新疆の紅銭
新疆の紅銭
道光通宝 アクス局製造 2.7g 24.4mm
18世紀、新疆にはウイグル人たちの国がありました。
1754年、この国に内紛が起こり、清の乾隆帝はその内紛につけこんで、軍隊を派遣しました。
1759年にこの地帯を平定し、「新疆」の名を定めました。
そして、1760年から、アクスなどこの地で赤銅の貨幣を発行しました。その色から、「紅銭」と呼ばれています。
”こうせん” または ”あかせん” と呼ぶのでしょうが、”べにせん” と呼ぶほうが趣があります。
紅銭は新疆の7カ所で製造されました。 紅銭の裏側には左右に満州文字が書かれていますが、右側は
(宝)の文字、左側は製造地を示す文字です。
No
発行地
古代の地名
開炉年
❶
ヤルカンド(ヤルキム)
葉爾羗(叶尓羗)
莎車
乾隆25年
(1760)
❷
アクス
阿克蘇
姑墨
乾隆26年
(1761)
❸
ウージー
烏什
乾隆30年
(1765)
❹
イリー
伊犂、伊寧
月城
乾隆40年
(1775)
❺
ウルムチ(テッカ)
烏魯木斉(迪化)
輪台
咸豊4年
(1854)
❻
カシュガル
喀什
疏勒
咸豊4年
(1854)
❼
クチャ
庫車
亀茲
咸豊6年
(1856)
清は、この地を治めるのに現地の有力者を「ペグ(官人)」として登用しましたが、彼らはしばしば不正に私腹を肥やしました。
次の文は、1828年の欽差大臣の上奏書の一部です。
■ハーキム・ペグらは公用という名目で苛斂誅求し、私腹を肥やすことが多く、さらにハーキム以下の人々が重ねて搾取している。毎月家ごとに紅銭25文を割り当てて徴収し、それをケレクリク(必要物)と呼ぶ。
紅銭の発行は、清朝が滅亡する1910年ころまで続けられました。
かつて、この古銭は日本では数が少なく、収集家の間でも垂涎の的でした。 昭和50年ころは、1枚1万円以上もしました。
ところが、昭和54年、中国がベトナムに侵攻したとき、中国軍の銃砲の弾丸の材料にこの紅銭が使われていることが日本の古銭業者の知るところとなり、その後日本に大量に流入するようになりました。
現在では、安価なものだと1枚数百円で入手できます。
【参考資料】
飯田和夫、
「紅銭年表」
歴史学研究会編、「世界史史料4」、岩波書店、2010
2011.3.6