甲州一分金


 甲州一分金 背定 享保12~17年(1727~32)

 江戸幕府は貨幣制度も全国統一したものの、甲州地方に限って領民の強い要望により、武田氏以来の甲州金の発行を許さざるを得ませんでした。
 甲州地方はこの間、浅野氏、平岩氏、徳川忠長(家光の弟)、徳川綱豊(6代将軍)、柳沢吉保などが歴代の領主でしたが、この貨幣の発行ころは天領となっていました。
 甲州金は、その後幕末まで使い続けられ、明治4年1月、新政府より
    甲州一分金(背重)は金2両
    甲州一分金(背定)は金1両3分2朱
にて通用する旨の布達が出されています。(「山梨県史」)。

15.1mm 3.7g
2005.10.15