昭和萬葉集~不況の昭和初年
昭和初年、日本は大不況の時代です。
『昭和萬葉集(巻1、巻2)』、講談社、1980
からそのころの人たちの生活を垣間見てみました。
●つましい生活
10銭白銅貨
(大正9~昭和7年発行)
世界的な不況の中、昭和2年3月、国会での片岡蔵相の失言が引き金となり、金融恐慌が発生しました。 人々は、つましい生活を強いられるようになりました。
■十銭で三つくれるといふ
ころつけ
(
コロッケ
)
を町の市場に買ひに行きたり [津久井泰輔]
■十銭で カツレツを買つてきて 四つのくびをよせて たべてゐる [鳴海要吉]
■十銭で三本の
秋刀魚
(
さんま
)
を買ひにけりあとの五銭で大根を買はむ [小池てる]
昭和6年の政府の家計簿調査によると、都市部勤労者世帯の1か月の平均収入は86円、食料費の支出は25円でした。 1日1人あたりの食料費は20銭になります。
●サラリーマンは減俸、失業
兌換券10円(1次10円)
(昭和5~18年発行)
昭和6年6月、政府は官吏の1割減俸を実施しました。
民間ではこれよりもっとひどく、鐘紡では工員の日給を、1円89銭⇒1円60銭(男)、1円27銭⇒89銭(女)に値下げしました。(1日10時間労働の時代です)。
■俸給の一割減におびやかされ秋晴の空にも投ぐるいきどほり [関みさを]
■教員の俸給三割下げよとて村民大会開かれにけり [竹内忠]
■月給を減らされし嘆きかくしつつ同僚の笑顔の力ぬけたり [伊藤公平]
しかし、仕事のある人はまだいい方でした。 倒産やリストラで失業すると、再び就職することは大変でした。
■七百円の退職手当も使ひ果し今日二十円友より借りぬ [井崎三呂]
●行商をする人たち
桐1銭青銅貨
(大正5~昭和13年発行)
この頃は、まだ行商をする人たちも多くいました。
■二軒家と知らねば吾は汗あえて遠つ山越えて来にけり [小沢俊夫]
■陽に白き舗道に舞立つ
土埃
(
つちぼこり
)
一銭の玩具を声あげて商ふ [林翠]
■売上は五円を超えつひさびさに早寝をせむと荷を引き急ぐ [吉村穂]
●農村の疲弊
昭和3年春、米の大豊作で米価は大暴落しました。「豊作飢饉」と呼ばれました。 農家では、米はあってもあまりもの安価で、売ることもできませんでした。
さらに昭和5年からは、世界恐慌の影響で生糸(繭)が暴落し、農村飢饉が進行しました。
■安き米は売るに惜しけれ牛売りて
歳暮
(
くれ
)
の払ひにあてむと思ふ [田辺臺三郎]
■わが妻とこの幾朝か摘みにける
一段
(
いつたん
)
の桑が二十円に足らず [江崎釚八郎]
■農村に自力更生せよと言へど百個の
茄子
(
なす
)
が十銭にも売れず [長谷川暎二郎]
追い打ちをかけたのが、昭和6年に発生した北海道・東北地方の冷害です。 一転して、今度は大凶作となりました。 困窮した農家に、婦女子の身売りを周旋する村役場もありました。
兌換券100円(1次100円)
(昭和5~18年発行)
■六百円の金に代へられ教へ子はつひにゆきけり恐ろしの世や [丸野不二男]
●戦争へ
昭和6年9月、柳条溝事件が発生し、満州事変が始まりました。
■発車間際涙ころしつつ兵士らの歌ひし軍歌ここはお国を何百里 [神勝之助]
昭和7年5月、5.15事件が起きました。
日本は、確実に軍国主義に進みました。 軍需景気のせいで、見かけ上、大不況は脱出しました。
参考文献 :
岩崎爾郎、「物価の世相100年」、読売新聞社、1982
「数字でみる日本の100年 改訂第4版」、矢野恒太記念会、2000
家庭総合研究会、「昭和家庭史年表」、河出書房新社、1990
2006.10.16