(xx) は数えの年齢です。 岩倉具視 文政8(1825)~明治16(1883) 江戸時代の岩倉家は、家領150石の下級公家。 明治元年(44)、議政官・議定、月俸700両。 明治2年(45)、大納言、現米年900石(月600両相当)。 明治4~16年(47~59)、右大臣、月俸600円。 福沢諭吉 天保6(1835)~明治34(1901) 江戸時代の福沢家は、中津藩の中小姓格で、家禄13石2人扶持の下級武士。 (諭吉は福沢家の次男) 安政5年(24)、中津藩の江戸藩邸内に「蘭学塾」を開校。 文久元年(27)、幕府の命によりヨーロッパに派遣される。手当て400両。 元治元年(30)、幕府外国方翻訳局に出仕。禄高150俵、正味100俵。 慶応4年(34)、「蘭学塾」を「慶応義塾」と改称。 当時、慶応義塾の生徒の授業料は月金2分、教師の給料は金4両。 明治2年(35)、中津藩より受けていた6人扶持(玄米年9石)を辞退。 板垣退助 天保8(1837)~大正8(1919) 江戸時代の乾家は、土佐藩300石の上士。 慶応4年(32)、御親征東山道総督府先鋒参謀。 このとき板垣に改姓。 明治元年(32)、土佐藩陸軍総督、家禄600石。 明治2年(33)、議政官・参与、月俸600両。 同年、会津戦争の功により、永世賞典禄1000石。 明治3年(34)、高知藩大参事(俸給不明) 明治4~8年(35~39)、参議、月俸500円。 明治8年(39)、征韓論に敗れて下野。 明治14年(45)、自由党総理(党首)。 明治29年(60)、伊藤内閣の内務大臣、明治31年(62)、大隈内閣の内務大臣、月俸500円。 渋沢栄一 天保11(1840)~昭和6(1931) 武蔵の豪農の三男として生まれる。 元治元年(25)、一橋家に出仕。奥口番、4石2人扶持+滞京手当月4両1分。 慶応元年(26)、一橋家の御勘定組頭にまで出世、25石7人扶持+滞京手当月21両。 慶応2年(27)、幕府陸軍奉行支配調役。 明治元年(29)、静岡藩商法会所頭取。 明治2年(30)、大蔵省租税司正、年給米200石(月俸133円相当)。 明治5年(33)、大蔵省三等出仕、紙幣頭、月給350円。 明治6年(34)、大蔵省を辞職し、第一国立銀行を設立し、総監、のち頭取となる。 このころから、数百の会社の設立に関与。 明治20年(48)、この年の所得は97,316円(日本第8位)。 明治23~24年(51~52)、貴族院議員、歳費800円。 明治29~大正5年(57~77)、第一銀行頭取、年俸6000円。 昭和2年(88)、この年の所得は35.6万円 (右の画像は、政府発表の資料を利用しました) 伊藤博文 天保12(1841)~明治42(1909) 周防の農家に生まれ、長州藩の足軽となる。 慶応4年(28)、兵庫県知事、月俸250両(?) 明治元年(28)、外国官・判事、月俸500両。 明治2年(29)、大蔵省・少輔、現米年450石(月300両相当)。 明治4年(31)、工部省・大輔、月俸400円。 明治6~18年(33~45)、参議、月俸500円。 明治11~13年(38~40)、内務卿、月俸500円。 明治18~21年(45~48)、総理大臣、月俸800円。 明治21~22年(48~49)、枢密院議長、年俸6000円。(この後も度々同職に就く) 明治22~42年(49~68)、元老。 明治23~24年(50~51)、貴族院議長、年俸5000円。 明治38~42年(65~69)、韓国統監、年俸8000円。 北里柴三郎 嘉永5(1853)~昭和6(1931) 肥後の庄屋の子として生まれる。 明治16年(31)、内務省衛生局御用掛、月給70円。 明治18~25年(33~40)、ドイツに留学。 明治25年(40)、内務省に復職、月給80円。 私立伝染病研究所を設立。 大正3年(62)、内務省を辞任し、私立北里研究所を設立。 大正5年(64)、大日本医師会(後日本医師会)会長。 大正6年(65)、貴族院議員、歳費2000円。 昭和2年(75)、この年の所得は6.3万円 (右の画像は、政府発表の資料を利用しました) 高橋是清 嘉永7(1854)~昭和11(1936) 幕府御用絵師の子として生まれる。 明治4年(18)、唐津藩耐恒寮の英語教師、月俸100円。(破格の待遇) 明治6年(20)、文部省督学局十等出仕、月俸40円。 明治8年(22)、文部省督学局九等出仕、月俸50円。 明治17年(31)、農商務省権少書記官、月報100円。 明治25年(39)、日本銀行建築事務主任、年俸1200円。 明治26年(40)、日本銀行西部支店長(馬関=現下関)、年俸2000円。 明治28年(42)、横浜正金銀行本店支配人。 明治30年(44)、同副頭取。 明治32年(46)、日本銀行副総裁。 明治39年(53)、横浜正金銀行頭取を兼任。 明治44~大正2年(58~60)、日本銀行総裁、年俸6000円。 大正2年(60)、大蔵大臣、月俸500円。これより何度か大蔵大臣、農商務大臣などを歴任。 大正10~11年(68~69)総理大臣、月俸1000円。 新渡戸稲造 文久2(1862)~昭和8(1933) 盛岡藩士の三男として生まれる。 明治14年(20)、開拓使御用掛、月俸30円(?)。 明治15年(21)、農商務省御用掛。 明治24~30年(30~36)、札幌農学校教授。 明治34年(40)、台湾総督府民政部殖産局長、高等官五等一級年俸900円(?)。 明治36年(42)、京都帝国大学法科大学教授。 明治39年(45)、第一高等学校長。 大正7年(57)、東京女子大学学長。 大正9~15年(59~65)、国際連盟事務次長。 大正15~昭和8年(65~72)、貴族院勅撰議員、歳費3000円。 津田梅子 元治元年(1864)~昭和4(1929) 佐倉藩士の子として生まれる。 明治4~15年(8~19)、米国留学。 明治16年(20)、メソジスト教会の教師、月給20円。 明治18年(22)、華族女学校教授補、準奏任官で、年俸420円。 翌年、教授となり年俸500円。 明治22~25年(26~29)、再渡米。 明治31年(35)、華族女学校教授と女子高等師範学校教授を兼任、 高等官五等で、年俸800円。 明治33~大正8年(37~56)、女子英語塾(現津田塾)を開校し、塾長。 当初は無給、明治37年(41)から月給25円。 (右の画像は、政府発表の資料を利用しました) 夏目漱石 慶応3(1867)~大正5(1916) 江戸の名主の子として生まれる。 明治19年(20)、江東義塾の教師、月に5円のアルバイト。 明治26年(27)、東京高等師範学校の嘱託教師、年俸450円。 明治28年(29)、松山中学教員、月俸80円。 (このとき、松山中学の校長は、月俸60円) 明治29年(30)、熊本第五高等学校教授、月俸100円。 明治33年(34)、官費でイギリス留学、年間手当1800円。 (その間家族には年300円支給)。 明治36年(37)、帝国大学講師(年俸800円)、兼第一高等学校教授(年俸700円)、 合計すると、年俸1500円(月に125円)。 明治37年(38)、明治大学の講師(月俸30円)も兼任。 明治38~39年(39~40)、『吾輩は猫である』などの原稿料と印税で、2年間で3500円以上の収入。 明治40年(41)、東京朝日新聞社入社、月俸200円+賞与(合計3000円以上か?)。 (このとき、東京朝日新聞社の社長は、月俸150円) 帝大教授の椅子を捨てて新聞社に入社したのです、当時は大評判になりました。 樋口一葉 明治5(1872)~明治29(1896) 一葉の父樋口則義は、江戸南町奉行所同心(30俵2人扶持)、東京府権少属(年俸現米26石)、東京府権中属(月給30円)などをしていたが、起業しようとして失敗、一葉親子の貧困生活が始まる。 明治25年(21)、短編『うもれ木』の原稿代として11円75銭(=25銭×47枚分)受け取り、母は早速知人から借りていた6円を返済しました。 残りで家族3人がなんとか1ケ月暮らせたそうですが、決して豊かな暮らしではありません。 ■(明治26年(22))三月十五日、曇る。昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし。母君これを苦しみて、姉君のもとより二十銭かり来る。・・・『よもぎふ日記』 明治28年(24)、雑誌「文学界」に連載を開始した『たけくらべ』の原稿代1枚77銭。(「たけくらべ」全体ではおよそ160枚になるため、123円程度か?) (右の画像は、日本銀行のHPを利用しました) 野口英世 明治9(1876)~昭和3(1928) 明治30年(22) 順天堂病院助手、食事つき月俸2円、後3円。 明治31年(23)、伝染病研究所見習助手、月俸12円、後13円、さらに15円。 明治32年(24)、横浜海港検疫所検疫医、月俸35円。 明治32年(24)、清国の牛荘(ニュウチャン)でのペスト防疫班に加わる。 任期6ケ月、月俸200両(テール)。 任期後もしばらく、ロシア衛生隊の依頼で滞在、月俸300両。 (1両=1.3円) 明治33年(25)、ペンシルバニア大学フレキスナー教授の私設助手、月俸8ドル。 (1ドル=2円) 明治34年(26)、ペンシルバニア大学研究助手、月俸25ドル。 明治35年(27)、同大学病理学助手、月俸50ドル。 明治37年(29)、ロックフェラー研究所アシスタント(一等助手)、年俸1800ドル。 大正3年(39)、同研究所メンバー(正員)、年俸5000ドル。 (右の画像は、日本銀行のHPを利用しました) |
年 | 巡査初任給 | 小学校教員 初任給 | 東京の石工 (1日の労賃) | 東京の大工 (1日の労賃) | 日雇人夫 (1日の労賃) | 住込み下男 (ひと月、賄付) | 住込み下女 (ひと月、賄付) |
---|---|---|---|---|---|---|---|
明治8年 | 6円 | 81銭 | 42銭 | ||||
明治13年 | ↓ | 47銭 | 34銭 | ||||
明治18年 | ↓ | 58銭 | 47銭 | 16銭 | 1円38銭 | 75銭 | |
明治23年 | ↓ | 5円 | 65銭 | 50銭 | |||
明治28年 | 8円 | 8円 | 54銭 | 22銭 | 1円64銭 | 90銭 | |
明治33年 | 9円 | 10~13円 | 1円35銭 | 84銭 | 37銭 | 2円70銭 | 1円56銭 |
明治38年 | ↓ | ↓ | 1円19銭 | 85銭 | 41銭 | 3円22銭 | 1円79銭 |
明治43年 | 12円 | ↓ | 1円48銭 | 1円15銭 | 53銭 | 4円56銭 | 2円96銭 |
(画像は『日本貨幣カタログ』を利用しました) |
官の種類 | 等級 | 月俸 | 太政官正院 | 元老院 | 省 | 一等寮 | 二等寮 | 三等寮 | 府 | 県 | 警視庁 | 陸海軍 | その他 |
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勅任官 | 1等 | 800円 600円 500円 | 太政大臣 左右大臣・参議 - | - 議長・副議長 議官 | 卿 | 大将 | 大審院一等判事 | ||||||
2等 | 400円 | 大輔 | 中将 | 特命全権公使 | |||||||||
3等 | 350円 | 大内史 | 少輔 | 頭 | 知事 | 大警視 | 少将 | 司法省大検事 | |||||
奏任官 | 4等 | 250円 | 権大内史・大外史 | 大書記官 | 大丞 | 権頭 | 頭 | 権知事 | 令 | 権大警視 | 大佐 | (総領事) | |
5等 | 200円 | 権大外史・少内史 | 権大書記官 | 少丞 | 助 | 権頭 | 頭 | 参事 | 権令 | 中警視 | 中佐 | (領事) | |
6等 | 150円 | 権少内史・少外史 | 少書記官 | 権助 | 助 | 権頭 | 権参事 | 参事 | 権中警視 | 少佐 | |||
7等 | 100円 | 権少外史 | 権少書記官 | 権助 | 助 | 権参事 | 少警視 | 大尉 | |||||
判任官 | 8等 | 70円 | 大主記 | 大書記生 | 大録 | 大属・大技師 | 大属 | 権少警視 | 中尉 | ||||
9等 | 50円 | 権大主記 | 権大書記生 | 権大録 | 権大属・中技師 | 権大属 | 大警部 | 少尉 | |||||
10等 | 40円 | 中主記 | 少書記生 | 中録 | 中属・少技師 | 中属 | 権大警部 | 少尉補 | |||||
11等 | 30円 | 権中主記 | 権少書記生 | 権中録 | 権中属・大技手・大手 | 権中属 | 中警部 | (曹長) | |||||
12等 | 25円 | 少主記 | 少録 | 少属・中技手・中手 | 少属 | 権中警部 | (軍曹) | ||||||
13等 | 20円 | 権少主記 | 権少録 | 権少属・少技手・少手 | 権少属 | 少警部 | (伍長) | ||||||
14等 | 15円 | 大舎人 | 筆生 | 史生・大技生・技術心得 | 史生 | 権少警部 | |||||||
15等 | 12円 | 省掌 | 寮掌・中技生、技術見習 | 府掌 | 県掌 | 警部補 | |||||||
等外 | 1等 | 10円 | 使部 | 一等巡査 | |||||||||
2等 | 8円 | 直丁 | 二等巡査 | ||||||||||
3等 | 7円 | 門番 | 三等巡査 | ||||||||||
4等 | 6円 | 小舎人 |
年 | 人 数 | 平均月俸 | ||||||||
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勅任官 | 奏任官 | 判任官 | 等外 | 合計 | 勅任官 | 奏任官 | 判任官 | 等外 | 平均 | |
明治8年 | 91人 | 2,737人 | 21,970人 | 31,704人 | 56,502人 | 13.3円 | ||||
明治13年 | 116人 | 3,581人 | 22,424人 | 37,100人 | 63,211人 | 14.6円 | ||||
明治18年 | 195人 | 5,552人 | 34,329人 | 59,078人 | 99,154人 | 332.7円 | 64.9円 | 17.4円 | 7.6円 | 14.8円 |
明治23年 | 160人 | 3,492人 | 25.942人 | 20,759人 | 50.353人 | 356.4円 | 81.1円 | 17.9円 | 9.3円 | 19.8円 |
明治28年 | 161人 | 3,531人 | 31,693人 | 11,313人 | 46,698人 | 348.8円 | 79.7円 | 16.2円 | 8.9円 | 20.4円 |
明治33年 | 288人 | 5,031人 | 43,940人 | 43,312人 | 92,571人 | 340.6円 | 88.5円 | 22.1円 | 13.9円 | 22.9円 |
明治38年 | 337人 | 5,554人 | 43,213人 | 51,625人 | 100,729人 | 327,9円 | 91.9円 | 25.0円 | 14.3円 | 24.2円 |
明治43年 | 576人 | 8,337人 | 59,465人 | 116,667人 | 185,045人 | 373.8円 | 118.9円 | 35.5円 | 17.3円 | 28.8円 |
年 | 人 数 | 平均月俸 | 備 考 | ||
---|---|---|---|---|---|
職員 | 職工 | 職員 | 職工 | ||
明治20年 | 111人 | 339人 | 29.6円 | 8.8円 | 局長は年俸3500円(月俸291円)。職工の月給は5~10円。 |
明治25年 | 81人 | 181人 | 32.6円 | 9.3円 | 局長の年俸は3000円に減額 |
明治30年 | 76人 | 159人 | 30.5円 | 10.1円 | |
明治35年 | 72人 | 145人 | 38.9円 | 12.7円 | |
明治40年 | 93人 | 164人 | 36.0円 | 17.0円 | 職工の給与は、日給12銭~1円10銭。 明治38年から女工も採用されたが、左の表の中には含まれていない。 |
明治43年 | 100人 | 174人 | 43.6円 | 18.1円 | 局長の年俸は3700円。 |
現在でも1円として使えます(現役最古参通貨) |
職位 | 人数 | 平均月俸 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
県 | 県令 | 1人 | 250円 | 奏任官4等 |
少書記官など | 3人 | 100円 | 奏任官7等 | |
判任官 | 133人 | 22.7円 | 属、収税属、警部など。12~50円の9階級 | |
准判任御用係 | 33人 | |||
等外出仕 | 30人 | 9.0円 | 7~10円の3階級 | |
准等外御用係 | 51人 | |||
郡 | 郡長 | 8人 | 45.8円 | 30~60円の5階級 |
郡書記 | 144人 | 10.5円 | ||
郡御用係 | 8人 | |||
戸 | 戸長 | 234人 | 9.3円 | 7~15円の6階級 |
師範学校 中学校 女学校 | 教諭 | 13人 | 28.2円 | 師範学校、女学校は各1校 中学校は徳島、脇町、川島、富岡の4校 |
助教諭 | 38人 | 10.3円 | ||
御用係 | 1人 | |||
書記 | 5人 | 8.4円 | ||
医学校 | 教諭 | 6人 | 77.5円 | 校長の月俸は150円 |
助教諭 | 4人 | 20.5円 | ||
書記 | 2人 | 9.0円 |
職位 | 人数 | 平均月俸 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
県 | 知事 | 1人 | 300.0円 | |
事務官 | 3人 | 127.8円 | 副知事クラス | |
場長 | 1人 | 100.0円 | 農業試験場 | |
主事 | 1人 | 70.0円 | 水力電気事務所 | |
視学 | 2人 | 45.0円 | 教育委員 | |
名誉職 | 6人 | 31.1円 | ||
技師・技手・工師・工手 | 51人 | 29.2円 | 技術系役人 | |
守監 | 1人 | 24.7円 | ||
属 | 54人 | 23.0円 | 中級役人 | |
吏員・雇・書記など | 162人 | 16.5円 | 下級役人 | |
県 (警察関係) | 警視 | 1人 | 50.0円 | |
警部 | 21人 | 27.5円 | ||
巡査 | 361人 | 13.6円 | 内女性1名 | |
市 | 市長 | 1人 | 83.0円 | 高知市 |
助役 | 1人 | 50.0円 | ||
視学 | 1人 | 40.0円 | ||
技術員 | 1人 | 40.0円 | ||
収入役 | 1人 | 25.0円 | ||
書記など | 40人 | 14.2円 | ||
郡 | 郡長 | 7人 | 61.9円 | |
視学 | 7人 | 30.0円 | ||
書記など | 92人 | 17.9円 | ||
雇 | 28人 | 7.9円 | ||
町村 | 町村長 | 189人 | 14.1円 | 名誉職に近い |
技術員 | 3人 | 12.7円 | ||
収入役 | 186人 | 11.3円 | ||
助役 | 235人 | 11.2円 | ||
書記など | 223人 | 10.1円 | ||
区長 | 611人 | 47銭 | 「区」は大字相当。区長は名誉職 | |
委員 | 918人 | 37銭 | ||
区長代理者 | 546人 | 9.2銭 |
職位 | 職員名 | 月俸 | 備考 |
---|---|---|---|
校 長 | 遠藤忠志 | 18円 | 高等科担当。師範卒 |
主席訓導 | 秋浜市郎 | 13円 | 尋常3,4年担当。検定試験上り。50才くらい |
訓 導 | 上野さめ子 | 12円 | 尋常1年担当。師範女子部卒。23才。 |
代用教員 | 石川 一 | 8円 | 尋常2年担当。22才。 |
職位 | 職員名 | 月俸 | 担当 | 備考 |
---|---|---|---|---|
校 長 | 住田 昇 | 60円 | 校長 | 高等師範卒、「狸」のモデル |
教 頭 | 横地石太郎 | 80円 | 物理と化学 | 帝大卒、「赤シャツ」のモデル |
教 諭 | 西川忠太郎 | 40円 | 英語 | 札幌農学校卒 |
教 諭 | 安芸 本吾 | 35円 | 博物 | 徳島中学卒 |
教 諭 | 渡部 政和 | 35円 | 数学 | 「山嵐」のモデル |
教 諭 | 中村宗太郎 | 30円 | 歴史 | |
教 諭 | 中堀貞五郎 | 30円 | 地理 | 東京物理学校卒、「うらなり」のモデル |
助教諭 | 村井 俊明 | 25円 | 漢文 | 松山藩校明教館卒、子規を教えたこともある |
助教諭 | 弘中 又一 | 20円 | 数学と英語 | 同志社普通学校卒、「坊ちゃん」のモデル |
助教諭 | 太田 厚 | 20円 | 漢文 | |
助教諭 | 高瀬 半哉 | 18円 | 画学 | 「野だいこ」のモデル |
助教諭 | 伊藤朔太郎 | 12円 | 体操 | |
助教諭 | 浜本利三郎 | 12円 | 体操 | |
助教諭心得 | 安倍 元雄 | 20円 | 物理学校卒、「助教諭心得」は他に3人 | |
嘱託教員 | 夏目金之助 | 80円 | 英語 | 帝大卒、『坊ちゃん』の作者 |
嘱託教員 | 左氏 撞 | 20円 | 漢学 | |
嘱託教員 | 近藤 元弘 | 10円 | 漢学 | |
書 記 | 寒川 朝陽 | 15円 | 書記 | 書記は他に1人 |
身 分 | 員数 | 金禄公債額面 | 年間利息 |
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旧藩主 | 1人 | 36,578円 | 2,560円 |
上士の上級クラス | 35人 | 992円 | 69円 |
上士の下級クラス | 71人 | 790円 | 55円 |
中 士 | 42人 | 659円 | 46円 |
下 士 | 75人 | 588円 | 41円 |
(番号が漢数字で書かれています) |
文化人 | 年 | 職 業 | 月給 |
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小泉八雲 1850-1904 | 明治23年(41) | 松江中学講師 | 100円 |
明治24年(42) | 熊本第五高等学校講師 | 200円 | |
明治27年(45) | 神戸クロニカル社員 | 100円+執筆料 | |
明治29年(47) | 帝国大学講師(週12時間) | 400円(後450円) | |
明治37年(55) | 早稲田大学講師(週4時間) | 年2000円 | |
高村光雲 1852-1934 | 明治22年(38) | 2月、東京美術学校雇い | 35円 |
5月、東京美術学校教授 (奏任官五等) | 年俸500円 | ||
山川健次郎 1854-1931 | 明治9年(23) | 東京開成学校教授補 | 70円 |
明治10年(24) | 東京大学教授補 | 70円 | |
明治12年(26) | 東京大学教授 | 120円 | |
明治19年(33) | 帝国大学理科大学教授 | 年俸2100円? | |
明治26年(40) | 帝国大学理科大学長 | 年俸2600円 | |
明治34年(48) | 東京帝国大学総長 | 年俸4000円? | |
森鷗外 1862-1922 | 明治14年(20) | 軍医副(中尉相当官) | 32円 |
明治21年(27) | 軍医(大尉相当官) | 52円 | |
明治22年(28) | 二等軍医正(少佐相当官) | 93円 | |
明治26年(32) | 一等軍医正(中佐相当官) | 143円 | |
明治32年(38) | 軍医監(大佐相当官) | 193円 | |
明治40年(46) | 軍医総監(少将相当官) | 300円 | |
大正6年(56) | 帝室博物館総長(勅任官一等) | 年俸5000円(?) | |
牧野富太郎 1862-1957 | 明治12年(18) | 高知県佐川小学校教師 | 3円 |
明治26年(32) | 東京帝国大学理科大学助手 | 15円 | |
明治45年(51) | 東京帝国大学講師 | 75円 | |
正岡子規 1867-1902 | 明治25年(26) | 新聞「日本」の記者 | 15円(翌年20円) |
明治27年(28) | 「小日本」に移る | 30円 | |
明治31年(32) | 「日本」に戻る | 40円 | |
藤島武二 1867-1943 | 明治26年(27) | 三重県尋常中学校助教諭 | 23円 |
島崎藤村 1872-1943 | 明治29年(25) | 東北学院の教師 | 25円 |
明治32年(28) | 小諸義塾の教師 | 30円 | |
岡本綺堂 1872-1939 | 明治24年(20) | 「日日新聞」記者 | 15円 |
永井荷風 1879-1959 | 明治34年(23) | 「やまと新聞」雑報記者 | 12円 |
石川啄木 1886-1912 | 明治39年(21) | (岩手県)渋民尋常高等小学校代用教員 | 8円 |
明治40年(22) | 函館商業会議所書記 | 日給60銭 | |
(函館)弥生尋常小学校代用教員 | 12円(15円?) | ||
「函館日日新聞」遊軍記者 | 15円 | ||
「北門新報社」校正係 | 15円 | ||
「小樽日報」記者 | 12円 | ||
明治41年(23) | 「釧路新聞」編集長待遇 | 25円 | |
明治42年(24) | 「東京朝日新聞」校正係 | 25円+夜勤5回で5円 |
月に三十円もあれば、田舎にては 楽に暮らせると--- ひよつと思へる。 ・・・・ 石川啄木 『悲しき玩具』 「御社では、私の如きものを、使ってはくださいますか。 但し小生は、生活のため、月三十円を必要とするものにこれあり候也」 ・・・・ 石川啄木 東京朝日新聞社への求職の手紙 日本新聞社員タリ。明治三□年□月□日没ス。享年三□。月給四十円。 ・・・・ 正岡子規の自作の墓誌 |
順位 | 高額所得者 | 年収 | 備 考 |
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1 | 岩崎久弥(23) | 696,596円 | 三菱財閥(弥太郎の子) |
2 | 岩崎弥之助(37) | 250,664円 | 三菱財閥(弥太郎の弟) |
3 | 毛利元徳(49) | 173,164円 | 公爵、元長州藩主 |
4 | 前田利嗣(30) | 145,543円 | 侯爵、元加賀藩主 |
5 | 原 六郎(46) | 117,062円 | 但馬出身の実業家(帝国ホテルの設立者) |
6 | 島津忠義(48) | 111,116円 | 公爵、元薩摩藩主(久光の子) |
7 | 細川護久(49) | 98,354円 | 侯爵、元肥後藩主 |
8 | 渋沢栄一(48) | 97,316円 | 深谷出身の実業家(第一国立銀行の設立者) |
9 | 住友吉左衛門(45) | 77,351円 | 住友財閥 |
10 | 徳川茂承(44) | 74,842円 | 侯爵、元紀伊藩主 |
11 | 徳川義礼(25) | 72,586円 | 侯爵、元尾張藩主 |
12 | 池田章政(52) | 71,190円 | 侯爵、元岡山藩主 |
13 | 平沼専蔵(52) | 61,670円 | 横浜の実業家 |
14 | 鴻池善右衛門(23) | 60,354円 | 大坂の巨商 |
15 | 浅野長勲(46) | 57,240円 | 侯爵、元広島藩主 |
16 | 松平頼聡(54) | 57,153円 | 伯爵、元高松藩主 |
17 | 山内豊景(13) | 53,920円 | 侯爵、元高知藩主 |
18 | 茂木惣兵衛(71) | 53,022円 | 高崎出身の実業家(松坂屋の創始者) |
19 | 藤堂高潔(51) | 52,285円 | 伯爵、元津藩主 |
20 | 久次米庄三郎(59) | 52,131円 | 阿波の藍商・材木商(兵次郎) |
21 | 黒田長成(21) | 51,233円 | 侯爵、元福岡藩主 |
22 | 原善三郎(61) | 51,211円 | 横浜の実業家(現横浜銀行の設立者) |
23 | 鍋島直大(27) | 50,591円 | 侯爵、元佐賀藩主 |
24 | 本間光輝(34) | 50,096円 | 出羽の大地主 |
渡辺福三郎(33) | 41,180円 | 横浜の実業家 | |
安田善次郎(50) | 40,220円 | 安田銀行(後の富士銀行)の設立者 | |
古河市兵衛(56) | 30,134円 | 古河財閥の創始者 | |
尚 泰(53) | 27,482円 | 侯爵、琉球藩王 |
明治初期に比べて、75%に減量されています。 (画像は『日本貨幣カタログ』を利用しました) |
お雇い外国人 | 出身国 | 在日期間 | 月俸 | 業績など |
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キンドル | 英 | 明治3~8年(54~59) | 1045円 | 造幣寮の長官。よく怒るので、「サンダー(雷)キンダー」と呼ばれた。 |
ボアソナード | 仏 | 明治6~28年(49~71) | 1250円 | 近代刑法を起草する。「法曹界の団十郎」と呼ばれた。給与は最高。 |
ナウマン | 独 | 明治8~12年(22~26) | 300円⇒350円 | 地質学者。フォッサマグナの命名者。帰国後「日本」について、森鴎外と論争した。 |
キヨッソーネ | 伊 | 明治8~24年(43~59) | 455円⇒700円 | 紙幣、切手、印紙をデザインする。退職金3000円、終身年金1200円。 |
クラーク | 米 | 明治9~10年(51~52) | 600円 | 札幌農学校教頭。わずか1年の在日であったが、明治文化人に与えた影響は大きい。 |
ベルツ | 独 | 明治9~38年(28~57) | 337.5円⇒500円 | 日本近代医学の父。日本をこよなく愛した人。奥さんは日本人。 |
モールス | 米 | 明治10~12年(40~42) | 350円⇒370円 | 動物学者。モースと呼ばれることが多い。大森貝塚の発見者。 |
フェノロサ | 米 | 明治11~23年(26~38) | 300円⇒500円 | 東京美術学校教授。岡倉天心らと新しい日本画を提唱した。 |
1876年(明治9)1月3日 ベルリン 今日、日本帝国公使青木周蔵氏のさし示す契約書に署名した。 一、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として雇入れのこと。 二、任期二箇年のこと。 三、俸給16200マルク、但し月割に金貨で支払うこと。 四、往復の旅費、住居支給のこと。 五、診療自由のこと。 ・・・『ベルツの日記』より。このとき、ベルツ26歳。また1マルク=23.85銭 |
上のグラフに現代の賃金比較を重ねてみました。 *が、現代の日本人の賃金を100としたときの諸外国の賃金です。 日本より高給なのは、スイスと (このグラフにはありませんが)デンマークだけです。 日本とロシアが逆転、中国と朝鮮(韓国)が逆転しています。 現代の日本は、”一等国”のようです。 【出典】(財)矢野恒太記念会、「世界国勢図会」 |