バリ島の寛永通宝

バリ島で使われていた寛永通宝
日本で使われていたものに比べて、黒くくすんでいる。

  ●「大陸新報」 1942.4.11(昭和17) より
穴明き銭『寛永通宝』 今なおバリ島、ジャバに流通
【バタヴィア三十一日発特電】=朝日特約=
東印度の一部地方で、二百数十年前から『寛永通宝』が流通し、今日でも尚生きた通貨として原住民の生活と切っても切れぬ結びつきを持っている、
流通範囲はバリ島全部、東部ジャバのロマジャンからバンユワンギに至る地方の山間地帯、
至って程度の低い商業経済を営んでいるのでギルダー貨幣では間に合わず一セント以下の貨幣として、寛永通宝を用いていたもの、
この穴明き銭の価値が皇軍の攻略でピンとはねあがり、戦前は大体寛永通宝六枚か七枚で一セントだったのがこの頃は三枚一セントで通用されている、
東印度の島島へ日増しに深く広く浸み込みつつある日本の力を物語る微笑ましい現象であろう、
流通総量等については記録は一つも発見されないが、寛永後から徳川中期にかけ、沖縄漁夫が持ち込んだものらしい

 17世紀、日本で作られた銭が、東南アジア各地に輸出されていました。
 バリ島などでは、昭和時代まで少額貨幣として使用されていました。
 この地方では、お金を地中に埋めて保管する習慣があったため、日本で使われていたものに比べて、黒くくすんだ色合いになっているのが特徴です。
 昭和43年ころ、バリ島に大量の古銭が埋もれていることが日本の古銭業者の知るところとなり、日本に逆輸入されました。日本では希少だった古銭も多くあり、古銭界にセンセーションを引き起こしました。

【出典】神戸大学附属図書館、「神戸大学電子図書館システム」、2007 (引用の際、文中に改行を加えました)

2007.5.21