ポーランドが大国だった頃

  
ポーランドの1Ort(オルト)銀貨 1616年 6.5g 29.5mm

 1587年、スウェーデン王ヨハン3世の子ジグムントが、母方の祖父のポーランド王の跡を継ぎ、ポーランド王ジグムント3世を名乗りました。
 当時ポーランド王はリトアニア大公を兼ね、その領地は、現在のリトアニア、ベラルーシ、ウクライナにも及び、人口は1200万人を擁し、ヨーロッパでも有数の大国でした。

 上の画像はこの王が発行した銀貨です。 コインの表面は、国王像の周囲に、SIGIS:III・D:G:REX・POL:M:D:L:R:PRVS の文字を刻んでいます。 これは Sigismundas III Dei Gratia Rex Polaniæ Magnus Dux Lithuaniæ Russiæ Prussiæ の略で、「神の恩寵によるポーランド王、リトアニア大公、ロシア王、プロイセン王たるジギスムント3世」を意味しています。 何と素晴しい称号でしょう。

 王は、1592年には父王の跡も継ぎ、スウェーデン王も兼ねました。 まさにヨーロッパの大国です。
 しかし、旧教徒の多いポーランドに対して、スウェーデンは新教徒が多い国でした。 旧教に固執した王に対して、スウェーデンは新教徒の叔父が国王(カルル9世)となって対立します。
 東のロシア内乱につけこんでモスクワを攻め落とし、一時はロシア皇帝を名乗りますが、正教徒たちに攻められて敗北します。
 南からはオスマントルコが侵入します。 コサックたちの反乱も起きました。

 四方からの国難の中、王は1632年、66才でなくなりました。 くしくも同じ年、30年戦争で有名を馳せた従兄弟のスウェーデン王グスタフ・アドルフも没してます。
 ジギスムント3世の子や孫の時代、スウェーデン軍、ロシア軍、トランシルバニア軍、オスマントルコ軍、コサック軍などが押し寄せ、国土は荒廃し、人口の3割以上が失われました。 ポーランドの作家シェンケヴィチはこの惨状を『大洪水』と名付けました。

 ポーランドはその後も勢力を失い、18世紀後半に、ロシア・プロシャ・オーストリアに国を三分割されて無くなってしまいました。
 その後復活しましたが、ドイツとソ連に蹂躙されるなど、強国のはざまで歴史に振り回されています。
 コペルニクス、ショパン、マリー・キューリーを生んだ国です。 現在のローマ法王ヨハネ・パウロ2世もポーランドの出身です。

 2024.7.10