寛永通宝「恩賜手」

  
寛永通宝 称恩賜手
4.8g 28.0mm

 寛永通宝の当四銅銭に、不思議な一群があります。
 一見文政期の当四銭に似ているのですが、未使用品かと思われるくらい流通痕が少なく、面背のヤスリ跡が極めて粗雑なのです。
 かといって文字に乱れはなく、民間の仿鋳品ではなく、正規の銭座で製造されたようなのです。
 この銭の由来について、次のような話があります。

 戊辰戦争が一段落した直後の(慶応4年改め)明治元年10月、明治天皇が(江戸改め)東京に行幸されました。 そのとき、東京の居付地主・家持の町民たちにお土産として青緡を1貫文宛配ったと伝えられています。 これがそのときに明治政府によって製造された銭らしいのです。
 このことが最初に紹介されたのは、大正13年の古銭家・三上香哉氏による寛永銭の講習会だったそうです。 このときから、これらは総称して「恩賜手」または「明治吹増銭」と呼ばれるようになりました。

 この銭の特徴は次の通りです。
  ・文字は、文政期の正規の銭と同じで、小字・俯永が多いが、正字・大字・離用通・大頭通などもある。
  ・未使用品かと思われるくらい流通痕が少ない。
  ・銅色は黄色が多い。
  ・面・背と外輪に粗雑なヤスリあとがある。 砂磨きが全く施されていないため、平地がきれいでない。
  ・内郭に鋳張りがあるものが多い。
  ・外輪の外側は、縦ヤスリのものが多く、「ギザ十」の側面のように縦にヤスリ痕が見られるものもある。
 なお、この恩賜手と共通する一団が、文久永宝と天保通宝にもあります。

 ただし、「恩賜手」の考えは現在の古銭界に周知されていますが、確たる証拠はなく、三上氏の説に当時何の反響もなく今日に至っているのが実状だと説明している方もおられます。 現在のいろんな銭譜、カタログ類でも、これを取り上げていないものがあります。

【参考文献】
  和田遙泉、『新寛永収集日誌 恩賜手』、「収集」1981年3月号
  小川浩・後藤良則・瓜生有伸、『座談会による新寛永銭あれこれ①明治吹増し当四銭(恩賜銭)』、「収集」1982年1月号
  ?、『質問欄 当四寛永離用通』、「収集」1982年4月号

 2025.5.27