朽木昌綱の贈り物

 朽木昌綱は、丹波福知山3.2万石のお殿様。古銭収集家として有名で、『古今泉貨鑑』、『新撰銭譜撰』などの著作もあります。
    寛延3年(1750)生、享和2年(1802)没、藩主としての在位は天明7年(1787)~寛政12年(1800)
 このお殿様は、日本の古銭だけでなく、長崎のオランダ商館の人たちとの交流も深く、ヨーロッパのコインも収集していました。

 次は、このお殿様がオランダ東インド会社の友人に宛てた、1786年4月18日の手紙です。
 ■ベンガル総督イザーク・ティツィング閣下へ
 バタフィア発昨年6月25日付の閣下の手紙を、私はヨスナ氏から受け取りました。バタフィアへ安着されたこと、ベンガル総督に任命されたことに対し、閣下に特にお慶び申し上げます。それゆえ私は友情を毎年の手紙によって保つつもりでおります。
 閣下は私宛に、100枚のさまざまな硬貨と、家紋の印の入った小箱、そして書籍をシャッセー氏に手渡しました。その小箱を私は、昨年ロンベルフ氏からとても良い状態で受け取りました。
      ・・・中略・・・
 同便にて閣下を喜ばすための、下記の目録に添えてある小さな贈物を受け取りください。
      ・・・中略・・・
 尊敬する閣下の僕にして友人   K.TS.KI 左門  (K.TS.KIは朽木(クツキ)のローマ字表記)
 江戸 3月20日 年号天明6年
と、友人からもらったコインのお礼と、その返礼として日本のコインを数枚贈っています。下の表がその目録です。宝永通宝以外は、どれも希少なものばかりです。さすが、お殿様です。
朽木昌綱の贈り物の目録
No品名手紙に書かれている注釈現代の価格
逆桐小判紋章が逆さになっており、「逆桐」と命名された。
1000枚目に鋳造されたと記されている。
不明
逆桐一分上記に同じ。6~12万円
(元文逆打一分金)
元禄小判元禄9年鋳造、裏に「元」の文字がある。180~360万円
元禄一分上記に同じ。18~45万円
元禄二朱元禄13年9月鋳造。30~60万円
乾字一分正徳4年12月鋳造。10~30万円
佐渡一分佐渡で鋳造された。
これには「佐」の字があり、いつ鋳造されたかは不明。
200~400万円
本の字一分どこでいつ鋳造されたかは不明。これには「本」の字がある。35~80万円
甲州一分甲州で鋳造された。鋳造年月は不明。10~18万円
10甲州二朱上記に同じ。10~25万円
11甲州一朱上記に同じ。10~18万円
12甲州半朱上記に同じ。20~40万円
13天正通宝天正時代に鋳造された。20~40万円
14文録通宝文録時代に鋳造された。120~200万円
15二字宝永宝永年間の初めにほんの少数しか鋳造されなかった。
希少であり、通常の小型貨幣の10枚分の価値がある。
30~65万円
16宝永通宝二字宝永が後に違った形で宝永年間に鋳造されたもので、
その価値は通常小型貨幣の10枚分である。
3~7千円
17寛永通宝これには「川」の字があり、大変希少である。18~35万円

逆桐一分金
(画像操作したもの)
 この表の中に、「逆桐一分」があります。「逆桐(さかさぎり)」とは、面と背が180度回転しているものです。間違って作られたものではなく、1000枚(?)に1枚の割合で意図的に作られたもので、当時でも数少ないものとして知られていました。(もっとも、桐の極印の方が表なので、逆になっているのはその裏側です。現代では「逆打」と呼ばれています。)
 贈物の筆頭には「逆桐小判」とあります。こちらの意味はまるで不明。

 この後、1788年3月28日のティツィング氏の朽木昌綱への手紙によると、ティツィング氏は返礼として次のコインを贈っています。
   ・ナパールのルピー金貨、および2分の1、4分の1、8分の1、16分の1、32分の1ルピー金貨
   ・アッサムのルピー金貨
ルピー銀貨
   ・ペルシャのルピー金貨
   ・オランダのレイデル金貨
   ・アッサムのホーガリ地方のルピー銀貨
   ・大アレムギール王時代のルピー銀貨
   ・アッサム地方のルピー銀貨、2分の1ルピー銀貨
   ・シャー・ヨアン王時代のルピー銀貨2枚
   ・シャー・ファルクシャ王時代のルピー銀貨
   ・シッカルピー銀貨見本2枚
   ・チャスニー(?)
   ・ナパールのルピー銀貨、および2分の1、4分の1、8分の1、16分の1、32分の1ルピー銀貨
以上25枚でした。

【参考文献】横山伊徳編、「オランダ商館長の見た日本」、吉川弘文館、2005
      日本貨幣商協同組合、「日本貨幣カタログ」

2009.12.27