江戸のニセ金
江戸時代のニセ金です。
中には精巧なものもありますが、見るからに出来の悪いのもあります。
暗がりで使ったか、たくさんのホンモノの中に混ぜて使ったのでしょうか。
ニセの二分金
2.3g 18.7×11.8mm
本物の明治二分金
3.0g 19.4×12.2mm
ニセの一朱銀
1.5g 15.0×9.3mm
本物の嘉永一朱銀
1.8g 15.1×9.6mm
● 二分金と一朱銀
明治3年2月、若松県(旧会津藩領に設けられた県)から新政府への報告書によると、
「若松県下方数十里の間一円、贋金贋札製造所にて、其の筋に関係せざるもの殆ど稀なり」
と、旧会津藩士を中心に贋金づくりが横行していたようです。 このときに作られたのは、「明治二分金」です。
この地方では、江戸幕府が発行したものを「徳川吹」、明治政府が発行したものを「太政官吹」、そしてこの地で偽造したものを「御城吹」と呼び、“唯其の名異なるのみにて、真贋差別なく融通” されていたそうです。
右のニセ二分金・一朱銀、どちらも真鍮を土台に作られています。
本物より軽く、一目でニセモノと分る代物ですが、それと分かりながらも通用していたらしいです。
ニセの安政丁銀 112g 86mm
● 丁 銀
これは、本物と非常に良く似ています。 ホンモノではない明白な証拠は、信頼すべきコイン店が3000円で売っていたことです。
ニセモノのポイントはあまり公にはなりません。 公にすると、悪用する人が出てくるからです。
ニセの文政(元文?)豆板銀
10.4g 20.5mm
本物の享保豆板銀
4.6g 12.6mm
ニセの元文豆板銀
13.9g 19.8mm
本物の安政豆板銀
10.3g 17.2mm
● 豆板銀
右の豆板銀、全くの純銅色をしています。
元文銀は46%、文政銀は36%の銀が含まれているはずで、いくら銀の品位が悪くても、ここまで銅色にはなりません。
しかし、暗い所でみれば、本物との区別がつきません。
民間で作られた鉄銭 2.7g 23.3mm
本物の寛永通宝 背文銭 4.4g 25.0mm
● 寛永通宝
寛永通宝のニセ金は、東北地方を中心に大々的に行われていました。 ニセ金というより、「仿鋳銭」と呼ばれています。 南部藩や仙台藩などでは、藩ぐるみでやっていた可能性が強いです。
右の鉄銭は裏に「文」の文字があります。 幕府が発行したものの写しです。
しかし、このような仿鋳銭も、幕府の発行した銭と同様に使われていました。
浄法寺村で作られた天保通宝 21.5g 47.2×31.8mm
本物の天保通宝 22.8g 49.3×32.5mm
● 天保通宝
寛永通宝の1文銭を6~7枚つぶせば、100文の天保通宝を作れます。 仙台・土佐・長州・薩摩・福岡などの大きな藩で半ば堂々とやっていました。
地方の村でもひそかに作っていたところあがあります。 浄法寺村(現岩手県二戸市)も多量の天保通宝を鋳造していたことで有名です。
しかし現代のコイン・コレクターは、本物よりニセ物の方を高く評価します。
ニセの徳島藩札
本物の徳島藩札
● 藩 札
右の藩札は、阿波徳島のニセ札です。
本物に比べて文字が小さく、筆勢が弱い。 また、裏面下部の文字列の書体が大きく異なります。
2004.10.13 2013.9.21 全面改訂 2024.10.29 藩札を置き換え