秋田加護山銭
● 秋田加護山銭
幕末、秋田藩では領内の加護山に精錬所を設け、阿仁銅山で産出する銅をもとに、銭を生産しました。
文久2年ころ始まり、明治3年ころまで続いていたと思われます。
幕府の許可を得ていたかどうかは定かではありません。
加護山銭の最大の特徴は、銅質にあります。 書物では、この銅質を様々な言葉で表現しています。
・赤褐色の特有の銅色
・赤茶系で柔らかい質感
・赤紅色を呈する赤銅質
・赤味のある銅質
・純銅に近くて赤い
・茶褐色、もしくは紅褐色の純銅に近い銅質
いずれも、赤みのある銅質ということでは一致しています。 参考文献①では、銅9に対して鉛1を含むため、このような銅色だとしています。
通常の銅貨は、青銅(銅と錫の合金)、黄銅(銅と亜鉛の合金)なのに対して、阿仁銅山でよく産出する鉛を多く加えたのでしょう。
また、仕上げが粗いため、面背や輪側に荒いヤスリ仕上げの条痕が残っているものが多いのも特色です。
「秋田波銭」
40.0g 43~44mm 厚さ3.5mm
● 「秋田波銭」
右の銭は、加護山銭の特徴の見本のような銭です。
面に「青海波(せいがいは)」、背に「秋」の1字のデザインから、「秋田波銭」と通称されています。
未使用に近い状態のため、製造時の色とヤスリの痕跡を残しています。
厚さ3.5mmもあるずしりとした銅銭です。
藩内で、天保通宝に代わる100文銭として発行したのですが、思うようには通用しなかったようです。
「秋田広長郭」
23.2g 32.5 x 49.3mm
[参考] 本座広郭 20.4g 32.5 x 49.0mm
● 加護山の天保通宝
天保通宝も多く製造しました。
幕府発行の天保通宝(広郭)を範として製造したのが右の「秋田広長郭」です。
本座銭と対比すると、色や質感の違いがよくわかります。
また、範にした本座銭に比べて、内郭がやや縦長になり、通字の末尾が長く、背面の花押が大きいなどの違いがあります。
手にして気持ちがなごむ材質です。
「加護山・細字嵌郭」
3.1g 23.0mm
[参考] 江戸亀戸細字背文 3.5g 25.0mm
● 加護山の寛永通宝
次は寛永通宝です。
最初のは、おなじみの背文銭を模したものです。
「細字嵌郭」と名付けられています。
嵌郭(かんかく)とは、穴にはめ込むことを意味します。
材質が柔らかいため、ヤスリがけの際の変形を防ぐため、内郭に枠を補強したものです。
「加護山・不旧手写し」
3.5g 25mm
「加護山・当四銭写し」
4.7g 27.5mm
この他にも、いろんな種類の寛永通宝を製造しています。
右の2つは、不旧手と呼ばれる一文銭と、四文銭を鋳写した銭です。
本銭を母銭として鋳型を作り、生産したようですが、あまりできばえはよくありません。
明治になってからの手抜き生産のように見受けられます。
しかし、阿仁の銅質の寛永通宝にはファンも多く、マニアには垂涎品です。
【参考文献】
①佐藤清一郎、『秋田貨幣史』、みしま書房、昭和47
2021.12.21