■心のつく所無き歌二首 わが背子が 右の歌は、舎人親王侍座に令して曰く、もしよる所無き歌を作る人あるときは、賜ふに銭帛を以ちてせむといふ。 時に、大舎人安部朝臣子祖父すなはちこの歌を作りてたてまつれり。 すなはち |
【大意】 訳の分からない歌2首 妻の額に生えている双六の牛の鞍の上にはれものがある 夫が下着にする丸い石の吉野の山に小魚がさがっている 右の歌は、舎人親王が、訳の分からない歌を作ったものには褒美をやろう、とおっしゃられたので 安部朝臣がこの歌をつくり、2000文賜りました。 |
暁より雨降れば、同じ所に泊まれり。 | 夜明け前から雨が降るので、同じところに泊まっている。船主さんがお精進する。野菜類がないので、午後からは船頭が昨日釣った鯛で、銭が無いから、船頭に米をやって、精進落ちをされた。こんなことはその後もあった。船頭はまた鯛を持って来た。米や酒をたびたび遣った。船頭の機嫌はいい。 |
■眞乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
極めて貧しかりけるに、師匠死にざまに、銭二百貫と坊ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋を芋頭の |
【拙訳】 仁和寺の真乗院に、盛親僧都という、たいへん高徳な方がいました。
たいへん貧乏でしたが、師匠がなくなって銭200貫と一つの寺を相続したので、100貫で寺を売り払い、3万疋(300貫)の財産を手にしました。 それを里芋代と決めて、都の人に預けて、10貫ずつお金をおろして、心行くまで里芋を食べていました。 他に散財することもなく、全てが里芋代になりました。 300貫の大金を全て里芋に使うとはたぐい稀な道心者だ、と皆んなは誉めました。 |