戦国の七雄

( 地図は、吉川弘文館の「世界史地図」を利用しました。)

 中国の戦国時代(BC403-BC221)は、周王室の他に有力な諸侯が7つありました。燕・斉・趙・韓・魏・秦・楚の諸侯です。 これらを「戦国の七雄」と呼びます。
七雄は、独自の貨幣を鋳造しました。わずか200年の間ですが、この時代ほど多種多様な貨幣が使用されたことは珍しいです。

 この時代の貨幣はおおきく次の4種類に分類されます。
  ①刀幣 狩猟用の小刀をモデルにしたもので、斉・燕・趙など東方の諸国で使用されました。
  ②布幣 農耕用のクワをモデルにしたもので、趙・韓・魏で使用されました。
  ③円銭 戦国の中期以降に発達した円形の銭で、
    中央に円形または正方形の穴が開いているものが多いです。
    紡輪をモデルにしたとも、刀幣の一部をとったともいわれていますが、
    やはり抽象的な形として貨幣にふさわしかったのでしょう。
  ④貝形 貝貨をモデルにしたもので、長江を支配した楚で使用されました。

 これらの貨幣の銘には、漢字になる前の文字=古文(こぶん)が使われています。 そのため、古銭界ではこれらを総称して「古文銭(こもんせん)」と呼んでいます。

 春秋時代に5~600万人くらいだった人口は、鉄の農具が普及し、戦国時代には2000万人余に増加しました。 一つの国の人口は200~500万人くらいです。 ちょうど、現在の九州の7県を想像するといいようです。

  (1)燕 (2)斉

【燕】の刀幣 「方首刀」 銘 ”明” 13.8g 139mm
 東北部の燕と、東方の山東半島にあった斉では、「刀幣」が使われました。 貨幣のデザインは、毛皮をはぐためのナイフを象徴しています。 これらの国が狩猟民族だったことを示唆しています。

 燕の貨幣は、およそ14グラムで、銘は「明」の1字。 厚さは1ミリ強で、手で簡単に折れそうにもろいものです。

【斉】の刀幣 「反首刀」 銘 ”斉法化/斉大刀” 47.7g 182mm
 斉の貨幣は、およそ48グラムで、銘は「斉法化」と書かれています。 縁は厚さ3~4ミリの三角縁が巡っており、とても折れそうではありません。 銘の変化はありますが、刀幣の形状や大きさに変化はありません。

 どちらの国も、銭銘は国全体で統一されています。 これは貨幣を国家が発行していたためと思われます。
 また、国民はだだ一種類の貨幣だけを使っていたことになります。 斉の刀幣は現在の価値に換算すると、1万円くらいでしょうか。 斉の国の通貨は、「1万円玉」だけだったのです。


【燕】の円銭 銘 ”明ヒ/明化/明刀”
2.6g 25mm
【斉】の円銭 銘 ”宝四化”
4.7g 29mm
 これらの国でも、戦国末期には円形方孔貨になります。やはり持ち運びに不便だったのでしょう。 実際、燕の刀は簡単に折れてしまいますし、斉の刀は大きくて重すぎます。
 燕の円銭には”明”の文字が刻まれていますが、上の方首刀と同じ文字を継承しています。


  (3)趙 (4)韓 (5)魏

【趙】の方足布 銘 ”安陽”
5.3g 50mm
【趙】の尖足布 銘 ”茲氏半/幾氏半”
6.4g 55mm
 中原に最も近い大国「晋」を、趙・韓・魏の3人の家老が分割支配し、それぞれが独立した諸侯として認められたのは紀元前403年のことです。 これが「春秋時代」と「戦国時代」の分割点とされています。
 これらの国では、布幣が中心でした。 布幣は農具のクワの形状をした春秋時代の「空首布」を改良したものです。 斉・燕とちがって、この地方が農耕民族だったことを示唆しています。
 空首布は、首の部分が厚く、重ね合わせることができませんでした。 それを改良した戦国時代の布幣は、厚さ1.0~1.4ミリでほぼ均質です、重ね合わせは容易です。
 重さは、この地方の重量単位「1釿(およそ12g)」か、またはその半分のものに統一されています。
 貨幣の銘には、「安陽」「盧」「垣」などが刻まれています。 これらは全て都市の名前です。 貨幣を発行したのは国家ではなく、都市の商人層だったことが想像されます。

 別のページの『方足布』もご覧ください。 ここで、私は右の貨幣1枚を現代の1000円に比定しています。

【韓】の橋足布 銘 ”盧一釿”
13.2g 55mm
【魏】の円銭 銘 ”垣”
9.6g 41mm

 この地方でも戦国時代末期になると、円銭が発行されるようになりました。
 ただし、斉と燕では方孔(穴が正方形)なのに対して、この地方の円銭では、円孔(穴が円形)でした。


  (6)楚

【楚】の「蟻鼻銭」 
銘 ”當各六朱/洛一朱”
2.6g 20mm
同左
銘 ”巽/貝/哭”
3.3g 18mm
 楚は長江一帯を支配した大国ですが、経済的には後進国でした。
 戦国末期になって、小さな銅貨を発行しました。
 そのデザインは、殷・周時代の貝貨や、その後継の青銅貝貨が元になっているといわれていますが、それらがかなり早い時期の黄河流域に限られていたのに対し、楚の銅貨は戦国時代末期の長江流域に限られています。 場所も違いますし、800年以上の隔たりがあります。
 この銅貨は、形状がアリや鼻に似ていることから、「蟻鼻銭(ぎびせん)」と言いわれています。 もっとも中国では鬼の顔に似ていることから、「鬼瞼銭(きけんせん)」と呼ばれているそうです。

  (7)秦

【秦】の円銭 銘 ”両甾”
7.5g 31mm
【秦】の円銭 銘 ”半両”
7.3g 35mm
 秦は、楚と同様、他の5国よりは経済の面では後進国でした。
 戦国地代末期になって、やっと秦にも貨幣が登場しました。 そのせいかは、最初から円形でした。
 またこの国の貨幣は、銘に貨幣の単位「両甾」、「半両」を刻んでいます。
 この国の重量単位は、
   【両(16g)】─4─【甾】─6──【銖】
でした。 「両甾」は2甾を、「半両」は2分の1両を意味し、どちらも同じ8gです。
 貨幣の銘として、その額面だけを堂々と記述しているのはこれらが最初ではないでしょうか。 貨幣経済の後進国だった秦ですが、発行した貨幣は先進的です。
 その後、始皇帝が全国を統一するとともに、「半両銭」が全国統一の貨幣になり、他の刀幣や布幣はだんだん姿を消しました。





      【参考図】
        
狩猟用の小刀
斉・燕の刀幣
                   
農耕用のクワ
春秋時代の空首布
 韓・魏・趙の布幣
の半両銭
                  
殷・周代の原貝貨
春秋時代の青銅貝貨
の蟻鼻銭

2001.7.20 初版   2016.6.24 大改訂