朝日文左衛門、尾張藩の御城代組同心、御畳奉行です。延宝2年(1674)に生まれ、享保3年(1718)、44歳にて没しました。この人が有名なのは、貞享元年(1684)より死の前年までの日記を残したからです。日記のタイトルは『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)といいます。 文左衛門さん、畳奉行という職にありましたが、仕事をまじめにやっているとはみえません。 何かにつけて、飲み、遊び、そして日記をつけました。 自分や友人達の日々の生活の他、名古屋や江戸の刃傷、強盗、心中、浮気騒動などなど、当時の事件・風説が実にこまめにつけられています。 中には、藩主のご生母さまのご乱行についても細かく書かれ、これが元で長く尾張藩の極秘文書になっていました。 赤穂浪士の討ち入りがあった時代です。『葉隠』の成立もこのころです。武士道を貫いた武士もいた時代、文左衛門さんは泰平の元禄を謳歌したようです。 (テキストは参考文献①または②を使用しました) |
宝永通宝 37.1mm 8.1g |
紀州藩札 164×30mm ただし、この頃のものではなく、 慶応2,3年発行のものです。 |
雁首銭 23-25mm 2.8g |
永楽銀銭 23.5mm 4.5g |
元禄豆板銀 これまでの慶長銀は品位が800でしたが、元禄銀は640です。 元禄の「元」がついています。 左の豆板銀は約3.8匁ですから、一文銭にすると230文くらいになります。 19-21mm 14.1g |
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荻原銭 元禄の改鋳は金貨・銀貨だけでなく、銭貨でも行われました。 元禄13年から京都七条と江戸亀戸で発行された銭は、 これまでの7~8割の重さしかありませんでした。 勘定奉行荻原重秀の名をとって、荻原銭と通称されています。 23.3mm 2.2g |