『瀛涯勝覧(えいがいしょうらん)』
コインは、左から、イスラームのディーナール金貨、子安貝、ビルマの錫貨、明の永楽通宝
明の永楽帝は、武将鄭和に南方諸国への遠征を命じました。鄭和は1405~33年の前後7回にわたり、30余国を訪問し、紅海や東アフリカ海岸にまで達しました。
このとき訪問した諸国の地理、自然、政治、宗教、風俗、物産などを、鄭和に随行していた馬歓が『瀛涯勝覧(えいがいしょうらん)』、費信が『星槎勝覧(せいさしょうらん)』という本に著しました。この本には、当時使われていた貨幣についても記されています。
以下、
青字の部分
は
小川博編、『中国人の南方見聞録-瀛涯勝覧』、吉川弘文館、1998
からの引用です。 ・は『瀛涯勝覧』*は『星槎勝覧』からの引用です。 一部、読みやすい形に書き換えたところがあります。
● 東南アジア
■占城国(Champa)
・ここでの売買交易には七分金[原文:七成淡金]かあるいは銀銭を使用する。中国の青磁の皿や碗などの品、緞子、綾絹、焼珠(ビーズ)などは大事にされていて、七分金と交換する。
「七分金」というのはテキストの註釈では品位70%の金のこととしています。
この当時、この地方ではいわゆる「安南銭」とよばれる中国風の銭が盛んに発行されていたはずなのですが、そのことには触れられていません。
明の永楽通宝
■爪哇国(Java)
・歴代の中国の銅銭が通用している。
歴代の中国の銅銭とは、唐・宋・明の穴あき銭でしょう。当時の日本でも「渡来銭」と呼ばれて盛んに使われていました。
■旧港国(Palembang)
・市中の売り買いには中国の銅銭を使うが、布きれなども使われている。
*交易には五色のビーズや青白磁器、銅鼎、五色の色絹、色緞子、大小の磁器、銅銭などを使う。
この時代、朝鮮でも布が貨幣として使われていましたし、日本でも絹が貨幣の代用をしていたことがあります。
■暹羅国(Siam)
・売買には子安貝(原文:海𧴩)を銭として使用し、金銀銅銭があるにもかかわらず、ともに使われる。ただ中国の歴代の銅銭は使われていない。
*一般に子安貝でもって銭として市場では通用しており、1万個ごとに統鈔20貫にほぼあたっている。
子安貝は、モルディブから輸入していることが、この後に書かれています。
統鈔とは、明が発行していた巨大な紙幣「大明宝鈔」のことです。
16~17世紀 ビルマの錫貨
■満刺加国(Malaka)
・(花錫の)一塊の重さは中国秤で1斤8両(895g)あるいは1斤4両(746g)で、10塊ごとに藤蔓を用いて小束にし、40塊を大束とする。市場の交易にはみなこの錫を使うのである。
*内部に山があり、渓流が流れている。人々は渓流のなかから沙をよりわけて錫をとり、錫を煎って塊を作り斗塊という。塊毎の重さは中国秤で1斤4両(746g)で、芭蕉のたかむしろを織るほかは、ただ斗錫だけが市に通用し、そのほかの産物はない。
マラッカやスマトラでは、錫を産しました。
■蘇問答刺国(Sumatra)
・この国で使われるのは金銭や錫銭である。金銭は『底那児(dinar)』といわれ、七分金で鋳造される。それは円くて1個ごとの直径は中国寸で5分あり、裏面には模様がある。中国秤では2分3厘(0.86g)あり、48個ごとに重さは金で1両4分(39g)ある。錫銭はここでは『加矢(chia-shih)』といわれ、およその売買は普通は錫銭を使用し、国内の一応の売買交易はみな16両をもって1斤とし、その時の相場で通用しているのである。
・(胡椒は)中国秤100斤(60Kg)ごとに金銭80、銀になおして1両(37g)で売られる。
金銭80枚=銀1両というのが、解せないところではあります。
■南浡里国(Lambri)
・銅銭を使用する。
● インド
■錫蘭国(Ceylon)
・国王は金で銭貨を造り通用させている。銭貨1個ごとの重さは中国秤1分6厘(0.6g)である。
■小葛蘭国(Quilon)
・国王は金で銭貨を鋳し、その1個ごとの重さは中国秤で1分(0.37g)で通用している。
*この国に流通し使用される大金銭は『倘伽(tanka)』と名づけられ、1個ごとに重さは8分(3.0g)である。小金銭は『吧喃』と名づけられ40個は大金銭1個に準じ、人々に使われている。
二つのテキストの説明が微妙に異なります。
南インドのファナム金貨
19世紀のもの 0.4g
■柯枝国(Cochin)
・国王は九分金で銭貨を鋳って使用する。名づけて『法南(fanam)』という。重さは中国秤で1分1厘(0.41g)である。また銀で銭貨を作るが子安貝の面に比べて大きい。1個ごとの重さは中国秤4厘(0.15g)で『荅児(tar)』と名づけている。金銭1個ごとに銀銭15個と換えられるが街なかでほとんど通用しないのはこの銭貨のことである。
・この土地にはこれといった産物はないが、胡椒がたくさん出来るので人々もたくさんの農園を作り胡椒を植えてなりわいとしている。毎年、胡椒が熟すると物持ちが買い集め、倉にたくさん貯えておき、各地の商人がやって来て買うのを待っている。 ・・・ 1バハルは中国秤の400斤(240Kg)にあたる。そこで売る場合の金銭は100個か90個であり、銀貨になおせば5両(187g)である。
・真珠などは分でもってしばしば価を決めて売買する。もし真珠の1粒ごとに重さ3分半(1.3g)のものはそこで売れば金銭では1800個、銀貨に直せば100両になるのである。
19世紀に至るまで、この地方でファナム金貨と呼ばれる小さな金貨が発行されています。
また、金銀比価は、1:5~6の計算になります。
■古里国(Calicut)
・国王は六分金で銭貨を鋳して通用させており、『吧喃(fanam)』と名づけている。銭貨1個の直径は中国寸の3分8厘で面には模様がある。重さは中国秤の1分(0.37g)である。また銀で銭貨を作り『塔児(tar)』と名づけ1個ごとの重さは約3厘(0.11g)だがわずかしか使われていない。
・西洋布に対するこの国の名称はシャリフで隣のカンパイなどから産する。1匹ごとに幅4尺5寸、長さ2丈5尺でここの金銭8個または10個で売られる。
この国の人々は絹糸で色とりどりに染めた花模様の布の幅4、5尺、長さ1丈2、3尺のものを1条ごとに金銭100個で売っている。
・胡椒は山里の住民が農園にたくさん栽培している。胡椒1バハル(200斤)ごとに金銭200個で売る。
*この国には好い馬が養われている。西蕃より持ち来たされたものである。金銭1100で1疋の価とする。
子安貝(キイロダカラ)
■溜山国(Maldive Islands)
・海𧴩(kauri)をこの国の人びとは山のように採集し、網をかぶせて貝肉を腐らせ貝殻だけにして暹羅(シャム)や榜葛刺(ベンガル)などの国に転売し、銭として使用される。
・国王は銀で小銭を鋳して使用する。
鄭和のおよそ100年前にこの地を訪れたバットゥータも、
この国の子安貝がベンガルや、はるかアフリカに貨幣として輸出されていることを書いています。
■祖法児国(Zufar)
・ここの国王は金でもって銭貨を鋳て『倘伽(tanka)』と名づけ、1個ごとの重さは中国秤で2銭(7.5g)あり、直径は1寸5分で一面は模様があり、一面には肖像が浮き彫られている。またあかがねを鋳して小銭を作り、その重さは約3厘(0.1g)あり、さしわたしは4分あるが、ほとんど用いられていない。
■榜葛刺国(Bengal)
・国王は銀でもって銭を鋳し、『倘加(tanka)』と名づけている。1個ごとの重さは中国秤で3銭(11g)であり、直径は中国寸の1寸2分、銭の面には紋様がある。一通りの売買はみなこの銭を用いて価を決める。町では子安貝はほとんど用いられない。子安貝は、土地では『考嚟(kauri)』と名づけられ、いくつか集めて交易する。
● アラビア
14~15世紀のディルハム銀貨 2.8g
12世紀のアイユーブ朝のディーナール金貨 3.4g
■阿丹国(Aden)
・国王は赤金で銭貨を鋳て通用させて『甫嚕嚟(fuluri)』と名づけているが、1個ごとの重さは中国秤で1銭(3.7g)であり、銭貨の表面には模様がある。また紅銅で銭貨を鋳して『甫嚕斯(fulus)』と名づけているがほとんど使用されていない。
当時のイスラム世界では、ディナール金貨、ディルハム銀貨、タンカ(またはファルス)銅貨が基本でした。
この記録では、タンカ金貨、ディーナール銀貨、ファルス銅貨などの言葉が出てきます。
■忽魯謨厮国(Hormuz)
・国王は銀を鋳して銭を作り『底那児(dinar)』と名づける。さしわたしは中国寸で6分あり、銭面には模様がある。重さは中国秤で4分(1.5g)あり通用している。
この頃のホルムズは、チムール帝国の領内でした。
初代皇帝チムールが明への遠征を企て、永楽帝と一戦を交えようとしたものの途中で没したのは、1405年のことです。
鄭和が最初の航路に出発したのも1405年のことです。 不思議な符合です。
■天方国(Mekka)
・ここの国王は金を鋳て銭を作り、『倘伽(tanka)』と名づけて通用させている。1個ごとのさしわたしは7分、重さは中国秤の1銭(3.7g)で中国の金に比べると十二分金である。
”十二分金”の意味は不明です。
<<参考>> 当時の中国の重さの単位は次のとおりです。
【斤(600g)】─16─【両(37.3g)】─10─【銭(3.73g)】─10─【分】─10─【厘】
全体を見てみると、
・マレー半島の東側(ここを「東洋」というらしい)では、中国の銅貨
・マレー半島では、錫の貨幣
・マレー半島の西側(ここを「西洋」というらしい)では、イスラームの金銀貨
・一部の地域では、子安貝
が多く使われている様子が書かれています。
2008.3.5 2013.6.19改訂