天保5年12月(1835年1月)、大坂の中津藩蔵屋敷内にて、中津藩の下級武士福沢百助の次男として生れる。 安政元年(1854)、長崎に遊学し、オランダ語を学ぶ。 安政2年、大坂へ行き、緒方洪庵の適塾で学ぶ。 安政5年、江戸へ行き、中津藩邸の中に蘭学塾を開く。 万延元年(1860)、咸臨丸に乗り、アメリカに渡る。 慶応4年(1868)、慶応義塾を開設。 明治14年の政変で政府要人と絶交。 明治34年1月25日、病没。享年満65歳。 昭和59年11月1日、新しい1万円札として登場 |
嘉永一朱銀 銭にすると400文くらいです |
安政一分銀 銭にすると1600文くらいです |
頼山陽の半切の掛物 | 2分 |
大雅堂の柳下人物の掛物 | 2両2分 |
天正祐定2尺5寸の刀、拵付 | 4両 |
父の蔵書1500冊 | 15両 |
その他皿、茶碗、丼、猪口など | 18両 |
計 | 40両 |
万延二朱金 銭にすると800文くらいです |
文久永宝 銭4文です |
中津藩札 銀十匁 銀10匁は900文くらいのはずですが、 藩札には完全な信用がなく、 600文くらいで通用していました。 |