ヨーロッパの中世

ドイツの造幣所風景

ハンス・ブルグマイル(Hans Burgkmair)

上:接客中の監督官
左:円形の金属を整える人
中:金属板から円形を切り抜く人
右:円形の金属に打刻する人

1510年ころ

 5世紀に西ローマ帝国が滅亡したときから、西ヨーロッパの貨幣経済は衰退してしまいました。
 8世紀になって、フランク王国のピピンが古代ローマの貨幣制度を見習ったデナリウス銀貨を発行しましたが、まだ貨幣は一部の人たちが使うのみでした。
 12世紀になると、農業技術の発達により人口が増加し、商業が復活しました。 税金や地代も貨幣で納められるようになりました。
 13世紀には、航海技術が発達して地中海を中心とした貿易が盛んになりました。 国王や諸侯だけでなく、ドイツやイタリアでは大きな都市が貨幣を発行しました。
 12~15世紀の貨幣の種類は少なく、代表的なものは次のようでした。
 イギリスフランスドイツイタリア備考
金貨フローリン(7g)フローリン(3.5g)グルデン(3.5g)フィオリーノ、デュカット(3.5g) 
大型銀貨グロートグログロッシェングロッソ小型銀貨の4~60倍の価値
小型銀貨ペニーソルド、ドゥニエデナール、ペーニヒデナロ1g前後
 金貨が発行されたのは1252年以降です。 金は銀の10倍の価値がありました。 金貨は主に国際貿易で使用されたため、重さや品位は数百年間ほとんど変化がありません。
 一方銀貨は、発行者の意のままに重さや品位がたえず変わりました。
 現在の価値の比較すると、このころの労賃などから考えて、(3.5gの)金貨1枚=12万円、1gの銀貨=3000円くらいと想定します。(食料や物の値段を基準にすると、もっと少ない金額になります)

ノルマンジー公リシャール1世のドゥニエ銀貨
10世紀
20~21mm  1.0g

  ● 1210年ころ ~ イギリスの軍艦乗務員の賃金
職 位日当(ペニー)
提 督(admiral)24
艦 長(captain)12
掌帆長(boatswain)
水 兵(mariner,seaman)
 ジョン王(在位1199~1216)のころに定められた海軍兵士の給料です。
( この規定は15世紀まで続けられました。15世紀に値下げされ、値上げされたのは16世紀末になってからです)。
 このころ、熟練労働者の日当は4.5ペニーくらいでした。
 1ペニー=3000円として想像してください。
【出典】篠原陽一、「帆船の社会史-イギリス船員の証言-」

イギリス ジョン王のペニー銀貨
1199~1216年
18.2mm 1.4g

  ● 1256年 ~ ドイツの市場価格令
品 物数 量金額
(ペーニヒ)
牛肉・羊肉2.5ポンド
山羊肉3ポンド
獣脂1ポンド1.5
上質のソーセージ中くらいの大きさの2本
粉をよくこね、塩を利かし、
ふるい分けたパン
2個
イタリアのワイン1アイマ60
フランケン・ワイン1アイマ75(最上級)
55(中級)
ビール1アイマ18
(1ポンド=327g、1アイマ=70リットル)
 1256年ドイツのランツフートで出された市場規定です。 市の当局が価格安定のために制定したものです。
 この規定では、品質や罰則の規定も定めています。 例えば、ソーセージは純粋で病気にかかっていない豚肉を使わなければならず、それに違反すると、240ペーニヒの罰金を支払い、かつ1年間の営業停止になりました。
 1ペーニヒ=1500円として想像してください。
【出典】H・プレティヒャ著、関楠生訳、「中世への旅.都市と庶民」、白水社、1982

ドイツのブラクテアート銀貨
12世紀
17mm 0.6g

  ● 1301年 ~ イングランドの荘園裁判所の記録
被告、納税者事 由判 決
ジョン・アット・グリーン父親の農民保有地を継承するために、
保有許可料・相続上納金を領主に支払う。
上納金7シリング
ウォルター・ルースプレト夜陰に紛れて領主の小麦に不法侵犯した。罰金6ペンス
ロジャー・ウェイリーズ当領主法廷を欠席した。罰金3ペンス
ギルバート・オーモナー領主の牧草地と領主の門の外の草地を
許可なく掘り起こし損害を与えた。
罰金3ペンス
アリス・ウォールドラッグ夫が死亡し、農民保有地を受け継ぐため、
死亡税を納める。
評価額6シリングの牡牛1頭
水車管理人の
ロバート・オールドマン
小麦1ブッシェル(36リットル)の水車使用料を取って
農民ウィリアムに損害を与えた。
罰金8ペンス
 イングランドのオックスフォード州にあるククサム村は、オックスフォード大学の荘園で、十数軒の農家からなる小さな村でした。
 1301年7月7日、この村で裁判が行われ、相続税の決定や、村で起きた事件を裁きました。
 1シリング=12ペンスです。 1シリングは3.6万円、1ペニーは3000円として想像してください。
【出典】「西洋中世史料集」、東大出版、2000


イギリス エドワード1世のペニー銀貨
1272~1307年
18.4mm 1.3g

  ● 1325年 ~ フィレンツェの法律
犯罪の種類刑罰(リラ)備 考
盗み万引 
窃盗25 
強盗50 
家宅侵入窃盗100 
傷害素手で流血なし25 
素手で流血あり50 
武器で流血なし50 
武器で流血あり200 
殺人傷害致死2000+禁固6ヶ月
殺人斬首+財産没収
誘拐誘拐未遂1000または足の切断(男)、
鼻の切断(女)
誘拐2000または絞首刑
放火過失の火事四肢の切断 
納屋への放火500または手の切断 
住居への放火火刑 
強姦下女相手25 
子供相手100 
大人の女性相手500以上 
ソドミー
(少年への
性行為)
犯人が少年50 
犯人が大人100+鞭打ち
仲介500+手の切断
 1325年、フィレンツェの司法長官ボデスタが定めた刑法です。(一部それ以前のものもあります)
 誘拐未遂のときの肉体刑で、男と女の違いが興味深いです。 ともに男と女にとって重要な部位が切断される刑になっています。
 放火の刑罰が極端に高いのに驚かされます。
 1リラ=4万円として想像してください。
【出典】高橋友子、「路地裏のルネサンス」、中公新書、2004


フィレンツェ 2006年夏

フィレンツェのフィオリーノ金貨
イミテーション
 

  ● 1390年ころ ~ イタリア商館の勤め人の給与
年俸(フィオリーノ)備 考
幹部社員100~200他にボーナスもあり
平社員15、20、25 
会計係12給料は親に渡される
使い走り5~7子供?
下 男25、のち30 
女中頭12衣食住つき?
女 中10同上
乳 母12同上
奴 隷なし50~60フィオリーノで購入
 1348年、フィレンツェの近郊プラートに住むダディーニという少年は、両親を黒死病でなくしました。 両親の遺産は、47フィオリーノと家と小さな土地でした。
 少年は、フィレンツェやフランスのアヴィニヨンに出て毛織物を扱う商人になり成功しました。
 右の表は、彼の経営する商館の使用人や、家庭での使用人の俸給です。
 1410年になくなったとき、遺産は10万フィオリーノ以上ありました。
 1フィオリーノ=12万円として想像してください。
【出典】イオス・オリーゴ著、篠田綾子訳、「プラートの商人.中世イタリアの日常生活」、白水社、1997

ヴェネティアのデュカット金貨
1329~39
19.8mm 3.5g

  ● 14~15世紀 ~ 英仏百年戦争の傭兵の給料
14世紀末フランス軍
身 分月俸
(リーヴル・
トゥールノワ)
隊長60
バシュリエ30
楯持ち15
弩射手長40
騎馬弩射手12
徒歩弩射手
騎馬弓射手10
徒歩弓射手
砲手12
砲手手伝い
槍組長20
槍兵3.5
1416年イギリス軍
身 分人 数日当
(ペニー)
3ヶ月ごとの
ボーナス
(マルク)
守備隊長1人80100
騎 士3人24
騎 兵26人12
弩 兵18人10 
弩 兵22人 
騎馬の弓兵30人 
大 工20人12 
石 工15人12 
鉛管工1人12 
瓦職人1人12 
砲 手1人12 
砲手の助手1人 
 1338~1453年、イギリスとフランスは長い間戦っていました。 このころの軍隊は、徴兵制の軍隊ではなく、お金を払って雇う傭兵が中心でした。
 右の表は14世紀末のフランス軍の傭兵と、1416年のイギリス軍のカレー守備隊の給料です。
 また、1355年にフランスのジャン2世が、3万人の傭兵の1年分の給料として議会の同意を得たのは540万リーヴル・トゥールノワでした(1人1月平均15リーヴル・トゥールノワになります)。
 傭兵は危険な職業でもあり、また士気を高めるためでしょうか、給料はかなり高額になっています。 しかし、劣悪な環境から脱走して盗賊(ブリガン)となる者も多く、1419年イギリス当局はブリガンを捕らえると、1人につき6リーヴル・トゥールノワの報奨金を出すことにしました。
 1ペニー=3000円、1マルク=160ペニーとして想像してください。 また、フランスのリーヴル・トゥールノワはこのころしばしば軽量化されていますが、一応銀20グラムと考え、6万円として想像してください。

【出典】堀越孝一他著、「世界歴史体系 フランス史1」、山川出版社、1995
    グランド・オーデン著、堀越孝一訳、「西洋騎士道事典」、原書房、2002
    佐藤賢一著、「英仏百年戦争」、集英社新書、2003
    城戸毅著、「百年戦争」、力水書房、2010

フランスのグロ銀貨(12トゥール・ドゥニエ)
1285~1308年
25.3mm  3・2g

  ● 1481年 ~ フランスのパンの値段
白パンの値段
年月1個の値段1個の重さ備考
1481年春1ドゥニエ8オンス平常状態
1481年6月7オンス不作で高騰が始まる
1481年10月2ドゥニエ11オンス
1481年12月10オンス
1482年6月3ドゥニエ10オンス最高騰
1483年8月1ドゥニエ8オンスやっと元に戻る
1484年3月12オンス一転して豊作
(1オンス=30g)
 パンはヨーロッパ人の主食です。 パンの値段は、小麦の値段に大きく左右されました(値段が変わるのではなく、重さが変わるのが通常でした)。 パンには、白パン(やや高級のパン)、パン・ブルジョア(普通のパン)、褐色パン(安物のパン)の3種類ありました。
 1481年、フランスでは穀物の大不作となり、パンの高騰に苦しみました。 右の表は、アミアンでの白パンの値段の移り変わりです。
 大人1人で、1日15~30オンスのパンが必要でした。
 1ドゥニエ=500円として想像してください。
【出典】Fデポルト、見崎恵子訳、「中世のパン」、白水ブックス、2004

「両替商とその妻」
(The Moneylender and his Wife)

クエンティン・マセイス
(Quentin Massys)

1514年

  ● 1522~25年 ~ ドイツのある元傭兵の悪行
年月場所悪  行
1522年春南独
ネルトリンゲン
・市場で財布を盗む。中には3バッツェンが入っていた。
・商人の鞄をひったくる。中には3グルデン9バッツェンが入っていた。
 鞄は3バッツェンで売る。
・雑貨屋の香辛料を盗み、2グルデンで売る。
・馬1頭を盗み、3グルデンで売る。
1522年8月南独イスニ仲間3人と肉屋を殺し3グルデンを奪う
1522年8月オーストリー
北東地方
20人の強盗団に入り、トレントの商人を襲い、500グルデンを得る。
但し、新米のため、分け前は5バッツェン。
1524年9月南独
ネッセンバンク
森の中で女性を殺し7グルデン奪う。
1525年2月パヴィア再び傭兵となり、武器庫の槍4本と短剣2本を盗み1.5グルデンで売る。
 南ドイツのシュトラスブルクに生れた貧しい農民ヤーコプ・ロートは、傭兵となりました。
 戦がある間は、収入がありましたが、戦が終ると、失業してしまいました。 村にも帰れず、彼は悪行を重ねました。
 この元傭兵は、1526年8月、ラーフェンスブルクにて死刑の判決が下りました。

 この当時、月に2グルデンあれば一家族が何とか暮らせました。
    農夫、職人 ・・・・・ 月収2グルデン
    腕のいい職人、学校教師 ・・ 月収4グルデン
    傭兵隊の兵卒 ・・・・・ 月収4グルデン(衣食費込み)
 1グルデン=12万円、1バッツェン=8000円で想像してください。(1グルデン=15バッツェンです。)
【出典】ラインハルト・バウマン著、菊池良生訳、「ドイツ傭兵の文化史」、新評論、2002


オーストリー帝国 チロル 1ターラー銀貨

1616年
28.3g 41.1mm
この頃のグルデンとターラーはほぼ等価

  ● 1590年ころ ~ イギリスのパン屋さんの経費
分類明 細週間経費
(ペニー)
小 計
家賃(年額30£)13811s6d
食費夫 婦12049s
子供3人84
職人4、徒弟2、女中2人384
衣類代夫婦、徒弟9210s8d
子供(含教育費)36
賃金職人4人(1人30d)12011s8d
徒弟2人なし
女中2人(1人10d)20
諸経費イースト12030s3d
144
石 炭16
12
12
ふるい12
穀倉庫賃貸料24
篭 代
水 代
その他粉挽き賃18017s
担ぎ人夫賃24
教会への喜捨、
夜警への心づけなど
12
合 計21616£10s1d
 16世紀になると、新大陸からの金・銀が大量に流入し、数十年の間に貨幣価値が1/3~1/5になりました。 「価格革命」と呼ばれています。 進行するインフレに、庶民の生活は苦しくなりました。
 右の表は16世紀末、ロンドンのパン屋さんが、店の経営が赤字で苦しんでいることの証拠として提出したものです。 1週間で6クォータ(1700リットル)の小麦からパンを焼く費用の総額を示しています。
 貨幣の単位は、1£(ポンド)=20s(シリング)=240d(ペニー)です。
 消費支出のうち大半は食費です。 エンゲル係数の高さが顕著です。 また、職人さんたちの給料(食事つき)も興味深いです。
 「価格革命」後は、1ペニー=1000円として想像してください。
【出典】モリー・ハリスン著、工藤政司訳、りぶらりあ選書「買い物の社会史」、法政大学出版局、1990

イギリス エリザベス1世の6ペンス銀貨
1570年
25.8mm 2.6g


【参考1】 アダムスミスの『国富論』
右のグラフは、アダムスミスの『国富論』に掲載されている、イギリスの小麦価格の推移をグラフにしてみたものです。 (ただし、1270年の112シリングという異常値だけは取り除きました)。
1クオータは291リットル、およそ一人1年分の消費量です。
【出典】アダムスミス著、大河内一男訳、「国富論」、中公文庫、1978(原書は1776年刊)

このグラフから、いくつかのことが分かります。 (以下は私の考察です)

①16世紀後半におおきなインフレが発生しています。 いわゆる「価格革命」です。

②年ごとの変化は激しく、翌年に10倍になるような急激な変化が、しばしば発生しています。 季節や場所による変動も大きかったでしょう。 商業交通が不完全な時代、戦乱や不作による窮状を他の地域が助けることが不自由な時代でした。 1日といえ欠かすことの出来ない主食の価格がこんなに変動していたのでは、底辺層の生活は大変だったと想像できます。

③しかし、この変化の度合いは、近世になると確実に小さくなっています。
     13~15世紀 平均10.8 標準偏差 8.7(平均値の81%)
     17~18世紀 平均45.3 標準偏差12.9(平均値の28%)
商業の発達などにより、物価が安定していく様子がわかります。

④ものの値段を「平均値」で考察すると、おおきな危険を伴いそうです。 収穫直後の小麦が2シリング、端境期で20シリングとすると、その年の平均は11シリングですが、毎日を生きていくためには「平均値」では生活できません。

【参考2】 東京大学1999年度入試問題 世界史 第2問(A)
次の図Aは、ヨーロッパ各地の生活物資の代表としての小麦の価格を集成したグラフである。期間は大航海時代に先立つ1450年から産業革命に先立つ1750年まで、縦軸は小麦100リットル当たりの価格を銀の重量(グラム)であらわす(対数目盛)。ヨーロッパの最高価格が網のかかった帯の上端に、最低価格が下端にあらわれ、この帯のなかにすべての地域の小麦価格がおさまる。
15世紀から18世紀にかけて外の世界と交渉しつつ大きく成長したヨーロッパ経済の動向を考えながら、このグラフを読みとり、次の設問に答えよ。

問1 このグラフによれば、1500年から1600年の間にヨーロッパ全域で価格が上昇し、ほとんど3倍から4倍になっている。この現象を何と呼ぶか。漢字5字以内で答えよ。

参考図 (この図は、入試問題にはありません)
問2 1450年のヨーロッパにおける小麦の最高価格と最低価格との比は6.8であったが、1750年の最高価格と最低価格との比は1.8に縮小している。このことの背景にはどのような変化があったか。2行(60字)以内で記せ。

問3 グラフ内の折れ線は、地中海沿岸a、北西ヨーロッパb、北東ヨーロッパcの代表的な都市における価格変動をしめす。中世末から近代にかけて経済活動の中心が移動したこと、aとbは17世紀前半に交差して相対的位置が交替していること、cはほとんど常にヨーロッパの最低値に近いことに注目しながら、この期間のヨーロッパの商工業と農業をめぐる地域間の関係について、3行(90字)以内で記せ。

(図Aのbの折れ線、【参考1】の50年移動平均の折れ線によく似ています。)
(なお、1シリング/クオータ は、ほぼ 銀2グラム/100リットル に相当します。)




 ● メモ帳  ( )内は、1gの銀貨を現代の3000円、1gの金貨を現代の3万円に評価したときの価 ※印はフィクション。
1018年 イングランドが、デーン人のクヌート大王に支払った貢納金、7.2万ポンド           (700億円)
1194年 イギリスのリチャード獅子心王が、オーストリア大公に捕らえられたときの身代金、15万マルク (1000億円)
1201年 ベネティアが、第4十字軍の兵33500人+馬4500頭の輸送を請け負った費用、8.5万マルク(600億円)
       兵(騎士4500、歩兵20000、従士馬丁9000)×2マルク、馬4500頭×4マルク
1202年 ビザンチン皇太子が、帝国を奪い返す十字軍に約束した謝礼、20万マルク           (1400億円)
1360年 フランス王ジャン2世が、イングランドに捕らえられたときの身代金、300万エキュ      (3000億円)
      (当時のフランス王家の年収の2倍)
1419年 ルーアン市が、半年の抵抗の後にイングランド軍に降伏したときの賠償金、30万エキュ      (300億円)
1429年 コジモ・デ・メディチが、父より受け継いだ遺産、18万フィオリーノ              (190億円)
1430年 ジャンヌダルクを捕らえたブルゴーニュ軍が、彼女をイングランド軍に売却した身代金、1万リーブル  (7億円?)
1456年 グーテンベルクが印刷した聖書1冊、42グルデン                       (500万円)
1487年 チロル公が、銀鉱山を抵当にフッガー家から借金した金額、2.3万グルデン            (28億円)
1492年 コロンブスが、大西洋航海のために要した費用、200万マラベディ                 (6億円)
1507年 ラファエロが、アニョーロ・ドーニより受け取った「ドーニ家のトンド」の制作費用、140ドゥカート(1700万円)
1517年 ドイツで発売された「免罪符(正式名称:贖宥状;しょくゆうじょう)」、1/4フローリン    (2.4万円)
1519年 スペイン王カルロス1世が、神聖ローマ皇帝となるために使った選挙資金、85万グルデン    (1000億円)
1520年 デューラーの帝室画家としての年俸、100グルデン                     (1200万円)
1533年 ピサロが、インカ王アラワルパの身代金として得たお金、金132万ペソ+銀6万ペソ      (2400億円)
年代不明 ※「ベニスの商人」アントーニオがシャイロックから借りたお金、3000ドゥカート        (3.6億円)


  ヨーロッパの近世

2005.2.20   2006.5.11update(現代での価値見直し)