石蹴り元豊

称・石蹴り元豊
2.5g 24.2mm
中世、日本は中国から大量の銭を輸入していました。 「渡来銭」です。
ところが、江戸時代になると、逆に東南アジアに輸出する状態になり、日本の「寛永通宝」が大量に輸出されました。
そのままではは日本が銭不足になり、経済活動に支障をきたしそうになります。 そこで幕府は「寛永通宝」の輸出を禁止し、万治2年(1659)より、輸出専用の銭を発行しました。 これは「長崎貿易銭」と呼ばれています。

多くの種類の長崎貿易銭が発行されましたが、その中の「元豊通宝遒勁大字」と分類されているものの中に、「元」の文字の前足の先が切れているのがあります。
子供が石蹴り遊びで石を蹴っている足先に似ていることから、「石蹴り元豊」と通称されています。 蹴り上げた石が少し飛び上がっているようにも見えます。
また不思議なことに、表側の外縁の向かって左側が右側より広いのです。 しかし裏側は普通です。 詳しく調べると、内郭が少し右にずれているのです。 不思議です。

昭和40年代に書かれた『穴の細道』という名著があります。 その中で、
 ■”石蹴り”は源氏名銭中首位の珍品で現存は5枚ぐらいであろう。
と書かれています。 実際、昭和42年発行の『貨幣手帳』によると、
   和同開珎(通常品) 8千円~1万2千円
   石蹴り元豊  2~3万円
となっていました。 和同開珎の2~3倍もしたのです。 しかしその後、東南アジアから多くの貿易銭が里帰りし、この「石蹴り元豊」も多く帰ってきましたので、それほど極端には希少品ではなくなりましたが、それでも希少品には違いありません。


遒勁大字(本体)
3.1g 23.9mm

遒勁小字
3.0g 24.0mm
ところで、石蹴り元豊は、「長崎元豊遒勁」と分類されているものの特殊なものです。
遒勁には大字と小字があり、小字の中にも石蹴り状のものがあり、これを”石蹴り元豊”として店頭に並べているコイン店があるから要注意です。
大字と小字は、その名の通り文字の大小で、両方並べると一目瞭然なのですが、単体で見るときは豊字の下部の豆部の形状で容易に識別できます。
また、遒勁大字の本体と石蹴りは、元字の先端だけでなく、豊字の上部の欠けているところが違うのも識別のポイントです。


元字先端豊字上部豊字下部
石蹴り元豊
     
石が飛んでいるように見える

左下に鋳切れがある

両足が閉じている
そうでないもの
の例

「遒勁小字」の鋳切れ

贋作者による切断

右上にあるのは
「遒勁大字本体」

両足が開いているのは
「遒勁小字」

2016.9.17  「ニックネームのついたコイン」より独立   2020.10.26 改訂  2022.5.6 改訂