島 銭

日本の中世、渡来銭とはずいぶん趣の違った文字が刻まれた一群の銭がありました。 銭文が奇怪な文字なのです。
鉛のような柔らかい金属を彫刻刀で彫り、それで型をとって作ったようです。全く新しい銭名や、文字を知らない人が書いたかのように、文字が大きく崩れているのが特色です。
江戸時代の古銭書『古今泉貨鑑』がこれらの銭を、
みな文字 漫暗 だだくさにくらく 製作もっとも 麁薄 そまつにうすし  然れども銅質かたち 簡古 ○〇〇ふるきにして甚だ愛すべきものあり
疑ふらくは民間の姦偽かんきの銭乎 或は蛮夷ゑびすぐに 小島しまぐに 辺鄙いなか土人ものが 震旦からの文字を知らずして其大体を写すものならん

と紹介しました。 (ずいぶん差別的な文言ですが、著者は江戸時代のお殿様です。) この「小島(しまぐに)」で作られたものと書かれていることから、その後「島銭(しません)」と呼ばれるようになりました。

島銭について、文献③では次のように説明しています。
世に島銭と称するは、支那宋以来、辺境に於て私鋳せしものを指す。 其種類数百に及び多くは歴代の銭文に擬せり。 而も素質原料大に異り、殊に書体の奇怪なる、殆ど通読し難きものあれども、古雅愛玩するに足る。
また、文献④では次のように説明しています。
島銭というのは古銭界の特殊用語で、文字を知らない文盲の銭工が、文字らしきものを銭文に配して、日本の辺地の島所で僭鋳したという言伝えから、ピンとこない名前が生まれた次第である。 気取らず朴訥で、天衣無縫、まことに独自な持ち味は穴銭最高のものとして、円熟の古銭家が古来からとくに愛蔵したものである。

大きさはほぼ23ミリ前後で揃っていますが、薄手のものが多く、重さは2グラム前後です。 また、字画や縁・郭の彫りが浅く、特に背面は凹凸がほとんどありません。
最近の研究結果では、14世紀中頃の比較的短い期間に、日本で製造されたものとされています。(文献⑧参照)

名称『古今泉貨鑑』
(文献①)
『古銭大鑑』
(文献③)
『東洋古銭図録』
(文献⑤)
一関市出土銭
(文献⑧)
淳化元宝
切銭手


2.1g 23.7mm
不載
咸道通宝
切銭手

(咸通通宝?)

1.8g 22.9mm
不載 不載
元開通宝

2.4g 23.4mm
不載
天平通宝

2.1g 23.0mm
不載 不載 不載
宋開聖宝
(宋開重宝?)

1.8g 23.7mm
不載 不載
太平通宝

3.8g 24.7mm
皇宋通宝
打製


1.6g 23.3mm
不載 不載 不載

確かに稚拙な文字ですが、古来より古銭家の愛玩とするところで、その稀少さともあいまって、かなり高額で取引されていました。 戦前に発行された、『昭和新訂古銭価格年鑑』では、和同開珎と同じ値段に評価しています。
また、最後の「皇宋通宝・打製」だけは、材質も製造方法も他と異なっています。 文字の雰囲気は他の島銭と共通するところもありますが、これだけは14世紀のものではなく、江戸初期の可能性もあります。
舶 載 島 銭
永楽通宝
1.7g 24.0mm
○○通宝 左文
2.4g 24.0mm

ところで、昭和44年ころから、インドネシアのバリ島などで、日本の古銭が大量に埋蔵されていることが日本の古銭商の知るところとなり、大量に逆輸入されました。 それらの多くは、中世の日本産の鐚銭や江戸初期の寛永通宝(古寛永)でしたが、島銭風のものも多く含まれていました。
このことを文献⑦では次のように説明しています。
近時、南方舶載銭中にも相当数の「島銭」が混入していたが、これらは本邦鋳造とは首肯しがたいものが多く、従って現在「島銭」と称されるものは、大別して次の三種になるのではないか。
 一、元来日本に在って、近時の舶載中にないもの。
 二、元来日本に在って、かつ、近時の舶載で相当数の増加を見た類。
 三、元来日本で発見されず、近時の舶載銭中に新発見された類。
元来日本にあったものは「伝世島銭」、舶載品を「舶載島銭」と区別して呼ぶこともあるそうです。

参考文献
  ①朽木昌綱(福知山のお殿様)、『古今泉貨鑑』、寛政10(1798)
  ②平尾賛平、『昭和泉譜』、昭和7(1932)
  ③中橋掬泉、『古銭大鑑』、昭和29年、大文館書店
  ④安達岸生、『穴の細道』、ボナンザ、昭和46
  ⑤増尾富房・和之、『東洋古銭図録』、昭和52年、穴銭堂
  ⑥広瀬輝夫、『舶載島銭の分類』、雑誌「収集」連載、1979~1980
  ⑦静岡いづみ会、『穴銭入門』、雑誌「収集」連載、1982~86ころ
  ⑧東北中世考古学会編、『中世の出土模鋳銭』、高志書院、2001
    拓図は、平成9年、岩手県大東町(現一関市)大原大明神で発掘された出土銭です。


 2020.6.20