ローマコインの物語

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  ローマ共和国とローマ帝国のコインを紹介します。


● 共和国時代
  ローマに貨幣制度ができたのは、289BCころとされています。 ギリシャ人やフェニキア人の国家と比べると、貨幣に関しては後進国でした。
  当初、銀貨の単位はギリシャ世界のドラクマ(Drachm)、銅貨の単位はアス(As)を使用していました。
  211BC、ポエニ戦争のさなかに自国独自の貨幣制度に整えます。
     1デナリウス(Denarius)銀貨=10アス(As)銅貨
  その後、140BCころ、1デナリウス銀貨=16アス銅貨に改定されます。
  この間
     ・272BC イタリア半島を統一
     ・146BC カルタゴを滅ぼす
     ・ 51BC カエサルが、ガリアを征服する
     ・ 30BC クレオパトラが自殺し、エジプトを属州とする
と、順次地中海世界を統一しました。

共和国初期のアス銅貨
表:双頭の神、ヤヌス神。
裏:ガレー船の舳先。上部にI、下部にROMA
なんとも不思議な神です、頭が二つあるのです。
290BCころに最初のアス銅貨が発行されたときは300g以上ありましたが、その後急激に軽くなり、80年後には44gになり、91BCころには12~13gになりました。
211-206BC  32.4g 34mm
カエサルのデナリウス銀貨
表:大蛇を踏みながら歩く象、下部にCAESAR
裏:斧
カエサル(シーザー)が発行したデナリウス銀貨です。
49BC  3.6g 17.4mm
 

アウレリアヌス帝の城壁とピンチアーナ門


● パックスロマーナ
  皇帝になったアウグスツス(オクタビアヌス)は、貨幣制度を改めます。
     1アウレウス(Aureus)金貨=25デナリウス(Denarius)銀貨
            =100セステルティウス(Sestertius)黄銅貨=400アス(As)青銅貨
  この時代、農園に働く労働者の1日の賃金は1デナリウスでした。
  帝国の収入は属州からの税でしたが、それだけでは巨大な軍事費を補いきれず、不足分はスペインの銀山の銀に頼っていました。 また、この頃の推定人口は5400万で、同時期の漢帝国とほぼ同じです。

アウグスツス帝のデナリウス銀貨
表:ローマ初代皇帝アウグスツス(オクタビアヌス)
裏:ガイウス・カエサルとルキウス・カエサル。その間に楯と槍。
27BC-14AD 18.0mm 3.7g
ネルヴァ帝のアス銅貨
表:ネルヴァ帝 裏:リベルタス神
五賢帝の最初の皇帝です。
96-98AD  10.26g 26.9mm
トラヤヌス帝のデナリウス銀貨
表:トラヤヌス帝 裏:戦利品
五賢帝の二人目、トラヤヌスです。
98-117AD  3.29g 18.2mm
ハドリアヌス帝のアス銅貨
表:ハドリアヌス帝 裏:?
ローマ帝国の領域が最大だったときの皇帝です。
117-138AD  10.1g 26.3mm
アントニヌス・ピウス帝のアウレウス金貨
表:アントニヌス・ピウス帝 ANTONINVS AVG PIVS P P TR P XII
裏:Aequitas女神 COS IIII
148-149AD  7.08g 19.0mm
アントニヌス・ピウス帝のセステルティウス黄銅貨
表:アントニヌス・ピウス帝 裏:ティベリス川の河神
五賢帝の四人目、ローマ最盛期です。 ローマの威信を誇るような堂々たるコインです。
138-161AD  26.07g 34.1mm
表:皇帝像の左に ANTONINVSAVG 、右に PIVSPPTRPCOSIII
  ANTONINVS = Antoninus アントニヌス、皇帝名
  AVG = Augustus 「尊厳者」、ローマ皇帝の称号
  PIVS = Pius 「敬虔な」、ローマ皇帝の称号の一つ
  PP = Pater Patriae 「国父」、これもローマ皇帝の称号の一つ
  TRP = Tibunicia Potestas 「護民官職権」、これもローマ皇帝の称号の一つ
  COSIII = Consul 3 「3回目の執政官」
裏:上 TIBERIS ティベリス、河神の名
  下 SC = Senatus Consultum 「元老院の決議により」

ローマ元老院

● 衰退期のローマ帝国
  3世紀ころから、皇帝たちの争いで国が乱れ、またスペイン銀山の産出量が減少し、インフレが進行します。 西方では偽造貨幣も多く出てきました。
  カラカラ帝は2デナリウスに相当する新しい銀貨を発行します。 カラカラの本名にちなんで「アントニニアヌス(Antoninianus)銀貨」と呼ばれています。 この銀貨、当初は銀が50%くらいありましたが、50~60年後には5%以下になりました。
  4世紀になると、ソリダス(Solidus)金貨、シリカ(Siliqua)銀貨、フォリス(Follis)銅貨などが発行されましたが、銅貨はだんだん小さくなり、1gを切るものまででてきました。


カラカラ帝の弟はゲタ(GETA)という名前でした。 カラカラ帝のアントニニアヌス銀貨
表:カラカラ帝 裏:セラピス立像
大浴場で知られている皇帝です。
共同皇帝となった1つ下の弟を暗殺し、その信奉者2万人を粛清したと伝えられています。
198-217AD  5.39g 22.2mm
マクセンティウス帝のフォリス銅貨
表:マクセンティウス帝 裏:寺院に座すローマ
このころ、3~4人の皇帝が乱立して、互いに争ったり同盟したりしていました。
306-312AD  6.11g 24.5mm
      コンスタンティヌス大帝の単位不明の銅貨
表:コンスタンティヌス大帝 裏:城門
324年に単独皇帝となりました。コンスタンチノープルに遷都し、キリスト教を公認したことで有名です。
306-337AD  3.5g 18.5mm
      ユリアヌス帝のシリカ銀貨
背教者として有名なユリアヌス帝です。
361-363AD  2.1g 16.6mm

コンスタンティヌス帝の凱旋門


● 分裂後のローマ帝国
  395年テオドシウス帝が死に、二人の子が東西を分裂して支配しました。

西ローマ帝国 ホノリウス帝の銅貨
西ローマ帝国の初代の皇帝です。
この皇帝の時代から、ゲルマン人の侵入が本格化しました。
ローマを救おうとしたホノリウス帝の岳父スティリコの悲劇的な努力が、塩野さんの「ローマ人の物語.最終巻」に描かれています。
395-423AD  2.2g 18.1mm
東ローマ帝国 ユスティニアヌス大帝の銅貨
西ローマ帝国滅亡後、イタリア半島などをゲルマン人から回復しましたが、長続きしませんでした。
527-565AD  9.0g 24-27mm
東ローマ帝国 ヘラクリウス帝のソリドス金貨
この皇帝は、これまでのラテン文字に代わってギリシャ文字を採用しました。
610-641AD 4.3g 20.8mm

  東西に分裂したローマ帝国が、再び統合されることはありませんでした。



● ローマ軍団兵士の年俸
治世者改訂時期年俸
共和国時代200BCころ  70デナリウス
カエサル48BC 140デナリウス
アウグスツス27BC-14AD 225デナリウス ※ 
ドミティアヌス81-96 300デナリウス
セプチミウス・セウェルス193-211 600デナリウス
カラカラ211 900デナリウス
マクシミヌス・トラクス235-2381800デナリウス
 ※ このとき、軍団兵の勤務年数は20年、
   退職金3000デナリウス。
   近衛軍団兵は優遇されていて、年俸675デナリウス、
   勤務年数16年、退職金5000デナリウス。
  ローマには常備軍がありました。 アウグスツスが皇帝になって不要な軍団を整理した時点では、28個軍団、16.8万人いました。
  彼らは辺境を守るのが当初の使命でしたが、その後皇帝を推挙することに大きな役割を果たすようになり、そのため新たに皇帝になりたい人が、しばしば年俸を上げています。
 




  AES GRAVE
  ビザンチン帝国のコイン
参考文献:
  塩野七生、「ローマ人の物語」、新潮社、1992~2006
  クリス・スカー、「ローマ皇帝歴代誌」、創元社、1998
  クリス・スカー、「地図で読む世界の歴史-ローマ帝国」、河出書房新社、1998
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  ジョナサン・ウィリアムズ、「お金の歴史全書」、東洋書林、1998
 このページの作成では、 の作者、北海道のaugustusさんから助言をいただきました。 


2002.1.27 2002.12.25 東西ローマなど追加  2006.8.5 ローマの写真追加  2009.6.14 カエサルの銀貨を追加