撰銭えりぜにとビタ一文の戦国史』

高木久史著 撰銭えりぜにとビタ一文の戦国史』
平凡社 2018
中世の日本、使われていた貨幣は、1文銭と呼ばれる円形で四角い穴のあいた銅貨だでけした。
主に中国から輸入した渡来銭ですが、日本でも製造されました。
400年間も、日本の貨幣はこの1種類だけだったのです。

さて、コインマニアなら、次の設問に解答できるでしょうか。
【問1】何らかの事情で渡来銭の数量が減少したとき、銭不足となります。 では、銭不足となると次の現象は発生したのでしょうか。 それとも、逆の現象になったのでしょうか。
   ①米や不動産の名目価格が上昇する(インフレ)
   ②人々は撰銭を始める。
   ③為政者が撰銭令を定める。
   ④人々は大量の銭を埋蔵する。(一括埋蔵銭)
   ⑤銭の落とし物が増える。(個別出土銭)
   ⑥日本での銭の模造が盛んになる。

【問2】為政者の出した「撰銭令」は、何を定めたものか。
   ①良い銭のみ使い、悪い銭は使ってはいけない。
   ②良い銭も悪い銭も同じ価値で使え。
   ③良い銭と悪い銭の価値の比率を定める。
   ④悪い銭の使用比率の限度を定める。

【問3】「銭」にも幾つか種類があったようです。 戦国末期~江戸初期、次のような法令が出されています。
   ■永正11年(1514) 清銭1文=並銭4文 (大内氏)
   ■永禄12年(1569) 永銭1文=鐚銭3文 (小田原北条氏)
   ■永禄12年(1569) 金1両=精銭1500文 (織田信長)
   ■慶長14年(1609) 金1両=永銭1000文=京銭4000文 (徳川幕府)
   ■寛永2年(1625) 金1両=銭4000文 (徳川幕府)
これらの中の、「清銭」、「並銭」、「永銭」、「鐚銭」、「精銭」、「京銭」、「(単に)銭」などはいったい何を意味するのでしょうか。
「京銭」は「きょうせん」と「きんせん」の2種類あったようです。
単に「銭1文」と言った場合、どの種類の銭のことを指すのでしょうか。

「撰銭」とは何か、なぜ起きたか。為政者はなぜ「撰銭令」を出したか。
「鐚(ビタ)銭」というと、できの悪い銭のようなイメージがありますが、必ずしもそうではなかったようです。
この本は、膨大な資料を駆使して、それらを解説しています。
ただし内容は複雑です。 ノートにメモを取りながら読まれることをお勧めします。

渡来銭を模した日本製のビタ銭
 2018.12.9