96文=100文


銭100文さし
 江戸時代、1文銭96枚は100文として使えました。この数え方を「九六銭」、「省銭」、「省百」などと呼びます。
 起源は6世紀ころの中国にさかのぼるそうですが、中国では、70枚、80枚、90枚などいろいろな数え方があったのに対して、江戸時代の日本ではだいたいが96枚で共通しています。
 現代人からみると、奇妙な計算方法です。
    95文+1文 = 100文
    100文ー10文 = 86文
    100文÷2 = 48文
    10文×10 = 104文

 なぜこのような数え方になったのかについての定説はありません。
  ●100文分を数えて、藁の紐に通す手間賃として、4文を差し引いた。
  ●金貨の単位は1両=4分=16朱という4進法でしたが、16で割り切れる96の方が何かと便利。
  ●100文で仕入れて、10文ずつ10人に売ると、それだけで4文の儲けになる。
 なお、100枚で100文と数える方法もあり、それは「調銭」とか「丁銭」と呼ばれていました。 調1貫文といえば、銭1000枚のことです。

● 川柳 ~ 二八そば七百八十文はらひ
 赤穂浪士が討ち入りの直前、そばやに集合したことは有名な話です。
 上の川柳は、二八そば(16文)47人分の支払いが780文だったといっています。
16×47=752ですから、計算が間違っているようにもみえますが、これでいいのです。
47人が支払った1文銭は752枚ですが、752枚=(96×7+80)枚=(100×7+80)文ですから、合計780文になります。(「文」と「枚」の違いにご注意)
 ところで、もし四十七士の中に計算高い人がいて、みんなから16文ずつ預かり(752枚)、店主に一括して支払うと、
   752文=7×100文+52文=7×96枚+52枚=724枚
ですので、この計算高い人には差引28文も手にすることができます。  ・・・・・・。

● 「銭相場割十露盤(そろばん)いらず」
 江戸時代、金貨・銀貨・銭貨の三種類の貨幣間の交換レートは、日々相場によって変動していました。
 銭の相場は、「銭1貫文=銀■匁」という形で取引されました。
 右の画像は、幕末に大坂で発行された「銭1貫文が銀■匁のとき、銀1匁は銭何文になるか」の早見表です。
 単純に1000÷■ではありません。 先頭には、「八匁の時壱匁ニ付百廿四文」とあります。 銭1貫文=銀8匁のとき、銀1匁は1000÷8=125文になりそうですが、そうではありません。
 銀1匁=1000文÷8=960枚÷8=120枚=(96+24)枚=(100+24)文=124文 ですから、銀1匁=銭124文になるのです。(ここでも、「文」と「枚」の違いに注意してください。)


2009.2.4