ヨーロッパ中世の法典
5世紀に西ローマ帝国が滅んだ後、西ヨーロッパには多くのゲルマン人の国家ができました。 そのような国々では、さまざまな法典を制定しています。
これらの中で規定されている金額には、「ソリドス」、「デナリウス」の単位が使われていますが、これらの名称はローマ帝国の「ソリドス金貨」、「デナリウス銀貨」に由来するものです。 しかし、ゲルマン諸国の建国当初は貨幣はほとんど発行されておらず、価値を計る物差しとしての形式的な単位にすぎませんでした。
なお、当初は1ソリドス=40デナリウスですが、7~8世紀ころ、1ソリドス=12デナリウスとなりました。
ローマ帝国の「デナリウス銀貨」
1世紀
18.0mm 3.7g
東ローマ帝国の「ソリドス金貨」
7世紀
20.8mm 4.3g
以下の引用は、
歴史学研究会編、「世界史史料 5」、岩波書店、2007
に拠っていますが、一部よみやすく改修したところがあります。
● フランク王国の「サリカ法典」 (510年ころ)
犯罪の種類
罰金(デナリウス)
偽 証
600
裁判所の召喚に出頭しない
600
信約を果たさない
600
信約の期限を1日延長する
120
窃盗
乳のみの豚
120
子豚
40
2歳の豚
600
牛
1,400
中傷
いわれのない中傷
600
他人をおかまと呼ぶ
120
他人を糞野郎と呼ぶ
120
他人を娼婦と呼ぶ
1,800
傷害
手足の切断
4,000
手の傷害
2,500
殺人の賠償金
通常のフランク人
8,000
国王の従士
24,000
子供、女性
24,000
通常のローマ人
4,000
国王陪食役のローマ人
12,000
フランク王国の初代国王クローヴィスが、有力支族のサリー族の慣習法をもとに制定したのが「サリカ法典」です。
これ以降のゲルマン諸国に大きな影響を及ぼしています。
■ 第30章-2 誰かが他人を殺そうとして打ち損じた場合には、彼は2500デナリウス、すなわち62ソリドス半の責任があると判決されなければならない。
右の表は、その他の規定をまとめたものです。
● 西ゴート王国の法典 (654年)
西ゴート王国は、イベリア半島を統治していた国です。
■ 第4-4-2 侵入した家の中で何らかの損害を与えず、また何も持ち去らないならば、侵入したそのことについて10ソリドス支払うよう強制され、しかも100回の鞭打ちを公衆の面前で甘受すべきである。もし補償する[金銭を]持っていないならば、200回の鞭打ちを受けるべきである。
■ 第8-3-5 他人のぶどうの木を切断し、引き抜き、あるいは放火し、あるいは荒廃させる者は、・・・・ぶどうの木6本ごとに1ソリドス支払うべきである。
● アングロ・サクソン部族の「イネ法典」 (690年代前半)
アングロ・サクソン部族は、イギリスにいくつかの部族国家を建設しました。 そのような部族国家のひとつ、ウェセックスの王のイネが定めた法典が「イネ法典」です。
■ 第3条の3 もし自由人が農民の家において、また領主に隷属する農民の家において闘争するなら、120シリングを罰金として支払うべし。またその領主に隷属する農民に6シリング支払うべし。
「シリング」は、「ソリドス」が英語化したものです。
この王国は、9世紀になって全イングランドを統一しました。
ブルグンド族のトレミシス金貨
(1/3ソリドス)
8世紀
15.8mm 1.2g
● フランク王国のフランクフルト勅令 (794年)
品 物
数 量
価 格
燕 麦
1ミュイ
1ドゥニエ
大 麦
1ミュイ
2ドゥニエ
ラ イ 麦
1ミュイ
3ドゥニエ
小 麦
1ミュイ
4ドゥニエ
2リブラの重さの燕麦のパン
12個
1ドゥニエ
2リブラの重さの大麦のパン
15個
1ドゥニエ
2リブラの重さのライ麦のパン
20個
1ドゥニエ
2リブラの重さの小麦のパン
25個
1ドゥニエ
1ミュイは209リットル、1リブラは327グラム
西ヨーロッパに貨幣が本格的に復活したのは、フランク王ピピンが755年にドゥニエ銀貨を発行したときとされています。
ピピンの子が、フランス・ドイツ・イタリアにまたがるフランク王国を建設したカール大帝です。カール大帝がフランクフルトで発令した勅令では、穀物やパンの価格が決められていました。
■ 第4条 何人も、聖職者であろうと俗人であろうと、穀物を、潤沢にある時も物価騰貴の時も、公の、新たに定められた枡1ミュイ(209リットル)につき、燕麦を1ドゥニエ、大麦を2ドゥニエ、ライ麦を3ドゥニエ、小麦を4ドゥニエより決して高く売ってはならない。
「ドゥニエ」は、「デナリウス」がフランス語化したものです。
その他の規定も一覧すると右の表のようになります。(パンの価格とその素材の価格が比例しないのが少し気になります。)
ノルマンジー公国のドゥニエ銀貨
10世紀
20~21mm 1.0g
● ロシアの「ルーシ法典(ルス法典)」 (11世紀前半)
9世紀になって、スエーデンにいたノルマン人の一派が、ロシアにキエフ公国を建国しました。「ルーシ法典」は、キエフ大公のヤロスラフ1世が制定した法典です。
■ 第17条 ホロープ(奴隷)が自由人を殴打し、主人の屋敷に逃げ込み、主人が彼を渡そうとしないとき、主人は、ホローブを自分のものとするためにはその代金として12グリヴナを支払う。
■ 第19条 オグニシャーニン(中小地主)が恨みの故に殺害された時、殺害者はその代償として80グリヴナ支払う。リュージ(平民)は支払う必要ない。
このころのロシアでは、銀の塊が貨幣として使われていました。「グリヴナ」は重さの単位で、キエフでは160グラムくらいでした。 1グリヴナは、庶民の数ヶ月の生活費でしょうか。
モスクワ大公国のデンガ銀貨
16世紀
0.3g 9~11mm
● フランスの「ボーモン法」 (1182年)
フランスのランス大司教が、ルクセンブルク近くにボーモン村を建設したときに定めた法律です。
■ 第1条 この村に家屋を受領し、もしくは村の城壁の外に菜園を所有する村落民は、毎年余に12デナリウス、すなわち降誕祭に6デナリウス、洗礼者ヨハネの祝日に6デナリウスを支払うであろう。定められた日以降3日以内に6デナリウスを支払わなかった者は、2ソリドスによって違反を賠償するであろう。
罰則金の2ソリドスは24デナリウスになります。
● スペインのアストルガ市の「サン・マルティン兄弟団規約」 (13世紀)
アストルガはスペイン北部にあった小さな町です。その町の靴屋さんの同業組合の会員規則です。
■ 遵守されるべき守護聖人の祭日に労働をしたすべての会員は、1.5ソリドスの罰金を支払わなければならない。
■ 会員が結婚したり、子供をもうけた場合には、すべての会員はその祝福に赴くべきである。赴かざる者は、ワイン1クアンタル(約6リットル)を支払わなければならない。
罰則がお金だったり、ワインだったりするところが興味深いです。
● パリの「職業規則集」 (1268年)
フランスのパリ奉行だったエティエンヌ・ボワローが、さまざまな職人たちの活動規則を定めたものです。
■ 第5条 大工・箱大工・扉大工は、国王・王妃・王子・王女たちのため、あるいはまた、パリ司教のためでなければ、夜間に働くことはできない。それを発見された場合には、いかなる者も20スウの罰金を、すなわち、国王に10スウ、この職の取締およびこの取締によってこの職の中におかれる監督者に10スウを支払わなければならない。
「スウ」は、「ソリドス」がフランス語化したものです。
フランスのグロ銀貨(1スウ相当)
13世紀
25.3mm 3.2g
● セルビアの「ドゥシャン法典」 (1349年)
セルビア王国は、ビザンチン帝国の西隣にあった大国です。「ドゥシャン法典」は、セルビア王ウロシュ4世(ステファン・ドゥシャン)が制定した法典です。
■ 第68条 全土に住む隷属農民に、以下の法を与える。週に2日、領主のために夫役に従事し、年に1皇帝ペルペルを領主に支払うこと。また、一斉労働によって1日、干草を刈り、1日ぶどう園で働くこと。
■ 第95条 主教、あるいは修道士、あるいは司祭に雑言を吐く者は100ペルペルを支払わなければならない。
「皇帝ペルペル(Imperial Perper)」についてはよく分かりませんが、ビザンチン帝国の「ヒュペルピュロン金貨」と同等のものではないかと推察します。(このころのイスラームの旅行家バットゥータは、このコインを「バルバラ」と書いています。)
● ロンドンの皮革商組合の規約 (1398年)
ロンドンの同業者の組合「クラフト・ギルド」の規約です。
■ 第7条 今後いかなる者も、彼らが初めに徒弟契約しこの仲間に登録されない限り、いかなる男、子供あるいは女をも、当職業において働かせてはならない。そしてもし、この点で不正がみつかれば、彼は40シリング、すなわち20シリングを収入役室へ、20シリングを当仲間の使用のために支払うべきである。
この当時、ロンドンの職人さんの賃金は5ペンス(1シリング=12ペンス)くらいでした。40シリングは、3か月分の給料に相当します。
【出典】歴史学研究会編、「世界史史料 5」、岩波書店、2007
2009.1.18