明治初期の貨幣事情

明治元年に江戸幕府が崩壊し、貨幣を管理する人がいなくなりました。
新政府が新しい貨幣を発行したのは、明治3年末で、それが全国に普及するには数年かかりました。
その間の数年間、日本人はどのような貨幣をどのように使っていたのでしょうか。
二分金
3.0g 19.4×12.2mm 金品位223
明治維新のころの主力金貨です
一分銀
8.6g 24.1×16.4mm 銀品位991
江戸の貨幣制度では金貨に属します
寛永通宝 銅1文銭
3.5g 25.0mm
幕末から12文で通用し、
明治4年に10文になりました。
● 幕末の貨幣

 幕末に、主に使われていたのは次のような貨幣です。

○「二分金」、「一分銀」、「一朱銀」
   江戸幕府が発行していた金貨です。
   金1両=金4分(ぶ)=金16朱の貨幣単位です。
   明治政府もこれらを発行していました。
   1両小判は殆ど使用されていませんでした。
○「丁銀・豆板銀」
   江戸幕府が発行していた銀貨です。
   慶応4年5月に「銀目廃止令」でその通用が停止されました。
   通用は終えたのですが、市中では銀匁単位の相場や取引がありました。
○「天保通宝」「寛永通宝」などの銭。
   寛永通宝の鉄の1文銭を1文として、
   銅の1文銭は12文、天保通宝は100文で通用しました。


● 横浜毎日新聞の相場情報
メキシコドル
26.8g 39.7mm 銀品位 902.77
最も代表的な「洋銀」です
 明治3年12月8日、横浜で『横浜毎日新聞』が創刊されました。 日本で最初の日刊新聞です。 貿易港だけあって、貿易に関する記事が多いです。
 新聞で重要なのは日々変わる相場です。 現代なら株価や外国為替レートでしょうが、当時重要だったのは、銭の相場と銀銭の相場でした。
 右は、創刊号に掲載されている相場情報です。
  

   金1両 銭10貫348文
とあるのは、金1両に対する銭(寛永通宝、天保通宝など)の相場です。
 新政府は、明治2年7月に金1両=銭10貫文の固定レートをお触れしましたが、実際には相場がたっていました。 お触れ通りになったのは明治4年末です。

   銀銭1枚 銀60匁3分1厘
 銀銭とはこの当時、欧米諸国が東アジア貿易で使っていた銀貨(洋銀)のことですが、その中でもメキシコが発行した8レアル銀貨を「メキシコドル」と呼び、単に洋銀と言えばこの銀貨を指していました。
 その日本での相場を表す「匁」の単位は、本来は丁銀・豆板銀で代表される江戸時代の秤量銀貨の重さのことでしたが、慶応4年5月の「銀目廃止令」で丁銀・豆板銀の通用と銀目だての取引は停止されていました。 それでも商人たちが、通貨単位として慣れ親しんだ「匁」を使い続けていたものです。 貨幣実体が存在しない、仮想的な単位です。 江戸幕府初期の「1両=60匁」を基準としています。
 洋銀1枚は、安政5年(1858)の日米修好通商条約で金3分(銀45匁)と決められましたが、その後40匁前後の相場となり、明治に入って60匁前後の相場となりました。
 


● いろんなものの値段
 明治初期のいろんなものの値段を調べてみました。 両・分・朱、匁、文、ドル、円・銭などの単位が混在しています。
 なお、[明4.8.24]などとあるのは、その記事が掲載されている「横浜毎日新聞」の日付です。

■西郷隆盛の給与
  慶応3年12月 参与 月給500両
  慶応4年5月 議政官参与 月給600両、ただし関東平定までは300両
  明治4年6月 太政官参議 年給米700石 (年給7000両相当です)
  明治6年5月 陸軍大将 月給500円
  両⇒米石⇒円、と変遷しています。

■このころ発行されていた新聞などの値段。
  「太政官日誌」 慶応4年2月創刊の新政府の広報誌。 ページ数により、1匁5分、2匁、2匁5分など。
      明治4年1月まで匁単位の表示だったが、その後の値段は不明。
  「横浜毎日新聞」 明治3年12月創刊の日本初の日刊新聞。 1日1匁、1月で24匁。
      明治5年6月に、それぞれ1匁5分、36匁に値上げ。
  「新聞雑誌」 明治4年5月、木戸孝允が出資して創刊。 1部2匁。
      明治6年、3銭に改定。  (この部分一部不正確の可能性あり)
  「開化新聞」 明治4年12月に金沢で創刊された。 1部定価銭札350文。
      このとき新聞社の収益計算は、銀1匁=銭札100文の換算で行なわれています。 「銭札」は、金沢藩の藩札のことかもしれません。
  「東京日日新聞」 明治5年2月創刊の東京初の日刊新聞。 1枚140文、1月銀20目。
      1両=10000文=銀60匁で計算すると、1か月の料金は23.8枚分の料金になります。
  「小田県新聞」 明治6年1月発刊。 小田県は、現在の岡山県西部と広島県東部に置かれた県。 1部新貨2銭。
      「新貨」と表現されているところが興味深いです。
  明治4~5年ころまでは銀匁表示が多く、明治5~6年以降は銭厘表示が多くなっています。

■明治2年9月 陸軍は、軍隊の兵士の1日の食事を、主食米6合・副食金1朱と定めました。

■明治2年12月、東京-横浜間に電報の取り扱いが開始されました。
  料金はカナ1字につき、銀1分でした。 金1ではありません。 銀1ふんは銀1匁の10分の1のことです。

■明治3年5月、人力車が発明されました。
  東京府が決めた料金は、1里あたり金2朱でした。

■明治4年3月 郵便制度が始まりました。
  東京から横浜までの書状(重さ5匁まで)の料金は200文、大阪までは1500文でした。
  明治5年3月、100文を1銭に読み替え、2銭、15銭になりました。

■明治4年8月、豊作で原材料の値段が下がったので、横浜の商人たちが申し合わせて値下げしました。 [明4.8.24]
  上白米 (1両あたり)1斗4升5合
  上々酒 14匁、 上酒 12匁
  豆腐小半丁 48文、 焼豆腐 14文、 油揚 20文
  饂飩と蕎麦 (100文の所)80文 
  商品によって価格の表示方法が異なります。

■明治4年4月、横浜に住む外人さんの飼犬が行方が不明になり、懸賞金5ドルの広告を出しました。[明4.4.20]
  黒白まだらの日本出生のめ犬子ツキと称するいぬを二十二番地に於ゐて紛失致し候間、見当持越候人へは五ドルの賞銀差出可申候。

■明治4年12月、イギリスの元軍艦でロンドンまで250両。[明4.12.10]
  御壱人分金二百五拾両。食事等は一切相賄ひ、医師も相抱置候

■明治5年2月、福沢諭吉らの『学問のすゝめ』が刊行されました。 全17編で、1編の定価は銀3匁。
  明治13年7月に再版が刊行されたときは、1編3銭3厘3毛。

■明治5年5月、横浜-品川間の鉄道列車が開通し、仮営業が始まりました。[明5.5.9]
   横浜より、午前8字、9字、10字、午後2字、3字、4字の6度発車。35分後に品川に到着。 (「字」は現在の「時」)
   片道賃金は、上等1円50銭、中等1円、下等50銭。 小児4歳までは無賃、12歳までは半賃、
   包み胴乱は無賃、その他の荷物は30斤までは25銭、60斤までは50銭。
 別な記録では、それぞれ金1両2分、1両、2分、となっています。 1両=1円の計算です。
 また、10月に新橋までに本営業されたときのこの区間の料金は、3分3朱、2分2朱、1分1朱に値下げされています。

■横浜港運上所の税収高
 明治4年の横浜港運上所の税収高は次の通りでした。 [明5.3.6]
   貿易銀      65円36銭5厘        明治3年より発行された「1円銀貨」のこと
   一分銀  18,167両3分 永177.5文   江戸時代以来の「一分銀」
   一朱銀  43,891両2分 永45文      江戸時代以来の「一朱銀」
   二分金 691,499両3分 永134.2文   江戸時代以来の「二分金」
   金札    1,090両 永15.7文      「太政官札」のこと
   銭         3貫文            「寛永通宝」や「天保通宝」
   洋銀   49,702弗95セント5分      「メキシコドル」のこと
 この年は、税収をその支払った貨幣の種類で分類集計しています。 円・両・文・弗単位ですが、匁単位はありません。
 二分金が経済活動の中心だったことがよく分ります。
 「永○○文」は、1両を永1000文で計算する方法です。 両・分・朱単位に比べて、計算の容易な10進数で計算する方法ですが、なぜ端数がでるのかは不明です。
 翌明治5年の税収高は、次のように項目別ですべて円単位で集計しています。 [明6.1.22]
   輸出税  405,196円    円未満省略、以下同様
   輸入税  668,632円
   庫租    11,880円
   出入港手数料 6,353円
   雑税     1,449円
   罰銀       660円    「罰金」のこと

■明治6年1月、ダイヤ入り金指輪の落とし物に、懸賞金20両の広告を出しました。[明6.1.10]
   落し物 ダイエモ (まま) ンド入 金細工指輪 一ツ ひろい候御方へ謝礼二拾両

■小学校の月謝の規定が決められました。[明治6.2.8]
  「神奈川県下小学舎設立規則」
    第12則 月謝生四等に分ち、上等は1箇月金3分、中等は金1分1朱、下等は金3朱、等外は金1朱つヽ納むへき事。
    第13則 貧乏にて月謝又は筆墨紙等調べ難きものは戸長には篤と取糺し、・・・ 
 親の収入によって月謝が定まっていましたが、貧しい家は考慮されたようです。

■横浜ステーション列車待合所で、乗り物酔いを防ぐ「宝丹」が販売されました。 [明6.7.12]
   宝丹 小包定価6銭2厘5毛    
 なんとも細かい数字ですが、1両(1円)の16分の1の1朱です。
 なお、この薬現在でも販売されており、10g入りで1650円です。


● 新しい円・銭・厘単位の貨幣の発行と「新貨条例」
 新政府は、明治3年3月、新貨幣を円・銭・厘単位の円形とする方針を決定し、11月より製造を始めました。
 20円から1円までの金貨と、1円から5銭までの銀貨が発行されました。(2銭以下の少額銅貨が発行されたのは明治6年からです。)
 1円金貨は、1.67g、金品位900 純金量1.500g。 これは、アメリカの1ドル金貨とほぼ同量でした。
 1円銀貨は 26.96g、銀品位900 純銀量24.26g。 これは、メキシコのドル銀貨とほぼ同量でした。
 金貨と1円銀貨は対外貿易のためのもので、国内で使われることは稀でした。
 明治4年5月、「新貨条例」が布告されました。
 明治4年12月、寛永通宝銅1文銭は10文、天保通宝は80文と改定されました。

 これまでの通貨単位と新しい通貨単位との関係は次の通りです。
   金1両は1円。 金1分は25銭、金1朱は6銭2厘5毛になります。
   銀60匁は1円。 銀1匁は1.666銭になります。
   銭10000文が1円。 銭100文が1銭になります。
 2銭から1厘までの少額銅貨が発行されたのは明治6年です。 天保通宝は8厘銅貨、寛永通宝(銅1文銭)は1厘銅貨として、大きな存在価値がありました。
 新しい貨幣単位での取引が全国的に普及したのは明治6年ごろだったでしょう。
 また、金本位制が確立したことで、
   アメリカの1ドル  = 1.003円
   メキシコのドル銀貨 = 1.007円
 が固定レートとなりました。
「新貨条例」  226×157mm、本文29丁

● 【参 考】幕末・明治初期の金貨・銀貨の諸元
銀貨名発行時期重さ品位純銀量両/円/ドル
当りの純銀量
安政丁銀60匁1859-65225g.13530.38g
安政一分銀1859-688.63g.8737.534g30.14g
明治一分銀1868-698.66g.8076.99g27.95g
嘉永一朱銀1853-651.86g.9681.830g29.27g
明治一朱銀1868-691.88g.8801.65g26.47g
1円銀貨1870-191426.96g.90024.24g24.26g
アメリカ1ドル銀貨1840-193526.73g.90024.06g24.06g
メキシコドル1825-9727.07g.90324.44g24.44g
金貨名発行時期重さ品位純金量両/円/ドル
当りの純金量
万延小判1860-673.30g.5741.894g1.894g
万延二分金1860-683.00g.2290.687g1.374g
明治二分金1868-693.00g.2230.669g1.338g
1円金貨1871-801.67g.9001.500g1.500g
アメリカ10ドル金貨1838-193316.718g.90015.05g1.505g



● 【略年表】
 慶応4年2月 洋銀(メキシコドル)の通用価格を金3分と決める。
 慶応4年4月 幕府の金座・銀座を新政府が接収。 翌年2月まで、新政府用の貨幣を鋳造。
 慶応4年閏4月 寛永通宝鉄1文銭を1文として、銅銭は12文、銅当四銭は24文で通用するように定める。
 慶応4年5月 「銀目廃止令」。丁銀・豆板銀の通用を停止し、銀目だての取引を停止する。
     旧来の証書などは、1両=銀219.47匁、銭1貫文=銀17.48匁で換算する。
 慶応4年5月 金10両~金1朱の「太政官札」を発行。
 慶応4年~明治2年 奈良府、日田県など各地で「府県札」が発行される。
 明治2年7月 金1両=銭10貫文のお触れを出すが、現実には相場がたつ。
 明治2年11月 金2分~金1朱の「民部省札」を発行。
 明治3年11月 新しい金貨・銀貨の鋳造を開始する。
 明治4年5月 「新貨条例」布告。これにより、旧1両=新1円、1円はほぼ1弗と等価となる。
 明治4年12月 寛永通宝銅1文銭を10文、銅当四銭を20文、天保通宝は80文と改定。
 明治5年3月 1両=銭10000文を1円とする。100文が1銭、10文が1厘となる。
 明治5年8月 100円~10銭の「明治通宝札」が発行される。


● 【参考文献】
横浜開港資料館、『横浜毎日新聞』が語る明治の横浜 第1集(3年~5年)、1985
横浜開港資料館、『横浜毎日新聞』が語る明治の横浜 第2集(6年)、1986
高橋秀悦、『幕末・横浜洋銀相場の経済学』、東北学院大学経済学論集 第184号

 2024.10.1