近世農家の家計簿

江戸時代の農家の家計簿です。

1.貞享期
  江戸時代初期、貞享期(1684~88)の農家です。 田5反、畑5反の小農です。 家族は夫婦と子供1人、そして下男が2人います。
収支項目数量・金額備考
収入田(5反)米 7.5石
畑(5反)雑穀 15.0石
収入合計22.5石
支出年貢4.5石三ツ取(三公七民として)
飯料12.0石馬1匹分2石を含む
衣類、下人給金、馬損料、農具・馬具その他の雑費6.0石金4両相当
支出合計22.5石差し引きなし
  1町の田畑の検地高は15石で、年貢を三ツ取(4.5石)としてもトントンで、四ツ取(6石)とすると1.5石の不足です。
  【出典】奈良本辰也、「米と金」、別冊太陽、1976
  【原典】「豊年税書」、貞享2年(1685)  著者不明

2.元禄期 紀伊国
  元禄期(1688~1704)の田2町と畑5反を持つ豪農の家計です。
  家族は男2人、女1人、子供2人の5人で、下男4人、下女1人を雇っています。
収支分類項目数量・金額備考
年間収入収穫
年貢
米入用
肥代
残百姓取分
45石
21.7石
4.3石
5石
13.96石(銀698匁)
田1反に2石、畑1反に1石



1石=銀50匁
収穫
肥代
残百姓取分
40石
銀200匁
銀720匁
1反に2石

1石=銀23匁
蕎麦収穫4石(銀120匁)1石=銀30匁
百姓取分合計銀1538匁
毎日の支出
(10人分)
食費 朝夕食事
昼食事
名?

味噌


銀0.48匁
銀1.15匁
銀0.10匁
銀0.03匁
銀0.20匁
銀0.30匁
銀0.06匁
銀0.15匁
1人1日きび1合
1人1日大麦5合

1人1日0.11合


年に50斤
3夜に1合
下人5人の給金銀1.10匁年間77匁×5人
家族4人の衣類銀0.28匁年間4人分で100匁
正月・五節句・盆・神事銀0.122匁年間26日
諸道具損料銀0.30分年間107.4匁
合計銀4.272匁
(年間1516.5匁)
1年=355日
  毎日の食事は、1人麦5合ときび1合です。米を食べるのは、正月・盆など年に26日だけでした。
  【出典】「日本史料集成」、平凡社、1956
  【原典】土屋(大畑?)才蔵、「地方(ぢかた)の聞書」、元禄年間  著者は紀伊の庄屋

3.享保期 陸奥国
  享保期(1716~1736)の仙台藩領内の農家です。5人家族です。
  田6反、畑4反を所有していますから、中農でしょうか。
収支分類項目数量・金額小計備考
収入田(6反)収穫、米11.96石
年貢、米6.72石
米6.24石銭14.280 
畑(4反)収穫、大豆4石
年貢、大豆1.2石
大豆2.8石 
その他買上人足の夫賃銭0.252貫銭0.252貫 
収入合計銭14.532貫
支出年貢・地代小物成
肝煎への納(村入用費)
銭2.423貫
銭2.256貫
銭4.679貫
諸掛種子籾買代
農具代
銭0.212貫
銭1.000貫
銭1.212貫 
主食夫食料銭4.845貫銭4.845貫 
衣食住味噌・塩・茶・酒・酢・小魚
薪代
衣服代
銭2.251貫
銭1.000貫
銭5.000貫
銭8.251貫 
冠婚葬祭法事・祝儀・交際・医者代銭1.823貫銭1.823貫 
支出合計銭20.810貫銭6.519貫?の不足
  かなり大幅な赤字です。米以外のものを食べるなどの経費削減が必要だと説明しています。
  【出典】飯野亮一、「地方書による近世農民の食生活」、大和市研究、1983
  【原典】蘆東山、「上言」、宝暦4年(1754)  著者は仙台藩の儒者

4.寛政期 摂津国西成郡
  寛政期(1789~1801)の摂津西成郡(現大阪市)の農家です。米・麦の他、綿と菜種を栽培しています。
  田2町5反5畝、畑4反5畝を所有していますから、豪農です。 家族と下男下女など8名を養っています。
収支分類項目数量・金額小計備考
収入田(25.5反)
米51石
麦28.5石
銀4455匁米1石=銀65匁
麦1石=銀40匁
畑(4.6反)綿 2本
菜種 5.775石
銀720匁
銀462匁
銀1182匁 
その他藁代
その他副業
銀312.7匁
銀295匁
銀607.7匁副業は、木綿織、藁仕事、縄筵など
収入合計銀6244.7匁 
支出年貢米米19.5石銀1267.5匁 
生産諸掛農具品々入用藁代
肥料
農具修復
雇用給銀
銀250匁
銀2077.65匁
銀241匁
銀730匁
銀3298.65匁肥料は干鰯、油粕と思われるが、非常に高価
主食費
3.33石
16.45石
銀874.45匁家族と使用人合計8人分
その他生活費諸入用銀551.51匁銀551.51匁 
支出合計銀5992.11匁銀252.59匁の剰余
  【出典】「日本史料集成」、平凡社、1956
  【原典】「西成郡史」

5.寛政期 上野国群馬郡
  中田4反、中畑1.5反を所有する小農です。5人家族ですが、労働できるのは3人です。
収支分類項目金額備考
収入田(4反)米 6.72石(反収 1.68石)
麦 6.4石(反収 1.6石)
8.0000両
4.4177両
1両=0.84石
1両=1.5石
畑(1.5反)麦 2.4石
大豆 5斗
稗 7斗
粟 6斗
小豆 1.2斗
芋 3.2石
1.6000両
0.5000両
0.2333両
0.3000両
0.1500両
0.7393両

1両=1石
1両=3石
1両=2石
1両=8斗
100文=8升
収入合計15.9143両
支出 年貢米 4.151石4.9375両
諸掛雇人夫 29人
雇馬 5匹
肥料(干鰯など)
0.5179両
0.2679両
1.4936両
1人=100文
1匹=300文

食費麦 12.39石8.2600両1日1人7合
その他塩・味噌・薪・衣類・農具修復費2.0000両
支出合計17.3271両1.4128両の不足
  1両=銭5.6貫文です。 一部計算の合わないところがありますが、原典のままとしました。
  【出典】大石慎三郎校訂、「地方凡例録(ぢかたはんれいろく)」、近藤出版社、昭和44
  【原典】大石久敬、「地方凡例録」、寛政6年(1794) 著者は久留米の庄屋、後高崎藩の郡方役人

6.安政期 武蔵国練馬
  幕末に近いころの練馬の農家です。田1町と畑5反を持ち、田では米・麦、畑では大根を栽培しています。家族は夫婦と子供1人のようです。
収支分類項目数量・金額小計(*1)備考
収入田(1町)米、麦米20石、麦6石金26.8両 
畑(5反)大根 2.5万本銭135貫文金20.8両1本あたり5.4文で売却
収入合計金47.6両
支出年貢・地代年貢
地代
米5石、銭3貫
米5石
金11.5両 
諸掛肥料

運賃
日雇の扶持
種穀
銭50貫
金2.5両
銭40貫
米5升、麦1.8石、金1.5両
米1石
金20.4両肥料は江戸で買う人糞
主食費米1.9石、麦3.6石金5.0両 
衣食住費塩・茶・油・紙
農具・家具
薪・炭
衣料
金2両
金2両
金1両
金1.5両
金6.5両 
交際費正月餅
親類との会食
年末年始など
親戚交際費
米3斗
米2斗
金2両
金1両
金3.6両 
支出合計金47.0両0.6両の余剰
   (*1)米1石=金1.1両、麦1石=金0.8両、金1両=銭6.5貫として計算しました。
  【出典】小野武雄、「江戸物価事典」、展望社、1980
  【原典】大久保仁斎、「富国強兵問答」、安政2(1855)  著者は御家人

付.農家の人は、何を食べていたか
  上の資料から、農家の人たちの主食量を計算してみました。 すべて一人一日当たりの主食量です。
    資料1 米+雑穀 5.5合
    資料2 きび1合、大麦5合
    資料4 米1.1合、麦5.6合
    資料5 麦7合
    資料6 米1.7合(+0.5合)、麦3.3合
  なお、平成時代の消費量は、米1.0合、小麦0.6合、大麦ほぼゼロ


2008.5.17   2019.8.18 付.を追記