長崎元豊

 中世、日本は銭を中国から輸入していました。 「渡来銭」です。
 しかし17世紀になると、逆に東南アジアに輸出するようになりました。 当初は、鋳写鐚銭、加刀鐚銭、改造鐚銭などと呼ばれるものだったと推察します。 鐚銭(びたせん)といっても、この時代のものは中国製のものに匹敵する高品質のものでした。 日本製の銭は評判が良く、「ミト」、「サカモト」などのブランド品もあったくらいです。
 1636年(寛永13年)に幕府により「寛永通宝」が発行されると、この寛永通宝を輸出するようになりました。
 しかし、日本国内の銭が不足することを心配した幕府は、1659年(万治2年)寛永通宝の輸出を禁止します。
 その代わりと、長崎で輸出専用に寛永通宝に代わる銭を製造しました。 銭銘には、宋の「元豊通宝」を採用しました。 現在これは「長崎元豊」と呼ばれています。
長崎元豊「大字」
最初期のもの 2.7g 24.0mm


 その最初期のものが、右の画像の品で、「大字」と分類されているものです。
 決して達筆ではない文字、鋳だまりや鋳不足が目立つ面(右の画像の品は割合できがいい方です)、雑な背面の仕上げなど、急に始まった長崎での鋳銭状況がみえるようです。 不慣れな職人の精一杯の製品の感じがします。

長崎元豊「珍宝」
 最後期のもの 3.2g 24.2mm

 長崎元豊の製造は1685年(貞享2年)まで続きました。 その25年間に製造技術はだいぶ進歩しました。 その間の1668年(寛文8年)に、寛永通宝も古寛永から新寛永に改善されています。
 最後期のものは、右の画像の品で、「珍宝」と分類されているものです。 「寶」字の尓画が人の下に小という変わった字なので、「珍宝」と名付けられています。(「珍宝」は「ちんほう」と読んでください)
 文字は達筆になり、25年の技術進歩が目に見えるできばえです。 洗練された熟練工の製品に変わっています。

 2022.5.21