ヨーロッパの近世

「小さな果物売り」
(Small Fruiterer)

Bartolomé Esteban Murillo

1670年ころ

  ● 1636年 ~ オランダのチューリップ・バブル
品 物数 量金額(ギルダー)
よく肥えた豚8頭240
よく肥えた牛4頭480
よく肥えた羊12頭120
小 麦24トン448
ライ麦48トン558
ワイン大樽2つ70
ビール樽4つ32
バター2トン192
チーズ2000ポンド120
銀のコップ1個60
衣 服1着80
マットレス・寝具付きベッド1台100
1艘500
合 計3000
 チューリップは天山山脈が原産地です。 オスマントルコを経由して、オランダに伝わったのは1559年のことらしいです。 当時は貴重なものでしたが、1634年ころ、球根への異常な投機熱が始まりました。 とにかく値段がどんどん上がるものですから、投機した人は全員儲かりました。 借金をして先物取引をする人が後を絶ちませんでした。
 1636年には、最高級の球根一つに3000ギルダーの値がつくものさえありました。 大工さんの年収が250ギルダーの時代です。 右の表は、このころ3000ギルダーあればどれだけのものを買えたかを記したものです。
 1637年2月3日(火曜日)、いつものとおり始まった競売会でしたが、買い手がつきませんでした。 その場のひとたちは、事の重大さに真っ青になりました。 バブルは一挙にはじけ、1%以下の価格になったものもありました。 多くの人は、ただの球根と、多額の借金をもつことになりました。
 (ヨーロッパは30年戦争(1618~48)で大変な時期でした。 戦争の圏外だったオランダは”平和”だったようです。)
【出典】マイク・ダッシュ著、明石三世訳、『チューリップ・バブル』、文春文庫、2000

オランダのダーラー銀貨
1589年
(およそ2.5ギルダーに相当します)
26.3g 41.0mm

  ● 1680年ころ ~ イギリスの飲茶ブーム
品 物数 量金額
(シリング)
白コショウ1ポンド3.5
大麦8ポンド
ハンガリー水(リューマチの薬)小びん1.25
ボヒー茶(中国茶)1ポンド16
ベコ茶1ポンド24
上等の緑茶1/4ポンド
 17世紀後半、ヨーロッパに飲茶の習慣が広まりました。
 ロンドンにはたくさんのコーヒーハウスができ、市民たちが、コーヒーやお茶を飲みながら世間話をしました。 自由な雰囲気で、情報交換の重要な場になっていました。 コーヒーハウスは、19世紀前半まで隆盛し、最盛期にはロンドンに500店もあったそうです。
 このころの「茶」は、紅茶ではなく、緑茶とボヒー茶(ウーロン茶のようなもの)が主体でした。
 右の表は、グリセル・ベイリー卿夫人の家計簿の一部です。
 上等の緑茶1/4ポンド(約100g)が8シリングしています。当時の労働者の8日分の日当でした。
 現在の日本では、上等のお茶100gは2000~3000円でしょうか。2~3時間分の賃金です。
【出典】モリー・ハリスン著、小林裕子訳、『台所の文化史』、りぶらりあ選書/法政大学出版局、1993

イギリスの1ペニー銀貨
1672年
チャールス2世
(1/12シリングに相当します)
0.5g 12.0mm

  ● 17~18世紀 ~ ターレル銀貨の価値
品物17~18世紀のドイツ現代の日本円/ターレル
 ライ麦1bushel 21gr.6pf.白米5Kg 2012円3.6万円
1697豚もも肉1pound 1gr.3pf.豚ロース肉100g 239円2.1万円
1699牛肉1pound 1gr.3pf.牛肩肉100g 483円4.2万円
1699仔牛の肉1pound 1gr.2pf.  
1699ビール1quart 6pf.350ml6缶 1210円3.1万円
1710バター1tub 4gr.9pf.200g 323円3.7万円
1724仔牛1頭 1rthl  
1724乳牛1頭 9rthl  
1725ミルク1quart 5pf.1000ml箱入り 204円1.3万円
176215個 3gr.3pf.10個 218円0.2万円
 ワイン並品1quart 3gr.2pf.ボジョレー赤750ml 1198円1.4万円
 ワイン上級1quart 6gr.  
 17~18世紀、ヨーロッパの中心的な貨幣だったのが「ターレル銀貨」です。
 18世紀初頭のザクセン公国(首都はライプチヒ)での物価を元に、「ターレル銀貨」の価値を探ってみました。
 ザクセン公国の貨幣体系は、
    1ターレル(rthl)=24グロッシェン(gr.)=288プフェーニッヒ(pf.)
で、1ターレル銀貨は28.8グラムでした。 
 食べ物を基準にして比較すると、1ターレルは2~3万円といったところでしょうか。 ただし卵だけは、当時は貴重品(現代は安価)だったことが分かります。
 ( 1Saxony_bushel=103l, 1quart=1.13l, 1tub=4.5l, 1pound=454g )

【出典】The Marteau Encyclopedia of the Early Modern Period
   「平成18年5月、東京都区部小売価格」

プロシャの1/6ターラー銀貨
1765年
フリードリッヒ2世
5.4g 25.2mm

  ● 18世紀中ごろ ~ ポンドの価値
品 物18世紀のイギリス現代の日本円/£
食料品紅茶1ポンド、12~28s100g、200~400円0.1~0.2万円
コーヒー1ポンド、5s8dジャマイカ100g、850円1.3万円
たまご3~4個、1d10個、218円1.8万円
ワイン並品1ガロン、4~6sボジョレー赤750ml、1198円2.9万円
食パン1ポンド、5d1Kg、409円3.0万円
小麦1クオータ、40s白米5Kg、2012円4.6万円
牛乳1クオート、1d1000ml函、204円5.4万円
キャベツ1個、0.5d1Kg、152円7.3万円
酒場のビール大ジョッキ、1~3d700~800円6~18万円
じゃがいも1ペック、4d1Kg、309円15万円
牛肉1ポンド、2.5d牛肩肉、100g483円21万円
ビール1ガロン、2d350ml缶、202円31万円
俸給、収入 女中衣食住付き、年給2~4£
織工、紡績工週給8s7d一般労働者、年収300万円13万円
石工、レンガ積み職人、指物師日給20~29d大工、年収400万円10~13万円
印刷工週給20~24s技能労働者、年収800万円13~15万円
宝石細工人、椅子彫刻工師週給3~4£高級専門職、年収1200万円6~7万円
地主階級年収200~5000£
平均的な貴族年収1万£
その他ティーポット7£2000円~1.5万円0.03~2万円
辞書廉価版の英語辞書、2s500円0.5万円
テーブルクロス1枚、1£2000円~2万円0.2~2万円
郵便料金書状(80マイルまで)2d書状80円1.0万円
2頭立て貸し馬車1.5マイル、1sタクシー初乗り、660円1.3万円
乗合馬車1マイル、2~3dバス初乗り、207円2.0万円
家賃(家族向け)2部屋家具付、週16s3LDK、月15万円4.4万円
劇場入場料ボックス席、5s歌舞伎座1階桟敷席、1.7万円6.8万円
新聞1部、1f駅売り新聞、130円7.8万円
ホテル宿泊費1泊2食付き、4s上級ホテル1泊+食事、2.5万円12万円
家の建築費田舎で寝室が二つある家、40~50£40坪の家、坪単価30万円27万円
 18世紀中ごろ、イギリスは産業革命の直前です。 この頃の、「ポンド」の価値を現代の価値と比較してみました。
 大量生産のできない時代でした。 人の収入に比べ、”もの”は貴重だったことが分かります。
 このあと、産業革命が起こり、物は豊かになりましたが、物価は高くなり、貧富の差は一層激しくなりました。

 1£(ポンド)=20s(シリング)
        =240d(ペニー)
        =960f(ファージング) です。

【出典】リチャード・B・シュウォーツ著、玉井東助・江藤秀一訳、『十八世紀 ロンドンの日常生活』、研究社出版 1990

イギリスの6ペンス銀貨
1757年
ジョージ2世
(1/40ポンドです)
2.9g 20.6mm

  ● パリ職業づくし
職業賃金備考
1664辻馬車(二人掛け)一走行 10スー四人掛けは40スー 
1696辻馬車最初の1時間 25スー
その後1時間ごとに 20スー
 
1738駕籠かき(2人)1日 84スー 
1760ころ水売り桶2つの運び賃 2スー4階以上だと3スー
1787煙突掃除代1階、中2階 8スー
2階 6スー
3、4階 5スー
5階 4スー
過酷な割りに安い
1800ころ出稼ぎの麻すき工1日 20~30スー10~12月の3ヶ月間
1800ころ絹織物工1日 80~100スー絞織機発明前
1830ころ絹織物工1日 25スー以下絞織機発明後
1807照燈持ち6、8または10スー実は警察のスパイ
 フランス革命前後のパリの底辺層の職業です。
 産業革命で機械化がすすむと、女工さんの賃金が激減しています。 フランスの「女工哀史」です。

【出典】F.クライン・ルーブル、北澤真木訳、『パリ職業づくし』、論創社、1995

   
フランスの1スー銅貨
1785年
ルイ16世
11.2g 28.1mm


  ● 1795年 ~ ジャン・バルジャンの盗んだパン
肉体労働者の
平均時間給
パン1キロの値段
17882スー5スー
18003スー7スー
18404スー約8スー
18905スー約8スー
19056スー約7スー
2004(東京)710円
(労働基準局:最低賃金)
422円
(統計局:小売物価)
 1795年、ジャン・バルジャンは姉とその子供7人を養っていましたが、枝切り職人としての彼の1日の収入はわずか24スーでした。 24スーをすべてパンに費やしても4キロほどしか買えません。 とうとう、ある日、彼はパンを1本盗んでしまいました。
 1フラン=20スーです。
【出典】鹿島茂、『馬車が買いたい』、白水社、1990


   
 ナポレオンの40フラン金貨
1811年発行
(800スーになります)
26.0mm 12.8g 品位900


  ● 1815年前後 ~ ベートーベンとシューベルトの作曲料
ウィーン人の年収
1815~37年ころ 単位フローリン

 1815年 ナポレオン戦争が終ったころ、ウィーンはベートーベンやシューベルトなどの大作曲家が輩出しました。
 ベートーベンの楽譜料:
    交響曲第1番 1801年 90フローリン
    交響曲第9番 1824年 600フローリン
 シューベルトの楽譜料:
    歌曲 1804~13年 18~19フローリン(1曲あたり)
       1822~28年 20~25フローリン(1曲あたり)
 シューベルトの1825年の家庭教師料は、2時間で1フローリンでした。
 このころのウィーンの人たちの職業別年収(右図)と比べてみてください。
【出典】A.M.ハンスン著、喜多尾道冬ほか訳、『音楽都市ウィーン』、音楽之友社、1988

オーストリアのターレル銀貨
1822年
フランツ1世
(およそ2フローリンです)
27.8g 40.0mm


  ● 1818年 ~ 長崎出島のオランダ商館員の俸給
階級年俸
商館長(カピタン)18000グルデン
荷倉役4800グルデン
筆者頭2400グルデン
医師1500グルデン
事務官(5人)1080~1200グルデン
食料調達係400グルデン
荷倉番400グルデン
 長崎の出島でオランダ商館が活動していたのは、1641年から1859年までの200年余のことです。
 商館では商館長(カピタン)以下、10数名のオランダ人が遠い異国で不自由な生活をしていました。
 右の表は1818年に定められた俸給表です。
 最下層の人たちの年俸を400万円とすると、カピタンの年俸は1.8億円ということになります。当時、カピタンを2年勤めると、帰国後その資産で生活できたそうです。
 このころオランダ船の荷揚げなどに使われた日雇い日本人の賃金は、1日銀2.3匁でした。 1グルデンは日本の銀5.2~5.6匁に相当します。 年間300日働いたとしても130グルデンくらいにしかなりません。 格差が読み取れます。

【出典】横山伊徳編、『オランダ商館長の見た日本』、吉川弘文館、2005


オランダの1グルデン銀貨
1794年
10.5g 32.2mm

  ● 大英帝国の賃金
19世紀のイギリスは、産業革命で貧富の差が拡大し、3つの階層に分かれていました。
  ・人を雇う階層(これをジェントルマンと呼びました)
  ・人に雇われる階層
  ・その中間層
代表的な階層の平均的な年収は、
   ジェントルマン 250ポンド以上
   熟練工  50~100ポンド
   工員   20~50ポンド
   下女   5~20ポンド(賄いつき)
くらいでした。

右のグラフは、18~19世紀の階層ごとの年収の推移です。
(上のオーストリーとオランダとの比較するときは、1ポンド=10フローリン=10ギルダーと考えてください)
【出典】 " Nominal Annual Earnings for various Occupations in England and Wales", Data by Jeffrey G. Williamson, 1982
イギリスのソヴリン金貨(1ポンド)
1897年
ヴィクトリア女王
21.8mm 8.0g



古きよき時代のイギリス

John Constable

1824年


  ● 1871~73年 明治人のみた欧米
場 所職 業給 金円換算(月)
アメリカサンフランシスコの小学校教頭月 175ドル175円
教師(男)月 125ドル125円
教師(女)月 50~83ドル50~83円
イギリスロンドン近郊のビスケット工場職人周日 0.75ポンド15円
オランダマーシバッペー社(造船工場)職人日 2.5~4ギュルデン25~40円
プロシャベルリン近くの陶器工場職人月 35ターラー以上24円~
画工月 200ターラー136円
オーストリアウィーンの戎服仕立工場上級職人周日 20フロレン38円
中級職人周日 10フロレン19円
一般職人周日 5フロレン10円
ロシアぺテルスブルクの造幣寮職人月 17~35ルーブル14~28円
ぺテルスブルクの紙幣寮子供月 5ルーブル4円
最高級の技術者月 500ルーブル400円
中国揚子口の造船場職人周日 1.25~6元(ドル)5~25円
 明治のはじめ、欧米の国状、社会、産業などを学習するため、政府の大調査団が派遣されました。 右大臣岩倉具視を特命全権大使とする総勢50名です。
 明治4(1871)年11月に、横浜港を出発し、アメリカからヨーロッパ諸国を見聞し、スエズ経由で、明治6(1873)年9月に横浜港に帰港しました。 見聞した内容は、一行の久米邦武が『特命全権大使・米欧回覧実記』として残しています。
 この見聞録から、欧米の職人さんたちの給料を抜き出し、当時の交換レートから、1か月あたりの日本の円に換算してみました。 交換レートは次のとおりです。
   アメリカ 1ドル=1円
   イギリス 1ポンド=4円88銭
   オランダ 1ギュルデン=40銭
   プロシャ 1ターラー=68銭
   オーストリア 1フロレン=46銭
   ロシア 1ルーブル=80銭
 ここでは、1か月=25日、1周(週)=6日で計算しました。 アメリカの小学校の先生の給料が異常に高いのですが、理由は不明です。
 なおこのころの日本の庶民(大工さん、巡査さんなど)の1か月の賃金は、5~10円程度でした。

【出典】久米邦武編、田中彰校注、『特命全権大使・米欧回覧実記』、岩波文庫、1977~83


  近世ヨーロッパ貨幣と現代の価値との比較
  1580~1850年ころの約300年間、ヨーロッパでは金と銀の絶対的な価値はあまり変動していません。
  労働者の賃金は、平均的には1日10~30ペニー、または20~60スー(ともに銀5~15g)程度でした。 これを現代の5千円~1万5千円とすれば、1gの銀貨は1000円相当ということになります。
  イギリスの小麦の値段は、1クオータ(291リットル)で40~50シリング(銀240~300g)、現在の日本の白米は10Kg(13リットル)で5000円。 これは1gの銀貨が400円前後に相当します。
  物(衣服や生活道具)は、現代人の想像以上に”貴重”なものでした。 例えば、
   ・1630年、フライパン1個が2シリング8ペニー(銀16g)、現在2000円とすると、1g=125円
   ・1750年ころ、大きいテーブルクロス1枚が1ポンド(銀120g)、現在10000円とすると、1g=83円
   ・1780年ころ、くつ1足が12リーブル(銀60g)、現在10000円とすると、1g=167円、
    1810年ころ、18フラン(銀90g)、1g=111円。
   ・1830年ころ、くつ下1足が1.5フラン(銀7.5g)、現在750円とすると、1g=100円
といったデータがあります。
  この時代はエンゲル係数が50%を超えていた時代です。 物(衣服、生活道具など)は大量生産できず、何度でも修理して使用していた時代です。 現代の価値と比較するときには、何を基準にするかによって大きく変わります。 次のように考えたらいかがでしょうか:
基準とするもの1gの銀貨の価値1gの金貨の価値
庶民の労賃1,000円15,000円
食糧(小麦、パンなど)400円6,000円
物(衣服、生活道具など)100円1,500円
  ( なお、金は銀の15~16倍の価値でした。 金と銀の相対的な価値については、 「金:銀」をご覧ください。 )


 ● メモ帳  ( )内は、1gの銀貨を現代の1000円、1gの金貨を現代の1.5万円に評価したときの価  ※印はフィクション
1570年 スペイン・ヴェネティア・教皇庁がレパントの戦いで要した費用、2.25億マラベディ(220億円)
1556年 スペイン王カルロス1世の借金総額、3700万ドゥカート          (2兆円)
1580年 レパントの戦後、トルコ海賊の捕虜になったセルバンテスの身代金、500エスクード(2700万円)
1588年 スペインが失った無敵艦隊の総費用、1000万ドゥカート       (5600億円)
1601年 ケプラーの神聖ローマ皇帝付数学者としての年俸、500グルデン     (650万円)
1626年 オランダ西インド会社がインディアンより購入したマンハッタン島、60ギルダー(66万円)
1642年 レンブラントの「夜警」の制作料、1600グルデン          (1800万円)
1648年 三十年戦争後のウエストファリア条約でスエーデンがドイツより受け取った賠償金、500万ターラー(1400億円)
1659年 スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサがフランス王ルイ14世に嫁いだときの持参金、50万エスクード(260億円)
      (この代償として、フランスはスペイン王位継承権を放棄)
1671年 カリブ海の大海賊ヘンリ・モーガンが、スペイン人の都市パナマを襲撃して得た獲物、8レアル銀貨75万枚(200億円)
1699年 ニュートンのイギリス造幣局長官の年俸、2000ポンド          (2.4億円)
1745年※海賊フリント船長が「宝島」に残した財宝、70万ポンド         (840億円)
1775年 ゲーテのワイマール国評議員の年俸、1200ターラー         (2700万円)
1776~83年 イギリスがアメリカ独立戦争で支出した金額、2.4億ポンド    (28.8兆円)
1786年 マリー・アントアネットの年間衣裳料、27万リーブル          (13.5億円)
1791年 モーツアルトの借金残高、5672フローリン             (7400万円)
1803年 アメリカがナポレオンより購入したルイジアナ、1500万ドル=8000万フラン(4000億円)
      (面積は214万平方キロあり、1平方キロあたり20万円弱。破格の安値。)
1814年 エルバ島に引退させられたナポレオンの年金、200万フラン       (100億円)
1829年※エドモン・ダンテスが得たスパダ伯爵の財宝、200万エキュ       (600億円)
1833年※ジャン・バルジャンがコゼットに与えたお金、60万フラン         (30億円)
1838年 オランダ政府が購入したシーボルトの日本コレクション、5.85万グルデン   (6億円)
1842年 イギリスが南京条約で清から得た賠償金、600万両(テール)     (2000億円)
1858年 ハリスの日本総領事の年俸、5000ドル                 (1.4億円)
1862年 ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の著作権料、30万フラン     (15億円)
1863年 生麦事件後、薩摩藩がイギリスに支払った賠償金、2.5万ポンド=10万ドル=7万両(30億円)
1865年 ドストエフスキーの「罪と罰」の著作権料、300ルーブル        (600万円)
1867年 アメリカがロシア帝国より購入したアラスカの代金、720万ドル    (2000億円)
1870年ころ?※「荒野の七人」が、村を守るために請負った賃金、1人6週間で20ドル(53万円)
1872年※ロンドンのフォッグ氏が80日間世界一周することで賭けたお金、2万ポンド (24億円)
1873年 ロシア皇帝アレクサンドル2世の年収、400万ルーブル         (800億円)
1887年 コナン・ドイルの「緋色の研究」の著作権料、25ポンド         (300万円)
1896年 ノーベルが残したノーベル賞の基金、3100万クローナ        (2300億円)


  ヨーロッパの中世

2005.3.5