(29) 【大蔵省三等出仕・租税頭】松方正義(41) 【鉄道頭】井上勝④⓹(33) 【警視庁大警視】川路利良(42)
      【軍医総監・馬医監】松本順(良順)(44) 【陸軍少輔・陸軍少将】大山巌(34)
      【陸軍少将】四条隆謌㊆(48) 【同】谷干城(39) 【 同 】桐野利秋*(37) 【 同 】篠原国幹*(39) 【東京府知事】大久保一翁(58)
  四等官 【太政官正院四等出仕】福地源一郎#(35) 【内務大丞・駅逓頭】前島密④(41.越後) 【宮内大丞】山岡鉄太郎(40)
      【工部大丞・電信頭】芳川顕正(34.徳島)【大蔵大丞・紙幣頭】得能良介(51) 【大蔵大丞】遠藤謹助⓹(40) 【造幣権頭】石丸安世④(37)
      【工学権頭・製作頭・勧業寮四等出仕】大鳥圭介(43) 【内務省四等出仕】町田久成(38) 【陸軍省四等出仕】西周(47.津和野)
      【神奈川県令】中島信行(30) 【鶴岡県令・教部大丞・五等判事】三島通庸(41) 【鹿児島県令・五等判事】大山綱良*(51)
  五等官 【権典侍】柳原愛子(21) 【外務省一等書記官】品川弥次郎(33) 【大審院五等判事】児島惟謙(39.宇和島)
      【電信権頭】石井忠亮④(36) 【陸軍歩兵中佐】山川浩(31.会津) 【一等軍医正】緒方惟準(33.洪庵の次男) 
  六等官 【太政官正院少外史】久米邦武#(37) 【造幣権助】久世喜弘(治作)(51.大垣)
      【陸軍歩兵少佐】乃木希典(27) 【 同 】児玉源太郎(24) 【 同 】桂太郎(28) 【 同 】別府景長(晋介)*(29)
      【海軍少佐】伊東佑亨(33) 【海軍主計少監】猪山成之(32.金沢)
  七等官 【工部省鉄道寮七等出仕】小野友五郎(59.咸臨丸の航海長) 【陸軍歩兵大尉】寺内正毅(24) 【 同 】前田隆礼(28.十津川郷士)
  八等官 【文部省督学局八等出仕】加納久宜(28.上総一宮藩主)
  九等官 【文部省督学局九等出仕】高橋是清(22.仙台) 【陸軍歩兵少尉】徳川昭武(23.水戸藩主) 【警視庁大警部】佐川官兵衛(45.会津)
      【大審院二級判事】立見尚文(31.桑名)
  十等官 【陸軍歩兵少尉試補】池田徳澄(22.因幡鹿奴藩主) 【海軍少尉補】山本権兵衛(24) 【東京府中属】樋口則義(46.一葉の父)
      【造幣寮出仕】加納夏雄(48)
  十一等官 【埼玉県権中属】清浦奎吾(26.熊本)

  ・この直後の明治8年10月、島津久光、板垣退助らが辞任しています。
  ・このとき、西園寺公望(27)はフランス留学中、東郷平八郎(29)はイギリス留学中。
  ・このとき、二等官【陸軍中将】西郷従道(33)がいたはずなのですが、なぜかこの「官員録」には記載されていません。
  ・この「官員録」には記載されていませんが、このとき、等外【警視庁巡査】藤田五郎(32) がいました。元新撰組の斉藤一です。
  ・明治時代の官吏の職位と俸給の変遷については、『明治初年の職官表』 も参考にしてください。
  ・また、大臣などの顕官の俸給の変遷については、『顕官の給料(戦前のみ)の推移』 も参考にしてください。


  次の表は、官吏の人数と平均給与の推移です。 官吏は文官だけで、武官は含みません。
  ただし、1年を通じて勤務していない者も1年分の給与として計算しているため、実際の月給より小さい値になっていると思われます。
人 数平均月俸
勅任官奏任官判任官等外合計勅任官奏任官判任官等外平均
明治8年91人2,737人21,970人31,704人56,502人13.3円
明治13年116人3,581人22,424人37,100人63,211人14.6円
明治18年195人5,552人34,329人59,078人99,154人332.7円64.9円17.4円7.6円14.8円
明治23年160人3,492人25.942人20,759人50.353人356.4円81.1円17.9円9.3円19.8円
明治28年161人3,531人31,693人11,313人46,698人348.8円79.7円16.2円8.9円20.4円
明治33年288人5,031人43,940人43,312人92,571人340.6円88.5円22.1円13.9円22.9円
明治38年337人5,554人43,213人51,625人100,729人327,9円91.9円25.0円14.3円24.2円
明治43年576人8,337人59,465人116,667人185,045人373.8円118.9円35.5円17.3円28.8円

  次の表は、造幣局の職員と職工の平均給与です。
  職員は、局長(勅任官)の他は奏任官・判任官です。 職工は等外。
人 数平均月俸備 考
職員職工職員職工
明治20年111人339人29.6円8.8円局長は年俸3500円(月俸291円)。職工の月給は5~10円。
明治25年81人181人32.6円9.3円局長の年俸は3000円に減額
明治30年76人159人30.5円10.1円
明治35年72人145人38.9円12.7円
明治40年93人164人36.0円17.0円職工の給与は、日給12銭~1円10銭。
明治38年から女工も採用されたが、左の表の中には含まれていない。
明治43年100人174人43.6円18.1円局長の年俸は3700円。

大黒1円札  明治18年発行
現在でも1円として使えます(現役最古参通貨)

 ●その3.1 地方公務員の場合(1)
  明治17年の徳島県の役人の月俸です。 総勢714人です。
 職位人数平均月俸備考
県令1人250円奏任官4等
少書記官など3人100円奏任官7等
判任官133人22.7円属、収税属、警部など。12~50円の9階級
准判任御用係33人
等外出仕30人9.0円7~10円の3階級
准等外御用係51人
郡長8人45.8円30~60円の5階級
郡書記144人10.5円
郡御用係8人
戸長234人9.3円7~15円の6階級
師範学校
中学校
女学校
教諭13人28.2円師範学校、女学校は各1校
中学校は徳島、脇町、川島、富岡の4校
助教諭38人10.3円
御用係1人
書記5人8.4円
医学校教諭6人77.5円校長の月俸は150円
助教諭4人20.5円
書記2人9.0円

 【参考資料】 「徳島県職員録」 明治17年8月20日改

 ●その3.2 地方公務員の場合(2)
  明治40年の高知県の役人の月俸です。 総勢3755人です。
 職位人数平均月俸備考
知事1人300.0円 
事務官3人127.8円副知事クラス
場長1人100.0円農業試験場
主事1人70.0円水力電気事務所
視学2人45.0円教育委員
名誉職6人31.1円 
技師・技手・工師・工手51人29.2円技術系役人
守監1人24.7円 
54人23.0円中級役人
吏員・雇・書記など162人16.5円下級役人

(警察関係)
警視1人50.0円 
警部21人27.5円 
巡査361人13.6円内女性1名
市長1人83.0円高知市
助役1人50.0円 
視学1人40.0円 
技術員1人40.0円 
収入役1人25.0円 
書記など40人14.2円 
郡長7人61.9円 
視学7人30.0円 
書記など92人17.9円 
28人7.9円 
町村町村長189人14.1円名誉職に近い
技術員3人12.7円 
収入役186人11.3円 
助役235人11.2円 
書記など223人10.1円 
区長611人47銭「区」は大字相当。区長は名誉職
委員918人37銭 
区長代理者546人9.2銭 
 【参考資料】  高知県のホームページ


 ●その4.1 小学校の先生の場合(1)
  次の表は 明治39年の岩手県渋民尋常高等小学校の職員の月給です。石川一(啄木)が在職中のものです。
  年齢は数え年です。 訓導の上野(うわの)さめ子は、岩手県最初の女性教員だったそうです。
職位職員名 月俸 備考
校 長遠藤忠志18円高等科担当。師範卒
主席訓導秋浜市郎13円尋常3,4年担当。検定試験上り。50才くらい
訓 導上野さめ子12円尋常1年担当。師範女子部卒。23才。
代用教員石川 一8円尋常2年担当。22才。
  【参考資料】 石川啄木、『足跡』
  【参考資料】 上野まり、『啄木の思い出』 その他


 ●その4.2 小学校の先生の場合(2)
 明治42年の岐阜県の尋常小学校、高等小学校の先生たちの給料です。本科正教員、准教員、専科正教員の合計です。当時は「訓導」と呼ばれていました。
 月給6~7円は見習い先生でしょう。 55円まで大きな幅がありますが、ほとんどの先生は20円以下です。 冒頭の夏目漱石などと比べると大きな学歴格差がみてとれます。

 【参考資料】 岐阜県のホームページ




 ●その5 中学校の先生の場合
  次の表は 明治28年の松山中学の職員の月給です。夏目金之助(漱石)が在職中のものです。
職位職員名 月俸 担当備考
校 長住田  昇60円校長高等師範卒、「狸」のモデル
教 頭横地石太郎80円物理と化学帝大卒、「赤シャツ」のモデル
教 諭西川忠太郎40円英語札幌農学校卒
教 諭安芸 本吾35円博物徳島中学卒
教 諭渡部 政和35円数学「山嵐」のモデル
教 諭中村宗太郎30円歴史
教 諭中堀貞五郎30円地理東京物理学校卒、「うらなり」のモデル
助教諭村井 俊明25円漢文松山藩校明教館卒、子規を教えたこともある
助教諭弘中 又一20円数学と英語同志社普通学校卒、「坊ちゃん」のモデル
助教諭太田  厚20円漢文
助教諭高瀬 半哉18円画学「野だいこ」のモデル
助教諭伊藤朔太郎12円体操
助教諭浜本利三郎12円体操
助教諭心得安倍 元雄20円物理学校卒、「助教諭心得」は他に3人
嘱託教員夏目金之助80円英語帝大卒、『坊ちゃん』の作者
嘱託教員左氏  撞20円漢学
嘱託教員近藤 元弘10円漢学
書 記寒川 朝陽15円書記書記は他に1人
  校長先生より漱石の方が高給です! 帝大卒は、それだけで高給でした。 (小説の中の坊ちゃんの月給は40円ですが。)
 【参考資料】半藤一利、「漱石先生、お久しぶりです」、文春文庫、2007

 ●その6 士族の場合
 明治新政府の頭を最も悩ませていたことの一つは、士族(旧武士階級)の扱いでした。 当時3000万の人口に対して、5%の士族とその家族がいました。 この「座食」の階級のために国家予算の3分の1を消費しており、近代化をすすめるための大きな障害となっていました。 思い切ったリストラが必要でした。
 明治9年、士族のこれまでの土地・俸禄を取り上げ、代わって「金禄公債証書」を支給しました。 公債には年7%の利息がつきました。 この利息で生計をたてろ、とのことです。
 下の表は、旧福知山藩(3.2万石)の士族に対する支給状況です。
  
身 分員数金禄公債額面年間利息
旧藩主1人36,578円2,560円
上士の上級クラス35人992円69円
上士の下級クラス71人790円55円
中 士42人659円46円
下 士75人588円41円

 禄高百石の武士といえば、ちょっとしたお武家様でした。 上の表では、「上士の下級クラス」に属します。 年収は米40石(=このころ320円)で、下男下女を養う身分でした。 ところが、急に年収55円、何と6分の1になったのです。
 日雇い労働者でも、月に3~4円稼げた時代です。 とてもこの金額だけで生活ができるものではありません。
 官吏や巡査、教師などに転職できた士族は幸せでした。 明治12年の調査では、全国40万の士族のうち、官吏・巡査は6万人、町村役場の書記などは1万人、教師は3万人で、全体の4分の1にすぎません。 士族の多くは、それまでのプライドを捨て、農業、商業(武士の商法)、工業(といっても傘張り・提灯作りなど)に転じざるをえませんでした。 赤貧に苦しんだ士族も多かったようです。
 明治16年に政府が決めた収入の基準があります :
    『1家3人で年収70円、4~5人で年収120円が中等、それ以上が上等、それ以下が下等と区分する。』
【参考資料】 落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、1999
改造兌換銀行券1円(明治22年~発行)
(番号が漢数字で書かれています)


 ●その7 著名文化人の場合

文化人職 業月給
小泉八雲
1850-1904
明治23年(41)松江中学講師100円
明治24年(42)熊本第五高等学校講師200円
明治27年(45)神戸クロニカル社員100円+執筆料
明治29年(47)帝国大学講師(週12時間)400円(後450円)
明治37年(55)早稲田大学講師(週4時間)年2000円
高村光雲
1852-1934
明治22年(38)2月、東京美術学校雇い35円
5月、東京美術学校教授
(奏任官五等)
年俸500円
山川健次郎
1854-1931
明治9年(23)東京開成学校教授補70円
明治10年(24)東京大学教授補70円
明治12年(26)東京大学教授120円
明治19年(33)帝国大学理科大学教授年俸2100円?
明治26年(40)帝国大学理科大学長年俸2600円
明治34年(48)東京帝国大学総長年俸4000円?
森鷗外
1862-1922
明治14年(20)軍医副(中尉相当官)32円
明治21年(27)軍医(大尉相当官)52円
明治22年(28)二等軍医正(少佐相当官)93円
明治26年(32)一等軍医正(中佐相当官)143円
明治32年(38)軍医監(大佐相当官)193円
明治40年(46)軍医総監(少将相当官)300円
大正6年(56)帝室博物館総長(勅任官一等)年俸5000円(?)
牧野富太郎
1862-1957
明治12年(18)高知県佐川小学校教師3円
明治26年(32)東京帝国大学理科大学助手15円
明治45年(51)東京帝国大学講師75円
正岡子規
1867-1902
明治25年(26)新聞「日本」の記者15円(翌年20円)
明治27年(28)「小日本」に移る30円
明治31年(32)「日本」に戻る40円
藤島武二
1867-1943
明治26年(27)三重県尋常中学校助教諭23円
島崎藤村
1872-1943
明治29年(25)東北学院の教師25円
明治32年(28)小諸義塾の教師30円
岡本綺堂
1872-1939
明治24年(20)「日日新聞」記者15円
永井荷風
1879-1959
明治34年(23)「やまと新聞」雑報記者12円
石川啄木
1886-1912
明治39年(21)(岩手県)渋民尋常高等小学校代用教員8円
明治40年(22)函館商業会議所書記日給60銭
(函館)弥生尋常小学校代用教員12円(15円?)
「函館日日新聞」遊軍記者15円
「北門新報社」校正係15円
「小樽日報」記者12円
明治41年(23)「釧路新聞」編集長待遇25円
明治42年(24)「東京朝日新聞」校正係25円+夜勤5回で5円

月に三十円もあれば、田舎にては
楽に暮らせると---
  ひよつと思へる。

      ・・・・ 石川啄木 『悲しき玩具』

「御社では、私の如きものを、使ってはくださいますか。
 但し小生は、生活のため、月三十円を必要とするものにこれあり候也」

      ・・・・ 石川啄木 東京朝日新聞社への求職の手紙

日本新聞社員タリ。明治三□年□月□日没ス。享年三□。月給四十円。
      ・・・・ 正岡子規の自作の墓誌


 ●その8 高額所得者の場合
  明治20年、所得税法が発布されました。
  このときの所得税は、
    300円超 1.0% 
   1000円超 1.5% 
     1万円超 2.0% 
     2万円超 2.5% 
     3万円超 3.0% 
  という累進課税でした。 納税者は全国で12万人で、これは人口の1.5%に相当しました。
  このときの、高額所得者を紹介します。 元大々名と、新興財閥が多いです。
  (「元□□藩主」とあるのは、維新時の藩主またはその直系の子孫のことです。)
順位 高額所得者年収備 考
岩崎久弥(23)696,596円三菱財閥(弥太郎の子)
岩崎弥之助(37)250,664円三菱財閥(弥太郎の弟)
毛利元徳(49)173,164円公爵、元長州藩主
前田利嗣(30)145,543円侯爵、元加賀藩主
原 六郎(46)117,062円但馬出身の実業家(帝国ホテルの設立者)
島津忠義(48)111,116円公爵、元薩摩藩主(久光の子)
細川護久(49)98,354円侯爵、元肥後藩主
渋沢栄一(48)97,316円深谷出身の実業家(第一国立銀行の設立者)
住友吉左衛門(45)77,351円住友財閥 
10徳川茂承(44)74,842円侯爵、元紀伊藩主
11徳川義礼(25)72,586円侯爵、元尾張藩主
12池田章政(52)71,190円侯爵、元岡山藩主
13平沼専蔵(52)61,670円横浜の実業家
14鴻池善右衛門(23)60,354円大坂の巨商
15浅野長勲(46)57,240円侯爵、元広島藩主
16松平頼聡(54)57,153円伯爵、元高松藩主
17山内豊景(13)53,920円侯爵、元高知藩主
18茂木惣兵衛(71)53,022円高崎出身の実業家(松坂屋の創始者)
19藤堂高潔(51)52,285円伯爵、元津藩主
20久次米庄三郎(59)52,131円阿波の藍商・材木商(兵次郎)
21黒田長成(21)51,233円侯爵、元福岡藩主
22原善三郎(61)51,211円横浜の実業家(現横浜銀行の設立者)
23鍋島直大(27)50,591円侯爵、元佐賀藩主
24本間光輝(34)50,096円出羽の大地主
渡辺福三郎(33)41,180円横浜の実業家
安田善次郎(50)40,220円安田銀行(後の富士銀行)の設立者
古河市兵衛(56)30,134円古河財閥の創始者
尚  泰(53)27,482円侯爵、琉球藩王

  土佐の岩崎弥太郎は、明治維新・廃藩置県・台湾出兵・西南戦争などで巨万の富をなし、明治18年に没しました。 巨万の富は、子と弟が分割しました。
  明治20年の国家予算は8816万円ですが、岩崎両家の年収はその1%を超えています。
 【参考資料】 童門冬ニ監修、「幕末・維新のしくみ」、日本実業出版社、1998

         
         
明治後期の硬貨  10銭までは銀貨、5銭は白銅貨、1銭は銅貨
明治初期に比べて、75%に減量されています。
(画像は『日本貨幣カタログ』を利用しました)

 ●その9 女性の場合
●明治5年 「富岡製糸場」の工女の年給
  新政府が殖産興業のシンボルとして建設した工場です。 工女は士族から選ばれました。
    年俸 一等 25円、 二等 18円、 三等 12円、 等外 9円
    他に、服料(夏冬に5円ずつ)と賄料(1日7.1銭、後9.2銭)
  これらをを合計すると、日給は
    一等 19.2銭、 二等 16.9銭、 三等 14.9銭、 等外 13.9銭
  となり、次の諏訪の生糸工女と比べると破格の高額になっています。
●明治7年 長野県諏訪の生糸工女の日給
  一等 7銭、 二等 6銭、 三等 5銭
●明治23年 女性の内職
  マッチの箱張り 1日600個張って4銭
  紙巻きたばこ  1日500本巻いて4銭
●明治24年 仕立の内職(東京)
  単物(ひとえ)7~9銭、 袷(あわせ)8~10銭、 木綿綿入れ10~14銭
●明治24年 下婢(げじょ)の年給
  上物 8円、 中物 6円、 ぽっと出 4~5円 
  衣食住つきとはいえ、これで年給です。 かなり安価です。
●明治30年 1ケ月の給金 (上と違って、人手不足で給金高騰)
  子守          1.0円
  小間使い        1.2~1.5円
  中働女(なかばたらき) 1.3~2.0円
  飯焚女(めしたき)   1.5~3.0円
  お針          2.5~3.0円
  囲妾(かこいもの)   4.5~10円
●明治30年、大阪紡績会社(後の東洋紡)の1810人の女工の日給
   7~10銭 444人
  11~15銭 777人
  16~20銭 584人
  21~25銭   5人
  1日12時間労働です。 「女工哀史」の時代です。
●明治40年
  芸妓     1か月の稼ぎ 一等芸妓50円(これは陸軍中尉並)、下等芸妓はその3分の1。
  職業婦人   月給 看護婦15円、電話女技手10円
  仲居と女中  日給 お茶屋の仲居1円、雇仲居90銭、上等宿屋の女中60銭、芝居茶屋の女中45銭
●明治43年  女子師範学校を卒業した教員の月給
  初任給 16円
  5年の義務年限終了時 最高22円

【参考資料】
  『朝日新聞の記事にみる東京百歳』、朝日文庫、1998
   横山源之助、『日本の下層社会』、岩波文庫、原本は1899
  「世界各国人民一日所得一覧表」、法令館、明治40年 ⇒「明治40年の職業づくし」
  『日本の物価と風俗 130年のうつり変わり』、日本新聞連盟、1997

 ●その10 「御雇外国人」の場合
  明治の時代、近代技術と近代文化を輸入するため、多くの外国人が招聘されました。 その総数は6193人だったそうです。
  ( )内の年齢は、数えの年齢です。
お雇い外国人出身国在日期間月俸業績など
キンドル明治3~8年(54~59)1045円造幣寮の長官。よく怒るので、「サンダー(雷)キンダー」と呼ばれた。
ボアソナード明治6~28年(49~71)1250円近代刑法を起草する。「法曹界の団十郎」と呼ばれた。給与は最高。
ナウマン明治8~12年(22~26)300円⇒350円地質学者。フォッサマグナの命名者。帰国後「日本」について、森鴎外と論争した。
キヨッソーネ明治8~24年(43~59)455円⇒700円紙幣、切手、印紙をデザインする。退職金3000円、終身年金1200円。
クラーク明治9~10年(51~52)600円札幌農学校教頭。わずか1年の在日であったが、明治文化人に与えた影響は大きい。
ベルツ明治9~38年(28~57)337.5円⇒500円日本近代医学の父。日本をこよなく愛した人。奥さんは日本人。
モールス明治10~12年(40~42)350円⇒370円動物学者。モースと呼ばれることが多い。大森貝塚の発見者。
フェノロサ明治11~23年(26~38)300円⇒500円東京美術学校教授。岡倉天心らと新しい日本画を提唱した。

1876年(明治9)1月3日 ベルリン
 今日、日本帝国公使青木周蔵氏のさし示す契約書に署名した。
 一、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として雇入れのこと。
 二、任期二箇年のこと。
 三、俸給16200マルク、但し月割に金貨で支払うこと。
 四、往復の旅費、住居支給のこと。
 五、診療自由のこと。
   ・・・『ベルツの日記』より。このとき、ベルツ26歳。また1マルク=23.85銭

  日本人最高の太政大臣でも月俸800円です。 庶民は10円前後です。 日本人の給与にくらべてものすごく高いのにびっくりです。
  しかし、このような高給の有名人だけではなく、一般の医師、教師、技師など平均的な月俸は100~400円が多かったそうです。


旧1円金貨 (明治4~13年発行)


●付1. 諸外国との比較
  諸外国との比較です。 大臣と大工の賃金を比較してみました。 日本では、大臣の月俸500円、大工の1日の賃金60銭でした。
  日本人の賃金は、まだまだ世界の三等国です。

  なお、このとき
     日本の総理大臣の年俸  8000円
     アメリカ大統領の年俸  10万ドル(=20万円)
 【参考資料】 「世界各国人民一日所得一覧表」、法令館、明治40年

上のグラフに現代の賃金比較を重ねてみました。
が、現代の日本人の賃金を100としたときの諸外国の賃金です。
日本より高給なのは、スイスと
 (このグラフにはありませんが)デンマークだけです。
日本とロシアが逆転、中国と朝鮮(韓国)が逆転しています。
現代の日本は、”一等国”のようです。

【出典】(財)矢野恒太記念会、「世界国勢図会」




●付2. 明治時代の賃金・物価の移り変わり
  明治25年ころまでは、物価は落ち着いていました。 日清戦争(明治27~28年)、日露戦争(明治37~38年)で、国力が強くなることと並行して、少しインフレになりました。




参考文献
 総務庁統計局監修、「日本長期統計総覧」、日本統計協会、1988
 高柳光寿・竹内理三編、「日本史辞典」、角川書店、1984
 週刊朝日編、「値段史年表」、朝日新聞社、1988
 週刊朝日編、「戦後値段史年表」、朝日文庫、1995
 (財)矢野恒太記念会編、「数字でみる日本の100年」、国勢社、1991
 大蔵省造幣局、「造幣局百年史 資料編」、1974
 「日本史資料総覧」、東京書籍、1986
 秦郁彦編、「日本官僚制総合事典」、東大出版会、2001
 トク・ベルツ編、「ベルツの日記」、岩波文庫、1951
 岩崎爾郎、「物価の世相100年」、読売新聞社、1982
 東洋経済新報社編纂、「明治大正国勢総覧」、東洋経済新報社、昭和2
 松田良一、「近代日本職業事典」、柏書房、1993
2002.5.26
2002.11.29 「その他の文化人」を追加
2003.4.29 「高額所得者の場合」と「官吏の俸給」を追加
2004.6.27 「官吏の俸給」改訂
2009.5.17 「地方公務員」、「小学校の先生」を追加
2014.11.23 いろいろ改訂
2019.9.23  渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎を追加。