イギリスのコイン

イギリスのコインを、ほんの少しだけ紹介します。
紀元前から現代までのコインです。


上のコインは、2008年ころに発行された1、2、5、10、20、50ペンスコインの裏面。
ジグゾーパズルよろしく並べると、イギリスの国章(右側)が浮かんできます。


 ●ケルト人のコイン (紀元前1世紀~紀元1世紀)
 紀元前6世紀、ヨーロッパ大陸にいたケルト人の一派がブリテン島に移動し、独自の文化をもたらしました。 彼等のコインは、ギリシャのマケドニア王国のコインを模倣しています。
  イケニ族の1/4スタータ金貨 (紀元前1世紀)
表 : 幾何模様。
裏 : 馬に乗ったマケドニアの王様(アレクサンドロス大王の父または子です)。
表面は、本来は人の顔だったはずですが、ケルト人の芸術家により、このような模様に変化しました。
11.0mm 1.1g
 


 ●ローマ帝国のコイン (1世紀~3世紀)
 紀元前55年、カエサルのローマ軍がブリタニアに侵攻しました。
 その後ローマ人とケルト人の争いは、紀元62年、イケニ族の女王ボウデッカがローマに敗れるまで続きました。

  ブリタニア帝国の銅貨 (紀元293~296年)
表:アレクトゥス帝(在位293-296)。周囲にIMP.C.ALLECTVS.P.F.AVG。
裏:ラエティティア(?)の立像。周囲にPAX AVG。右下部に小さいLのミントマークがあり、発行場所のロンディニウム(現在のロンドン)を表わしています。
この時代同時に何人もの「ローマ皇帝」が乱立したことがあります。この皇帝もその一人で、ブリタニア(現在のイギリスの一部)を支配しただけでしたので、「ブリタニア皇帝」と呼ばれています。それでもAVG(アウグスツス=ローマ皇帝の称号)を名乗っています。
24.8mm 3.7g


 ●1ペニー銀貨の時代 (8世紀~13世紀)
 ローマの衰退により貨幣経済も衰退していましたが、7世紀ころから再び貨幣が発行されるようになりました。 1枚1枚手でハンマーを打って作りました。
 765年、アングロサクソンの王国で、1ペニー銀貨が発行され、それ以降約500年間、1ペニー銀貨が主役の時代が続きました。
 13世紀がその最盛期で、およそ1億枚も発行されました。

  ジョン王の1ペニー銀貨 (1199~1216年)
表 : 王の像。
裏 : 短い十字架、4つの角にそれぞれ4つの点。
ジョン王(在位1199-1216)のコインです。
ジョン王は1215年にマグナカルタを結ばされ、「失地王」とのあだ名もついています。
王の像の上から右にかけて hЄNRlCVS と書かれており、父王ヘンリーの名前です。一部欠けていて見にくいですが、中世の趣のある文字です。
18.2mm 1.4g
  エドワード1世の1ペニー銀貨 (1272~1307年)
表 : 王の像。
裏 : 長い十字架、4つの角にそれぞれ3つの点。
エドワード1世(在位1272-1307)のコインです。
1247年から、裏面の十字架が長くなりました。コインの周辺が切り取られることを防ぐためだったそうです。
18.4mm 1.3g

 
 切断して使用したペニー銀貨 (1154~89年)
 この当時、1ペニーより小額のコインはありませんでした。
 小額の取引のときは、このように切断して使用しました。
 銀貨は切断し易いように、薄くできていました。
 左の銀貨はヘンリー2世(1154-89)のペニー銀貨です。
 17.2mm 0.5g
 
 正体不明のトークン (13~15世紀)
 コインではなさそうです。
 13~15世紀のものらしいのですが、正体不明です。
 16.5mm 厚さ4.3mm 6.5g

 
 17世紀のトークン (1667年)
 政府が小額のコインをあまり発行しなかったため、民間でこのような銅貨が多く発行され、事実上の貨幣として通用していました。
 1667年の銘があります。
 21.2mm 2.5g




 ●多種多様なハンマー打ちコインの時代 (13世紀~17世紀)
 1279年、プランタジネット王朝のエドワード3世は、貨幣制度の大改革を行い、1ペニー銀貨の他に、グロート(4ペニー)、半ペニー、ファージング(1/4ペニー)などの銀貨を発行しました。
 これ以降、多種多様な金貨、銀貨、銅貨が発行されるようになりました。

  エリザベス1世の6ペンス銀貨 (1570年)
表 : 王の像。
裏 : 紋章の盾。POSVI DEVM ADIVTOREM MEVM(見よ、神は我を助けるものなり)。
エリザベス1世(在位1558-1603)は、1588年、イスパニアの無敵艦隊を破り、世界の一等国の仲間入りをしました。
またエリザベス1世は、1559~60年、グレシャムの建議により、ソブリン(20シリング)金貨から半ペニー銀貨まで、実に20種類ものコインを発行しました。
25.8mm 2.6g
  チャールス1世の6ペンス銀貨 (1625~26年)
表 : 王の像。
裏 : 紋章の盾。CHRISTO AVSPICE REGNO(朕はキリストの保護のもとに統治す)。
チャールス1世(在位1625-1649)はクロムウェルのピューリタン革命で処刑された王様です。
25.9mm 3.0g
  チャールス1世のファージング銅貨 (1636~44年)
表 : 王冠。
裏 : バラ。
ローズ・ファージングと呼ばれているコインです。
13.2mm 1.3g


 ●機械打ちコインの時代 (17世紀~)
 1656年、機械打ちコイン(ミル・マネー)の製造が始まりました。 手で打つコイン(ハンマー・コイン)の時代は1662年に終わりました。
 (実は、1561年にフランスから機械打ちの製作機が伝えられたのですが、コイン製造者の失業問題が発生し、100年近く軌道には乗りませんでした。)
チャールス2世の1ペニー銀貨 (1672年)
表 : 王の像。
裏 : 「C」。
チャールス2世(在位1660-85)は処刑されたチャールス1世の子です。
12.0mm 0.5g
ジョージ2世の6ペンス銀貨 (1757年)
表 : 王の像。
裏 : 紋章。
ジョージ2世(在位1727-1760)はハノーバー王朝の2代目の王様です。
ハノーバー王朝は、ドイツより迎えられた王で、”王は君臨すれども統治せず”の王です。
20.6mm 2.9g


 1694年、イングランド銀行が設立され、翌年にはバンクノートが発行されました。ヨーロッパ初の紙幣です。
 1712年、ロンドンの造幣局長ニュートンが、金1オンス=3ポンド17シリング9ペンスと固定し、事実上の金本位制が始まりました。 これは金銀比貨1:15.21に相当します。 ニュートンの定めたポンドの金価値は、1931年に金本位制から離脱するまで220年間もの間維持されました。

  ジョージ3世の1ペニー銅貨 (1797年)
表 : 王の像。
裏 : ブリタニア座像。
1790年に蒸気力を利用したコインの製作方法となり、このような大型の銅貨が作成できるようになりました。 厚さ3.4ミリもあります。
35.9mm 28.5g

 ●イギリスコインの単位と種類
 イギリスのコインの単位と種類は複雑です。 基本的には、
     1ポンド=20シリング、 1シリング=12ペニー、 1ペニー=4ファージング
ですが、コイン特有の名称もありました。 次の図は、ビクトリア朝時代に発行されたコインの一覧です。
  赤は金貨青は銀貨茶は銅貨です。 ペニーは銀貨と銅貨の両方がありました。

5ポンド─5─┬─ソブリン──20─┬─シリング──12─┬─ペニー──4─┬─ファージング─2─半ファージング
2ポンド─2─┘ 半ソブリン─10─┤ 半シリング─ 6─┤ 半ペニー─2─┘ 
         クラウン── 5─┤ グロート── 4─┤
         半クラウン─2.5-┤ 3ペンス── 3─┤
         2フロリン─ 4─┤ 2ペンス── 2─┤
         フロリン── 2─┘ 3/2 ペンス─1.5-┘

 この制度は、1970年まで続きました。

 ●女王陛下のコイン
  ヴィクトリア女王の1ペニー銅貨 (1857年)
表 : 女王像。通称ヤング・ヘッドと呼ばれている。
裏 : ブリタニア座像。
 VICTORIA DEI GRATIA BRITANNIAR : REG : FID : DEF
 (神の恩寵による英国の女王にして信仰の擁護者たるヴィクトリア)
若きヴィクトリア女王(在位1837-1901)です。 どこにでもいそうな、清楚な娘さんのようです。 この女王像に多くのファンがいます。
34.2mm 18.6g
  ヴィクトリア女王のソヴリン金貨 (1897年)
表 : 熟年期の女王像。
裏 : 竜退治をする聖ジョージ。
「聖ジョージ(聖ゲオルギウス)」は3~4世紀の小アジアの騎士です。
旅をしていたとき、ある国で王様の一人娘が竜の生贄に出されそうになったの知り、その竜を退治して姫を救いました。
後、イングランドの守護聖人となりました。イギリス海軍旗は「聖ジョージの十字」と呼ばれています。
21.8mm 8.0g

■エリザベス女王のコインについては ⇒ 「女王陛下の肖像」

 ●イギリスの物価と賃金
 13世紀以降の物価と庶民の賃金を紹介します。 
  建築職人、熟練工は、手に職のある人の典型です。 手に職のない単純労働者の賃金は、この6~8割くらいでした。
  1クオータ(約225Kg、291リットル)の小麦は、日本人感覚では1石の米に相当するものでしょうか。
  4ポンド(約1.8Kg)のパンは、おとな3日分の主食です。
  大きなインフレは3回あったようです。
    16世紀後半 - 新大陸から大量の銀が流入したためです。「価格革命」と呼ばれています。
    18世紀後半 - 「産業革命」の影響です。 ただし、産業革命に成功した後、19世紀前半は物価が低下しました。
    20世紀前半 - 2回の「世界大戦」があったためです。
  また1800年前後の小麦価格の急騰は、ナポレオンの「大陸封鎖令」によるものでしょう。

  これらの物価から、当時の貨幣価値を探ってみます:
  2022年の日本の物価は、
    ・小麦(政府売渡価格) 1トン=72,530円 ⇒ 1クオータ=16,300円
    ・食パン(東京小売物価) 1キロ=478円 ⇒ 4ポンド=860円
    ・大工手間賃(東京) 21,000円
  です。
  これらと、例えば1900年の物価と比較すると、
    ・小麦 1クオータ=20シリング(240ペンス) ⇒ 1ペニー=68円
    ・パン 4ポンド=5ペンス ⇒ 1ペニー=172円
    ・建築職人の賃金 80ペンス ⇒ 1ペニー=260円
  となり、幅はありますが、1ペニーはおよそ200円、1シリングは2,400円、1ポンドは4万8千円、とみたらいかがでしょうか。。

  参考までに、現代のイギリス人労働者の平均年間賃金:
    2000年  1.90万ポンド
    2020年  3.39万ポンド



 ■ イギリスの通貨記号  £、s、d
 イギリスの通貨単位は、古代ローマの単位1Libra=20Solidus=240Denariusを見習い
     1Pound=20Shilling=240Penny(複数形はPence)
としました。 そして、ポンド、シリング、ペニーの省略記号は£、s、dです。
     ポンドの記号「£」は、LibraのLを図案化したものです。
     シリングの「s」は、Shillingのsではなく、Solidusのsです。 また「/」を使うときもありますが、これはsを長く書いた「∫」を記号化したものです。
     ペニーの「d」は、Denariusのdです。
 1970年に
     1Pound=100Penny(複数形はPence)
と改訂されたとき、ペニーの省略形は「p」に変わりました。


参考文献:
  ヨーロッパ中世史研究会編、「西洋中世史料集」、東京大学出版会、2000
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  " A Catalogue of the Coins of Great Britain and Ireland ", Spink & Son Ltd, 2003
  " Coins Of England & The United Kingdom ", SPINK, 2004
  銀座コインクラブ、「英国コインの楽しみ」、(株)銀座コイン、1990
  角山栄・川北稔編、「路地裏の大英帝国」、平凡社、1982
  ミッチェル編/犬井正監訳・中村寿男訳、「イギリス歴史統計」、原書房、1995

2003.6.21 2007.10.10 グラフ改訂  2021.7.19 改訂   2023.3.25 改訂