『紙幣鶴』
1919年発行 オーストリーの1000クローネン紙幣
裏面もほぼ同様のデザイン 193×128mmの大きな紙幣
大正10年(1921)暮から3年余り、斎藤茂吉はベルリン、ウィーン、ミュンヘンなどの大学で神経医学を研究しました。
第一次大戦で敗戦国となったドイツ、オーストリーの両帝国は崩壊し、かつての栄光の復興を模索していたころです。
そんな折、茂吉はウィーンで不思議な光景を目にしました。
ある晩カフェに行くと、一隅の卓に
倚
よ
ったひとりの娘が、
墺太利
オウストリー
の千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに
夕餐
ゆうさん
をしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ
穿鑿
せんさく
せぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。
「こんばんは。何している」
「こんばんは。どうです、
旨
うま
いでしょう」
「なんだ千円札じゃないか。
勿体
もったい
ないことをするね」
「いいえ、ちっとも勿体なかないわ。ごらんなさい、
墺太利
オウストリー
のお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」
そうして娘は口を細め、
頬
ほお
をふくらめて、紙幣で折った鶴をぷうと吹いた。鶴は虚空に舞い上ったが、
忽
たちま
ち
牀上
しょうじょう
に落ちた。
娘は、微笑しながら紙幣で折った鶴を僕に示して、„fliegende oesterreichische Kronen!“こういったのであった。この原語の方が、象徴的で、簡潔で、
小癪
こしゃく
で、よほどうまいところがある。けれども、これをそのまま日本語に直訳してしまってはやはりいけまい。
この小話は、墺太利のカアル皇帝が、
西班牙
スペイン
領の離れ小島で崩じた時と、同じような感銘を僕に与えたとおもうから、ここに書きしるしておこう。
オーストリー帝国最後の皇帝カールが、大西洋上のポルトガル領の小島(茂吉の文章ではスペイン領としています)で寂しく没したのは、ほんの数ヶ月前のことでした。
戦後のインフレも進行していました。 茂吉が「千円紙幣」と書いている「1000クローネン紙幣」も、その価値がだいぶ小さくなっていました。 この先もどうなるか見通せません。 前途に希望を見いだせない女性のなげやりな姿に、茂吉が感銘したのでしょう。
茂吉さんに叱られるかも知れませんが、少女の言葉を敢えて訳すと、”オーストリーはどっかへ飛んで行け!”、でしょうか。
次の年、ミュンヘンに移った茂吉は、ナチスの「ミュンヘン一揆」を目のあたりにします。
行進の歌ごゑきこゆHitlerの演説すでに果てたるころか
【参考文献】
『青空文庫』 ~ 『紙幣鶴』
『斎藤茂吉全集 第5巻』、岩波書店、昭和48
2021.7.17 2024.2.3