「准絹法」

 中世の一時期、日本には貨幣がありませんでした。品物の価値を表すとき、絹の量を基準にすることがありました。この方法は「准絹法(じゅんけんほう)」と呼ばれます。
 天禧4年(1056年)の「前加賀守源頼房書状」では、米100石=准絹100疋、とされています。
■ 播磨国御封米百石返抄代准絹百疋、謹以献上如件、・・・・
おそらくこの頃は、標準的な絹の価値がそのまま使われていたと思われます。

 ところがその後、絹の実体を離れ、仮想的な絹の価値を使うようになりました。 永仁6年(1298年)の「蔵人所御即位用途注文」では、米75石=准絹8000疋となっています(⇒下表)。200年の間に准絹の価値が100分の1に下落しているのです。また、凡絹(おそらく最も下等な絹)1疋=准絹19疋ですから、いかに准絹が低くみなされているかがわかります。

永仁6年(1298年)8月15日 「蔵人所御即位用途注文」抜粋
品物数量対価単価備考
砂金9両2分准絹2,850疋300疋/両1両=4分=37.5g
42両准絹4,200疋100疋/両
水銀30両准絹700疋23.3疋/両
塾銅26斤12両准絹428疋3.5疋/両1斤=16両
75石准絹8,000疋1.07疋/升1石=100升=180リットル
上品八丈絹42疋1丈准絹16,850疋400疋/疋1疋=8丈=24m
越後国絹42疋2丈准絹4,000疋165疋/疋1疋=8丈
凡絹348疋准絹800疋19疋/疋
3口准絹300疋100疋
水樽1口准絹25疋25疋
10口准絹40疋4疋
5枝准絹5疋1疋
2斗准絹300疋150疋/斗
3石准絹90疋30疋/石
合計准絹80,570疋その他とも

 この間の変遷を見てみると、おおよそですが
     11世紀 准絹1疋=米1石
     12世紀 准絹1疋=米1斗
     13世紀 准絹1疋=米1升 (このころ、米1升=銭10文)
くらいです。
 鎌倉時代ころから、銭10文のことを「銭1疋」とも呼ぶようになりました。犬1匹が銭10文だったという説もありますが、准絹1疋が銭10文程度だったとすることが素直でしょう。

 准絹法は、銭の普及とともに、14世紀には使われなくなりました。

【参考文献】 竹内理三編、「平安遺文」・「鎌倉遺文」、東京堂出版
2009.6.24