慶応4年の『日日新聞』


 『日日新聞』は、慶応4年(1868年、後に明治元年)閏4月18日に創刊された新聞で、邦字で発行された日刊新聞の元祖のようなものです。 日刊といっても、3日に1回くらいの発行だったそうですが、それにしてもこの時代にこれだけの頻度で新聞なるものを発行しようとした人たちの心意気を感じます。 現在でいうところのベンチャービジネスでしょうか。 「定価二匁」というのも興味深いです。
 この第7号が慶応4年5月3日に発行されており、直前に新政府より発布された
    於大政官貨幣分増之義被仰出候御書付写
の特集号になっています。 当時流通していた通貨を、額面ではなく、時価で使用するときの交換割合を公布したものです。 「太政官」でなく、「大政官」と書いているところにも注目したいです。
 223×154mmの大きさの和紙で、全22ページです。 金貨の図の部分は黄色く彩色されています。
 (画像をクリックすると、少し大きい画像が表示されます。)
   日々新聞第七輯    辰五月三日出板
  ○於大政官貨幣分増之義被 仰出候
   御書付写
大政
御一新に付宇内貨幣之定価御吟味之上古今通用金銀
銅銭等別紙之通被仰出候間支配末々迄不洩様可相触
者也
  慶応四辰年閏四月       大政官
  右仰出させたる別紙ハ小判より一朱金まで百両
  に付何程と割付させと今見易き為に一両に付何
  程とし且終りにその図を附して博覧の一助と候
   ○
一 慶長金 小判一分判一両ニ付目方四匁七分六厘
   此通貨九両と銀三匁三分二厘五毛
一 武蔵判 右同断
一 乾字金 一両に付目方二匁五分此通貨四両三分
   と銀三分
一 元禄金 小判一分判二朱一両ニ付目方四匁七分
   七厘此通貨六両一分一朱と銀一匁七分六厘換
一 享保金 小判一分判一両ニ付目方四匁七分六厘
   此通貨九両一分と銀三匁二分二厘五毛換
一 古文字金 小判一分判一両ニ付目方三匁五分此通
   貨五両一分と銀二匁一分七厘五毛換
一 真文字二分判 一片ニ付目方一匁七分五厘此通
   貨二両一分銀三匁
一 文政金 小判一分判一両ニ付目方三匁五分此通
   貨四両二分銀六匁換
一 一朱金 一両ニ付目方七匁此通貨二両一分銀一
   匁四分六厘二毛五絲換
一 草字二分判 一片ニ付目方一匁七分五厘此通貨
   二両銀一匁三分五厘換
一 古二朱金 一両ニ付目方三匁五分此通貨二両二
   分一朱と銀二匁三分六厘二毛五絲換
一 五両判 一枚ニ付目方九匁此通貨十七両と銀七
   匁三一分二厘五毛換
一 保字金 小判二分判一両ニ付目方三匁此通貨三
   両三分三朱と銀一匁六分八厘七毛五絲換
一 正字金 小判一分判一両ニ付目方二匁四分此通
   貨三両二朱銀二匁七分五厘換
一 安政二分判 一片ニ付目方一匁五分此通貨三分
   と銀三匁三分五厘六毛二絲五忽換
一 元禄大判 一枚ニ付目方四十四匁一分此通貨六
   十一両一分三朱換
一 享保大判 一枚付目方四十四匁一分此通貨七十八
   両一分換
一 慶長大判 一枚ニ付目方右同断通貨右同断
一 新大判  一枚ニ付目方三拾匁此通貨廿六両二
   分一朱換
一 寛永涛銭 代リ二十四文天保百文銭一枚ニ付四
   枚を以て換ル 但シ是迄通用十二文
一 寛永銅銭 代リ十二文天保百文銭一枚ニ付八枚
   を以て換ル 但シ是迄通用六文
一 文久銅銭 代リ十六文天保百文銭一枚ニ付六枚
   を以て換ル 但シ是迄通用 文
一 天保百文銭 ハ是迄の通り通用之事

























  (この新聞、享保大判と元禄大判の裏の図が逆になっています。)

 実際の太政官の布告では、金貨100両単位での交換割合を示していました。 例えば、慶長金100両=万延金905両1分2朱でした。 しかし、100両単位では庶民には不便です。 そこで登場したのがこの新聞。 1両あたりの交換割合に計算し直して、読者の利用の便にしました。 そのとき「朱」未満の単位は銀貨の重さで計算して示しました。
 例えば、太政官の布告では
    慶長金100両 = 万延金905両1分2朱
となっていましたが、これから、
    慶長金1両 = 万延金905両1分2朱 ÷ 100 
          = 金905.375両 ÷100
          = 金9両 + 金0.05375両 
          = 金9両 + 銀3.225匁   (金1両=銀60匁で計算)
と計算し、
    慶長金1両 = 金9両 + 銀3匁2分2厘5毛
としたものです。

 この種の民間の新聞は幾種類か発行されたようですが、必ずしも新政府の意向に沿ったものではなく、6月には発行停止となりました。

● 慶応4年(1868年)の出来事
4月11日江戸開城
4月24日金座・銀座・銭座を接収
閏4月14日旧貨幣の通用価格を決定
閏4月21日貨幣司を設け、二分金、一分銀、一朱銀を鋳造開始
5月9日丁銀および豆板銀の通用を停止し、新金銀で買い上げると布告
5月15日太政官札を発行
7月17日江戸を東京と改称
9月8日慶応を明治と改元


  明治維新の交換レート

2005.5.13