幕末、日本から大量の小判が欧米に流出しました。 中学か高校の日本史の授業で、金と銀の価格比が日本と欧米で大きく異なっていたためだ、と教わりました。 確かにそのころの金銀比価は欧米では1:15~16、日本では1:11~12だったのですが、それが直接の原因ではありませんでした。 (日本での金銀比価が1:5~6だったと説明している資料がありますが、それは誤解を生む表現だと思います。 当時の小判と一分銀に含まれている金・銀の量から計算するとそのようになりますが、一分銀は価値どおりの銀が含まれていない「名目貨幣」でしたから、その計算には意味がありません。 現代の10円銅貨と1円アルミ貨から、銅とアルミの比価を計算しているようなものです。) |
日米修好通商條約議定書 第 五 條 外國の諸貨幣は、日本貨幣同種類の同量を以って、通用すべし。 雙方の國人、互いに物價を償ふに、日本と外國との貨幣を用ゐる妨なし。 日本人外國の貨幣に慣はざれば、開港の後凡一ケ年の間、各港の役所より、日本の貨幣を以て、亞墨利加人願次第引替渡すべし。向後鑄替のため、分割を出すに及ばず。日本諸貨幣は、輸出する事を得、竝に外國の金銀は、貨幣に鑄るも鑄ざるも、輸出すべし。 |
1ドル
| 一分銀3枚
| 3/4両
| 3ドル
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| で交換 (日米間の条約) で両替 (日本の貨幣制度) として売却 (世界の金銀相場) |