ソグド人のコイン

  あなたは私をソグディアナに任命するのですか。 ソグディアナは何度も反乱をおこし、まだ征服されていないだけでなく、一般に征服することのできない土地であります。
                 ・・・・・  クウィントゥス・クルチウス、『アレクサンドロス大王史』


● ソグド人の登場
7世紀のアジア北部  (吉川弘文館の「世界史地図」を利用しました)
  「ソグド」の名前が歴史に登場するのは、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王(在位紀元前522~486)の碑文に、ペルシャの州のひとつとして、「Sug(u)da」とあるのが最初です。 アレクサンドロス大王は、この地を征服するのに極めて手を焼きました。
  その後、『史記』や『漢書』では「康居国」として紹介されています。漢書によると、戸数12万、人口60万だったそうです。
  また時代によっては、「栗特(ソグド)」、「窣利(ソグド)」、「悉万斤(サマルカンド)」などとも呼ばれました。
  ソグド人は、独自では大きな国をつくらず、他の民族の国家に政治的には属しながらも、経済的にはシルクロードの商人として活躍していました。 玄奘の『大唐西域記』では、 ”力田(農民)と逐利(商人)が半ばしている” と記されています。 商人が人口の半分もあったとは、注目すべきことです。
  ソグド人は、中国にも集団で村を作って住み、出身地ごとに異なった姓を名乗っていました。 石(タシュケント)、安(ブハラ)、何(クシャーニヤ)、曹(カブーダン)、康(サマルカンド)、米(マーイムルグ)、史(キッシュ)などが知られています。


● ソグド商人が使ったコイン
ササン朝ペルシャの銀貨

このころ西域での主力通貨だったホスロー2世(在位590-628)の1ドラクマ銀貨
31-33mm 4.1g
  620年ころの高昌国(トルファン、上の地図のほぼ中央)の市場の記録に、商人たちの売買の内容が記されています。この記録の中の8割以上がソグド人でした。

  次の図は、その売買の一部です。西方の金・銀と東方の絲(絹)が主な商品でした。
  このとき交易に使用された貨幣は、ササン朝ペルシャの銀貨です。

  曹さん(ソグド人)──【金9両】──┐
  康Aさん(ソグド人)─【銀2斤1両】┴→何さん(ソグド人)─【絲80斤】┐
  康Bさん(ソグド人)─【金4両】──┐                 │
  康Cさん(ソグド人)─【香草80斤】┴→車さん(高昌人)──【絲60斤】┴→白さん(亀茲人)

  (1斤=16両=約600g)
  ソグド人の何さんは、同じソグド人から金と銀を買い、それを東方(敦煌などか?)で絹と交換し、再び高昌に戻って亀茲人の白さんに売却しています。
  ソグド人が、シルクロード貿易の主役だった様子がよく分かります。

● ソグド人が発行したコイン
ソグドの銅貨(1)

表はソグド人の王様か? 裏は「タムガ」            
18~21mm 2.0g
ソグドの銅貨(2)

表はユキヒョウ 裏は「タムガ」
9~21mm 2.1g
  ソグド地方で発掘されるコインの中に、人の顔を描いた小さな銅貨があります。 豊かな頬、厚い唇、長い髪、窪んだ目、これがソグド人の特徴なのでしょうか。 唐では、”巻髪高鼻、紫髯緑眼の胡人”と表現されています。
  下のコインには、この地方に棲息する「ユキヒョウ」が描かれています。ユキヒョウは、サマルカンドが建設されたとき、最初に来た動物だったとの言い伝えがあります。
  どちらのコインも裏面には「タムガ」と呼ばれるこの地方の紋章が描かれています。


● ソグド文字が刻まれたコイン
トルギス(突騎施)の銅貨

トルギス(突騎施)の王スールク(蘇禄、忠順可汗、在位717-738)が発行したものです。
ソグド文字で「聖なる突騎施可汗の貨幣」と書かれています。
24.8mm 4.7g


イスラムの1ディルハム劣位銀貨(8世紀)

イスラムのソグディアナ地方の知事al-Mahdiが、発行したものです。
表の王の顔の前にソグド文字で「ブハラの王」と書かれています。
24.7mm 2.6g
  ソグド人は、独自の大国は持ちませんでしたが、独自の「ソグド文字」を創造しました。
  ソグド文字は、西方のアラム文字をもとに発展した文字です。 そして、この文字は東に伝えられ、後世のモンゴル文字や満州文字のもとになっています。 ソグド人たちは、商品の移送だけでなく、文化や文字も伝えたのです。
  トルギスのコインとソグド文字について詳しくは「聖なる突騎施可汗の貨幣」をご覧ください。


● 消滅したソグド
順天元宝 759年

安禄山の跡を継いだ部下の史思明が発行したもの。
37.2mm 17.3g
  唐の天宝14年(755年)、玄宗皇帝が重用した節度使の安禄山が、突如反乱を起こします。安禄山は、その姓からソグド人だったといわれています。 安禄山は、ソグド商人たちを利用し、軍資金を貯えていたことが想像できます。
  安禄山が実子に殺された後を継いだ史思明も、同じくソグドの出身者です。
  763年、ウイグルの援軍を得た唐朝によって「安史の乱」は鎮圧されました。 乱の後、唐ではソグド弾圧の嵐が吹き荒れました。
  「胡面の人間がことごとく誅された。胡人を殺した者には賞金が与えられた」と伝えられています。
  同じ頃西方ではイスラムに侵略され、780年ころ、家を捨て山中に逃れようとした1万人以上のソグド人の集団が虐殺されました。
     北に逃れたが、ここで同朋1万4千人が殺された。 ここも、もうだめだ・・・
  10世紀になるとソグドの文化は消滅してしまいました。



● 何刀胡迦さんの交易
月日相手取り引き称価銭推定取引金額
3月24日曹遮信(ソグド人)金9両(336g)購入2文300文
4月5日康□□(ソグド人)銀2斤1両(1237g)購入2文300文
4月後半白迦門賊(亀茲人)絲80斤(48Kg)売却8文1200文
  上で紹介した高昌国の記録は、市場の役人が作成した称価銭(取引の際の税金)の報告書です。
  1文とはササン朝の銀貨(約4g)1枚のことです。 銀の重さが銀貨の重さに近いであろうこと、税金が商品の種類には依存しないであろうこと、などの仮定からソグド人の何刀胡迦さんの交易の様子を想像してみました。
  何さんは、3月末と4月の初めに仲間のソグド商人から、600文で金・銀を購入しました。
  これを持って東方300Km離れた伊州(ハミ)に行き、絹を仕入れました。1年のうちでも気候のいいこの季節が絶好の活動時期です。
  4月末に高昌に戻り、亀茲人の商人に1200文で売却しました。
  往復の諸経費を差し引くと、500文の収益になりました。



参考文献:
  關尾史郎、「西域文書からみた中国史」、山川出版社(世界史リブレット)、1998
  「NHKスペシャル.文明の道.③海と陸のシルクロード」、NHK出版、2003
  玄奘著、水谷真成訳、「大唐西域記」、平凡社(東洋文庫)、1999
  マッソン著、加藤九祚訳、「埋もれたシルクロード」、岩波新書、1970

2003.12.28  2004.1.12 update 2006.5.24 update