明治初期の紙幣相場・金貨相場

 現代では、1000円分の硬貨と1000円札1枚は全く同じ価値があります。 このような当たり前のことが、明治の初めでは当たり前ではありませんでした。
 明治の初め、日本には1円札と1円金貨と1円銀貨がありました。 しかし、これらの貨幣は全く同じ価値では無かったのです。
     1円銀貨
明治3~大正3年発行
26.8g 38.0mm 銀品位900
外国との貿易専用の銀貨です
国内では、50銭以下の銀貨と銅貨が使われていました
            1円金貨
明治4~13年発行
1.67g 12.12mm 金品位900
金貨も国内で使われることは稀でした
 国立銀行1円券           
 明治6~13年発行
 (画像はcolnectを利用しました)

  
 紙幣と金貨と銀貨では、同じ額面でも価値が異なっていたのです。
 右のグラフは、その相場の推移を表したもので、例えば明治14年には、銀貨の100円と紙幣の170円が等価だったことを示しています。

 明治3年、金貨と銀貨が発行されたとき、1円金貨の金と1円銀貨の銀は、全く同じ価値を持っていました。 ところが、明治10年ころから、世界的に銀相場が下落し、90円の金貨と100円の銀貨が同じ価値になったのです。 この傾向はその後も続き、結局、この1円金貨は明治30年には2円で通用するよう定められました。

 一方、明治10年に発生した西南戦争に対応するため、紙幣が乱発されました。 そのため、銀貨の100円が紙幣の170円くらいにまで暴落したのです。
 明治14年に大蔵卿に就任した松方正義は、政府紙幣を全廃し、兌換紙幣(日本銀行券)に切換えました。 また、たばこや酒の増税、政府予算の削減、官営工場の払い下げなどによって国家財政を改善しました。 そのため、紙幣価値も大幅に改善されました。 (ただしこの過程でデフレになり、「松方デフレ」の悪名をつけられました。)

 明治4~6年の岩倉具視らの欧米視察団の報告によると、欧米諸国でも紙幣は決して金貨・銀貨と同価値ではなかったようです。
 (米国は)南北戦争のとき、政府の財用空竭せるを以て、紙幣を流布す。紙幣の額過多なるを以て、其価下落し、我一行華盛頓ワシントン府に着せし此には、約10分の9を相場とし、・・・・
 (英国の)紙幣は、倫敦ロンドン英倫イングランド銀行にて印刷し出す。最小なるは5ポンドに止る。規則甚だ厳正なるを以て、流通甚だ宜し。・・・各国を回りて、紙幣の相場、原価より高価にて交換をなすは、唯英国あるのみ。

   兌換銀行券1円
明治18年~発行
現在でも1円として通用します

【参考文献】
  『鼎軒田口卯吉全集 第七巻』、昭和2
  久米邦武編、田中彰校注、『特命全権大使・米欧回覧実記』、岩波文庫、1977~83

 2024.10.17