吉田駒曳銭

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絵銭 ~ 吉田駒曳
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「絵銭」とは銭の形をしていますが、貨幣ではないものです。
室町時代の末期から、明治・大正のころまで、さまざまな人たちが、さまざまの目的で作ったようです。
大名の祝賀用、寺社の上棟式用、商家の記念品、子供の玩具、好事家の戯作品、やくざの賭博用、などど想像されていますが、詳しい事情は殆ど分かっていません。
さて、江戸幕府は寛永13年(1637)、それまでの渡来銭に代わって幕府が銭を鋳造することにしました。 銭を鋳造する銭座が全国15箇所に設けられ、大量の「寛永通宝」を鋳造しました。 三河吉田の銭座もその一つです。
その吉田の銭座で作ったのが画像の品です。 できあがった銭を数えるとき、100枚に1枚の割合でこの銭を挟んで数えやすくしたものです。 それをお守りとして使う人がでてきたり、子どもの遊びに使われるようになったらしいです。 このデザインから「吉田駒曳」または「吉田牛曳」と呼ばれています(馬か牛かが定まっていないのは興味深いところです)。 人物と馬(牛?)のユーモラスな表情、文字と絵の絶妙のバランス、デザイナーに拍手です。
「銭座」の人たちが作ったものなので、背(裏面)は寛永通宝のそれにそっくりです。 このように銭座で作られた絵銭は「座銭」と通称されています。
【参考文献】
中橋掬泉、「新撰古銭大鑑」、大文館書店、昭和29
万国貨幣研究会編、「絵銭の相場」、万国貨幣洋行、昭和47
2009.9.16