『古銭の道』

森豊著 『古銭の道』
角川選書 昭和50
 森豊さん(故人)は、毎日新聞社のジャーナリスト。 1943年に登呂遺跡発掘の第一報を送ったのはこの人。 後に日本各地の古代遺跡の発掘に携わり、シルクロードにも造詣が深い。 
 日本の古代遺跡やシルクロードに関する著書も多く、この本もその一つ。

 文化大革命中の1969年、西安(唐の都長安)近くの村で唐代の穴蔵が見つかり、大きな陶器のカメ二つに千点余りの品が納められていました。 金銀の器、琥珀・珊瑚・石英などと共に、日本の和同開珎銀銭(708年鋳造)が5枚入っていたのです。 安史の乱(756年)のとき、唐の貴族が都を逃れるときに埋めたものと推察されています。
 和同開珎は日本の貨幣。 しかし、交易のために使ったとは考えにくいです。 遣唐使の一行が、持参してきたものでしょうが、誰が何のために? 想像するだけでロマンがかき立てられます。
 この発掘に携わった学者さんたちの座談会の内容を引用しています。
 ■ここから出たものは数も多く種類も豊富で、しかも工芸的にも優れているのが特徴であり、当時の工芸や医学、薬学や科学技術の優れていたことを実証したと述べ、唐代の学問の高さを求めて各国から留学生をよこしたことに言及し、
 あの中に日本の奈良時代の銀貨が5枚ある。「和同開珎」という。あのころ中国に来た日本の遣唐使や留学生が携えてきたのだとみてよい。この数枚の銀貨は、中日両国の人民が千年以上も前の唐の時代、いやそれより以前がら友好往来をしていたことをよく物語っています。
  
和同開珎銀銭(貨幣博物館所蔵)

 著者の想いは、この西安よりシルクロードを西に向かいます。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、幾多の探検家がこの地を探検しました。 日本の大谷探検隊、スエン・ヘディン(スウェーデン)、ル・コック(ドイツ)、オーレル・スタイン(イギリス)たちが有名です。  彼らはシルクロードの各地で、ササン朝ペルシャの銀貨や、ビザンチン帝国の金貨をたくさん発見しています。
 1915年、スタインが発見した高昌国のミイラでは、東西文化の交流の例証が発見されていました。
 ■ビザンチンの金貨が、ちょうど古代ギリシャのオボルス銀貨の風習にならって、死者の口許に置かれ、6世紀にササン朝ペルシャの君主が発行したペルシャの銀貨が、死者の目を塞いでいた。
 死者の目や口をコインで塞ぐのは、古代ギリシャやローマの風習でした。
  
ビザンチン帝国の金貨
ササン朝ペルシャの銀貨

 著者の想いは、さらに西へ西へと進みます。 玄奘の跡を追い、東西文化の融合点ガンダーラ、世界初のコインを発行したリディアとペルシャ、その後のギリシャとローマにまで到達します。 日本で発行された和同開珎の古銭の道が、ローマにまで到達するのです。

 2022.8.20