ドイツのコイン

  ドイツの簡単年表
  10世紀 神聖ローマ帝国が成立。貨幣経済が復活し、デナール銀貨が発行される。
  11世紀 開墾の世紀。人口も増加。
  12世紀 都市が成立。薄型の銀貨(ブラクテアト)が生れる。
  13世紀 領邦(ラント)が成立。
  14世紀 ペストと飢饉の世紀。ハンザ同盟が盛んになり、大型のグロッソ銀貨やグルデン金貨が生れる。
  15世紀 信仰と寄進・巡礼の世紀。贖罪符が盛んに売られる。
  16世紀 宗教改革の世紀。ターレル銀貨が盛んに発行される。フッガー家が隆盛。「価格革命」で物価上昇。
  17世紀 三十年戦争で国土が荒廃。
  18世紀 啓蒙専制君主の世紀。プロシャのフリードリヒ2世、オーストリーのマリア・テレジア。
  19世紀 統一の世紀。ドイツとオーストリーの2大帝国に統合。
  20世紀 世界大戦とそれに続く大インフレの世紀。
  21世紀 ユーロに参加。

 ●貨幣の始まり
 ドイツで貨幣経済が復活したのは、10世紀ころのことです。 フランスやイギリスより100年余り遅れています。
 当初は、ローマ帝国のデナリウス(Denarius)に相当する「デナール(Denar)」銀貨だけが発行されました。デナールは、後に「ペーニッヒ(Pfennig)」と名前を変えました。イギリスの「ペニー(Penny)」に通ずるものです。
 また、12~13世紀には「ブラクテアート」と呼ばれる薄い銀貨が発行されています。薄いため、表側の図柄がそのまま裏側に写っています。
ザルツブルク ブラクテアート
12世紀
0.6g 17mm
レーゲンズブルク ペーニッヒ銀貨
13世紀
0.9g 16mm
ブランデンブルク デナール銀貨
14世紀
0.8g 14mm
 14世紀になって大型の「グロッシェン(Groschen)銀貨」や「グルデン(Gulden)金貨(後に銀貨)」などが発行されるようになりました。 さらに16世紀になると、ボヘミアのヨハヒムスターラで優秀な銀山が開発され、そこで「ターレル(Thaler)銀貨」が発行されると、たちまちのうちにヨーロッパの標準貨幣となりました。
ハンガリー グルデン金貨
14世紀
3.5g 20.7mm
チロル ターレル銀貨
1616年
28.3g 41.1mm

 ●領邦(ラント)ごとの貨幣制度
(吉川弘文館「世界史地図」を利用しました)
 「神聖ローマ帝国」は、諸侯の連合国家で、皇帝の権力は決して最強のものではありませんでした。 諸侯や大司教、大都市などの領地は「領邦(ラント)」と呼ばれ、それらで独自の貨幣を発行するようになりました。
 1648年、「三十年戦争」終結の「ウエストファリア条約」で、諸侯の独立主権が正式に認められ、貨幣制度の”独立性”はますます盛んになりました。

 下の表は、17~18世紀の有力領邦の貨幣制度です。


領邦貨幣制度
①Bayern(Bavaria) 【PfundPfennig】─8─┬─【Schilling】─┬─4─【Groschen】─3─【Regensburger】
【Gulden】────7─┘         └─30─【SchwartzePfennig】─2─【Heller】
バイエルン王国 1ペーニッヒ銅貨
1726年
2.9g 21.0mm
②Berlin                   【Dutgen】─6─┐
【ReichsThaler】─6─【Marck】─5─【Stempel】─3─┴─【Schilling】─2─【Witt】
プロシャ王国 1/6ターレル銀貨
1765年
フリードリッヒ2世
5.4g 25.2mm
③Braunschweig/Hannover 【HannovarianThaler】─36─【MarienGroshen】─8─【Pfennig[e]】
④Bremen 【BremenThaler】─2─【BremischeMarck】─3─【KopffStÜck】─12──【Grot[en]】─5─【Schwar[en]】
⑤Cölln(Köln/Cologne) 【CölllnisherTahler】─150─┐
【BergisherTahler】──133─┤
【ReichsTahler】-───100─┴─【Albus】─2─【Schilling】─6─【Heller】
⑥Franken(Franconia) 【ReichsTahler】─20─【Groschen/Schilling】─12─┬─【Pfennig】
  │1.0    【Kopfstück】─4─【Batzen】─16─┘
【Gulden】
⑦Franckfurt am Main 【ReichsThaler】─30─【Schilling】─12─【Pfennig】
  │1.5
【ReichsGulden】─60─【Kreitzer】
⑧Hamburg , Lübeck 【PfundFlämmisch】─20─【SchillingFlämmisch】─12─【GrotFlämmisch】
  │2.5
【ReichsThaler】─3─【MarckLübisch】─16─【SchillingLübisch】─12─【PfennigLübisch】
⑨Lüneburg 【ReichsThaler】─┬─36─【MarienGroschen】─8─【Pfennig】
  │1.33    └─64─【Schillng】
【LüneburgGulden】
リューネベルグ 6マリエングロッシェン劣位銀貨
1675年
3.7g 26.6mm
⑩Sachsen/Meißen
(Saxon)
【ReichsThaler】─24─【guteGroschen】─12─【gutePfennig】
ザクセン公国 1グロッシェン銀貨
1623年
1.8g 22.5mm
ザクセン・ゴータ・アルテンブルク公国
1/2ターレル銀貨

1764年
13.9g 34.0mm
⑪Schlesien with Breslau 【ReichsThaler】───30─┐    【WeißGröschel】─2─┐
【SchlechterThaler】─24─┼─【KayserGroshcen】─┬─3─┴─【Schilling】
【GuldenSchlesisch】─20─┘           └─4─【Gröschel】
⑫Straßburg 【ReichsThaler】─15─【StraßburgerSchlling】─12─【StraßburgerPfennig】─2─【StraßburgerHellre】
  │1.5
【ReichscherGulden】─60─【ReinischeKreuzer】
⑬Ulm                  【Batzen】─8─┐
【ReichsThaler】─30─【Groschen/Schilling】─6─┴─【Pfennig】─2─【Heller】
  │1.5
【Gulden】
⑭Wien(Vienna) 【WienerGulden】─┬─20─【KaiserGroschen】─3─【Kreuzer】─4─┬─【Pfennig】
         └──8──【Schilling】 ───30───────┘
オーストリー帝国 6クロイツェル銀貨
1676年
レオポルド1世
3.0g 25.3mm
オーストリー帝国 3ペーニッヒ銀貨
1697年
0.7g 16.2mm

 ●貨幣制度の統一
 「神聖ローマ帝国」は、1806年にナポレオンにより解体されましたが、貨幣制度は相変わらずばらばらでした。
 1828年ころより、貨幣制度統一の動きが出てきました。 北ドイツでは、プロシャ王国のターレルを基準とするシステムに、南ドイツはバヴァリア王国のグルデンを基準とするシステムに統一されました。 両者の間には、2ターレル=3.5グルデンの換算基準もできました。
 しかし細かくみると、ドイツ全体ではまだ何通りかのシステムが存在していました。
旧ハンザ同盟地域 ハンブルク、リューベリック、シュレスヴィヒ、ホルスタイン
【Thaler(純銀20.6g)】─3─【Mark】─16─【Schilling】─12─【Pfennig】

ブレーメン
【Thaler(純銀17.g)】─72─【Grot】─5─【Schwaren】

●プロシャ関税同盟
【Thaler(純銀16.7g)】
      ├─72─【Grot】────── 5─【Schwaren】オルデンブルク
      ├─24─【GuteGroschen】──12─【Pfennig】 ハノーファー
      ├─48─【Schilling】───-12─【Pfennig】 メクレンブルク
      ├─30─【SilberGroschen】─12─【Pfenning】プロシア
      └─30─【NeuGroschen】──-10─【Pfennig】 サクソニア

南ドイツ関税同盟 バイエルン、バーデン、ヴュルテンベルクなど
【Gulden】─60─【Kreuzer】─4─【Pfennig】

(吉川弘文館「世界史地図」を利用しました)
 1873年にこの地を訪れた日本の使節たちも、ドイツの貨幣制度の複雑さには閉口しています。
 日耳曼(ゼルマン)地方に於て、貨幣の錯雑なることも、此辺殊に甚し。嗹馬(デンマルク)のリクスターラー、リュベックのマーク、及び日耳曼(ゼルマン)のターラー、梅格稜堡(メクレンボルヒ)のターラー、或はブレメンのターラーなどと、僅の地を隔てて、通用貨幣を異にすれば、行旅計算に苦しむ。
 久米邦武編、田中彰校注、「特命全権大使・米欧回覧実記」、岩波文庫、1977~83
 ”ゼルマン”とは、German、つまりドイツのことです。
バイエルン王国 6クロイツェル銀貨
1809年
2.7g 20.6mm
プロシャ王国 ターレル銀貨
1839年
裏面周囲に
EIN THALER XIV EINE FEINE MARK
(重さ14分の1マルクの純銀のターレル)
と書かれています。
22.0g 34.2mm
 ドイツ全体が一つの貨幣制度になろうとしたのは、1871年12月4日、プロシャによるドイツ統一に先立って、ドイツ統一の「貨幣法」が定められたときからです。 このとき制定された制度は、
   【Mark】─100─【Pfennig】
のシンプルな体系です。 それまでの貨幣との交換レートは次のとおりでした。
  10 Mark (新しいマルク)
    = 3.5000(3+1/2) PrussianThaler (プロシャ)
    = 5.8333(5+5/6) Gulden (南ドイツ貨幣同盟)
    = 8.3333(8+1/3) Mark (リューベック、ハンブルグ)
    = 3.0108(3+1/93) BremenThaler (ブレーメン)
(上の交換レートは、3.33 PrussianTharer, 5.50 Gulden, 8.33 Mark との説もあります)
ドイツ帝国  10マルク金貨
1873年
ヴィルヘルム1世。
3.982g
ドイツ帝国 5マルク銀貨
1901年
プロシャ王国建国200年記念銀貨。
ヴィルヘルム2世。
奥は初代のフリードリヒ大選帝侯。
38.0mm 27.7g


 たくさんある 「マルク(Mark,古くはMarck)」
 ■中世
 1103年、フランス王のフィリップ1世が、ローマポンドの3分の2(233.856グラム)を新たな重量単位としました。 この単位を持つ金属には定められた印(マーク、マルク)が押されていたため、この重さの単位が「マルク」と呼ばれるようになりました。
 「1マルク」は「1マルクの重さの銀」を意味します。 ドイツで産した銀は品質がよく、またマルクの重さも厳格に守られていたため、最も信用のある貨幣の単位として国際取引で使用されるようになりました。
  12~15世紀がこの単位の使われた最盛期でした。 例えば、1201年にヴェネティアが、フランスなどの第4十字軍の兵33500人+馬4500頭の輸送を請け負った費用は、8万5千マルクでした。
 マルクの重さは、ヨーロッパ各地で差異があり、主なものでは244.753g(パリ)、226.623g(ローマ)、233.856g/229.456g?(ケルン)、239g(ヴェネティア)、271.947g(バルセロナ)、280.664g(ウイーン)などがありますが、この中では「ケルンマルク(Köln Mark)」が有名です。
 ■近世
 その後、近世になると「マルク」は、ドイツ国内で小額の貨幣単位として使われるようになりました。 だだし、その大きさは領邦や都市によりまちまちでした。
 ■近代、現代
 1873年、統一されたドイツ帝国は「マルク」を貨幣の基準単位と定めました。 この「マルク」は「ユーロ」に移行するまで使われましたが、二回にわたる世界大戦の中で、何度かデノミネーションが行われました。
 1873年~ ゲルトマルク(GeldMark)
 1914年~ パピエルマルク(PapierMark)・・超インフレ時代の紙のマルク
 1923年~ レンテンマルク(RentenMark)・・インフレを止めた奇跡のマルク
 1924年~ ライヒスマルク(ReichsMark)・・1Reichsmark=1兆Papiermarkで交換
 1948~99年 ドイツマルク(DeutscheMark)・・ユーロ前のマルク


 たくさんある 「ターレル(Thaler,Taler)」
 1566年、重さ1/9マルクの大型銀貨を発行し、それを「ReichsThaler(帝国ターレル)」と呼んだのがターレルの最初です。 「Mark(マルク)」は中世ヨーロッパの国際取引でよく使われていた重さの単位で、1マルク=233.856グラムです。
 これとは別に、帳簿上の単位としては、その4/3の重さの「SpeciesThaler(正式ターレル)」が使われました。
 貨幣の単位と、取引の単位が異なるのです。 ロンドンの造幣局長官だったニュートンも、この紛らわしさには閉口したそうです。
 さらに1753年、南ドイツを中心に1/10マルクの「ConventionsThaler(同盟ターレル)」が出現し、同じころプロシャでは、1/14マルクの「PrussianTahler(プロシャターレル)」を制定しました。
 これらの他にも、ドイツ全国では10種類以上の「ターレル」がありましたが、1857年、1/14マルクの「VereinsTahler(統一ターレル)」に”統一”されました。
 ターレルは、統一ドイツの「Mark(マルク)」に置き換わることでその使命を終えました。


フランクフルト

(2008年夏)
参考文献 :
  "Standard Catalog of WORLD COINS", krause publications
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  The Marteau Early 18th-Century Currency Converter

   ターレル ⇒ ドル ⇒ 円
2006.2.11 「神聖ローマ帝国の貨幣制度」として作成  2008.5.9 拡張し改題