12世紀フランスの貨幣事情


 中世の西ヨーロッパで貨幣経済が復活したのは8世紀です。
 貨幣単位としては、ローマ古来の制度を見習って
     1リブラ = 20ソリドゥス = 240デナリウス
というものでしたが、貨幣として存在したのは「デナリウス銀貨」(フランス読みでは「ドゥニエ」)だけです。
 普通の労働者の1日の賃金がこの銀貨3枚くらいだったそうですから、銀貨1枚は現代人の3000円前後の感覚でしょうか。
 とにかく、ヨーロッパ中、貨幣はこの1種類だけなのです。この状態はその後500年くらい続きました。小額の銅貨や、高額の金貨・銀貨が出現したのは13世紀になってのことです。

ノルマンジー公国のドゥニエ銀貨
10世紀
20~21mm  1.0g
 ですから、金額を数えるときは、単に”銀貨何枚”だけですみそうなはずですが、中世の史料集を読んでいましたら、少し驚かされることがありました。
 それは、1148年のフランス中部のクリュニー修道院の会計記録です。この修道院は、西ヨーロッパ最大級の修道院として著名なところでした。
 以下の引用は、
      歴史学研究会編、「世界史史料 5」、岩波書店、2007
に拠っていますが、一部よみやすく改修したところがあります。

■1章 以下はウィンチェスター司教ヘンリー殿の手になるクリュニー修道院の出費についての規定書である。
修道士たちの用に供する1ポンドのパンのためにマルカ貨幣2枚デナリウス貨幣5枚
場合により2倍の重さのパンが作られ、2人の修道士に支給される。
別に1ポンドのパンを作るためにマルカ貨幣2枚ウンキア貨幣2枚、それにイギリス・デナリウス貨幣5枚
必要に応じてその2倍額が4人の修道士たちに分配される。
■2章 レシー代官区について 
レシーには自由身分の人頭税負担民がおり、荘園の賃租として、クリュニー貨で37ソリドゥスが収められる。
デブルヴェでは60ソリドゥスが支払われる。
レシーの支村ロワシーでは教会から50スチエ、トゥルニュー枡で20ビシェ相当の穀物が支払われる。
麻、その他の細々したものからの十分の一税として、トゥルニュー貨で50ソリドゥスが徴収される。

 この当時フランスの西半分はイングランド領でしたから、この地方にフランスの銀貨やイギリスの銀貨が混在して使われていたことは自然です。またフランス国内では王室以外にも多くの諸侯や教会が独自の貨幣を発行しており、それらの発行者によって微妙に重さと品位が異なっていたため 「イギリス貨幣」、「クリュニー貨」、「トゥルニュー貨」などと、発行者を規定することは理解できます。

 しかし、「マルカ貨幣」と「ウンキア貨幣」は、何を意味するのでしょうか。 「・・・貨幣」と記されてところをみると具体的な貨幣名なのでしょうか。
 「ウンキア」とは、リブラの10~16分の1の重さの単位で、後世に「オンス」となったものですが、この重さの貨幣があったとは考えにくいところです。
 一方「マルカ」については、リブラの2分の1の重さの単位に 「マルクmark/marck、マールmarc、マークmerk」という単位がありましたので、これを意味しているのかどうか・・・。


【出典】歴史学研究会編、「世界史史料 5」、岩波書店、2007
2009.1.28